03
『恋の始まりは晴れたり曇ったりの4月のようだ。』
ウィリアム・シェイクスピア
「やぁ。」
所用で本館の方へ来ていた私は背後から声を掛けられたため持っていた数冊の資料を持ち直して足を止めた。リヒトさんだ。
毎日歴史資料館まで足を運んでいる彼は、本には一切関心を見せずに私のところへ遊びに来ている。
長期遠征の後のためしばらくは休暇らしいのだ。
そんな彼は私が業務中であろうと気にせず長話ししてくるものだから、正直にいうとここのところ対応に困っていた。
記憶を失くす前に付き合っていたというのだから無下にもできないのが余計に辛い。
「こっちにいるなんて珍しいね。」
「もう戻るところよ。リヒトさんも今日はお仕事?」
「そうだよ。任務中の報告書を提出しにね。よければこの後一緒にランチでもどうかな?」
こうしてマメに誘ってくれる彼と何度食事をしただろうか。
しかしその度疑問に思ってしまうのだ。
私は彼のどこが好きだったんだろう、と。
悪い人ではないことはわかる。わかるけど、こう、なんというか…出来過ぎているように思う。
リヒトさん曰く『資料館に足を運んでいる内に君と知り合った』『告白したのは僕だったよ』『初デートは映画館で、花の影を見たよ。』と、何だかまるで作られた恋愛小説だ。
「ごめんなさい、今日はさっき早めに済ませたの。」
「じゃぁ今晩は?」
「あ、その今日は仕事が立て込んでて…。定時には上がれそうにないから。もう行くね。」
髪を耳に掛けながら申し訳なさそうに断ると、彼は「じゃぁまた明日誘わせてもらうよ。」と笑みを一つ残して去って行った。
明日も会うのか、とため息を溢す。明日風邪ひきたいな。
彼の物言いは優しいがしつこい。明日は何と言って断るか、と考え始めている段階でもうきっぱりと言うべきなのかもしれない。
私の事はもう忘れてください、と。
リヒトさんが言う空白の2年間の私には正直疑問を抱えているのだ。
本や歴史に興味関心がないリヒトさんが歴史資料館に足を運ぶ理由がないし、私は昔から好きな人には告白されるのを待つより自ら告白するタイプで、何より恋愛映画は見ない。
映画は専らアクションが好きだ。
それは記憶を失くす前から変わっていないため、2年の間に何があったのかはわからないが私が私じゃないようで、今の私が彼の言う私に変わることができるとは到底思えない。
ずっと持っていた資料が急に重たく感じてまるで今の私の気分のようだった。
漸く資料館に戻れると本館のドアガラスを抜けたのだが、そこで足を止める。雨だ。それも小雨のような優しいものではない。ひどくもないが。
「ウソでしょ…。」
さっきまであんなに晴れていたのに。
準備が良い人は傘を差して本部を行き来している。
リヒトさんが引き止めなければ資料館まで濡れずに帰れただろう。このやり場のない気持ちをどこへぶつけたものか。
今、私が手にしている資料は急いで持って帰らないといけないものではないが、今資料館にいるのはイズミちゃんだけである。アオイさんは有休、シンくんは閉架で整理中のため利用客が多いなら一人では捌けきれないだろう。
そのため少しでも早く戻ってあげたい。
ふと脳裏にロッカーに置いてある替えの上着を思い出した。
「よし。」
「何が『よし』だ。」
資料は濡れないように上着の中に入れて、走るための意気込みを入れたところで横から右腕を掴まれた。誰だ、何だ。
弾かれる様に顔をそちらへ向けるなり驚愕した。
「え…」
「使うといい。この雨ではその服の中の資料も濡れてしまうだろう。」
私の腕を掴んだのがアヤナミ参謀ということだけで驚きを隠せないのに、差し出されたのは傘だ。もちろん黒い男物の。
傘も彼の靴も濡れているということは外から帰ってきたところだろう。だからといっても受け取れない。私と彼の接点なんてほとんどないし、話したことも歴史館で挨拶と貸出するときのお決まりのやり取りをするくらいだ。他人。真っ赤の他人。なのに何故。
「いえ、でも、」
「濡れて風邪をひきたいのなら別だが。」
さっきまでそう思ってました、とは言えず。
感じる善意にここは素直に貸してもらおうと、「では…遠慮なくお借りします。」とその傘を受け取った。もちろんお礼を告げることを忘れずに。
「走って滑らないようにな。」
「滑りません!これでも運動神経は良いんですよ!」
「そうだったな。」
ふっとほんの一瞬だが参謀の表情が和らいだ気がした。
寝顔は写真で見たことあるが、笑った顔は初めて見る。
ご尊顔が元から良い上にその笑みは反則だ。雨音に負けない程心臓がうるさい。
「ではな」と踵を返した参謀の背中を見送ってから差した傘は私の傘よりも大きくて嬉しい反面、何だか妙に気恥ずかしくなった。
だけど何より熱い。頬が、熱かった。
***
「リヒト・ツェンガーだっけ?最近あの男よく来てるね。」
仕事が立て込んでいると伝えたのに、その1時間後には歴史資料館に遊びに来たリヒトさんをどうにか言いくるめて帰し、げんなりしながら配架を行なっているとふと声を掛けられた。
その声だけで脳裏に浮かぶのはサングラスをかけた長身の彼。
館内の中でも隅に特設されている郷土コーナーに居た私が窓辺の方へ数歩歩き、棚から顔を出すと想像通りの人物が二人掛けのソファに座っていた。
「今日もサボりですか?少佐。」
ヒュウガ少佐はブラックホークの一員であるというのにサボり魔である。
少なくとも週3で会っているといっても過言ではない。
「全く。よく御存じで。」
それだけ少佐もここに足を運んでいるのと同意語なことに気付いているんだろうか。働け。
「付き合ってるの?2人は。」
「いえ、まさか。付き合ってませんけど。」
「ふーん。じゃぁあの男の独り善がりってわけだ。」
「私が記憶を失くす前に付き合っていたらしいです。今となってはどうして付き合っていたのかわからなくて…ハッキリ気持ちがないと言うべきなんでしょうけど、もし私が彼の立場だったらって想像すると二の足を踏んでしまって。」
少佐は少し不思議な人だ。
悪く言えばふざけたような、良く言えば人好きするような話し方や仕草をするくせにどこかで一線を引いているような。
それでも最近思い悩んでいたことをすんなりと話してしまえるのは、彼の懐の広さからか。
それとも笑い飛ばして欲しかったからか。
「残酷だねぇ。気持ちがないのに一緒にいる方が余程彼に対して残酷だと俺は思うけどね。ま、もっとも彼が真実であだ名たんに向き合ってないしどっちもどっちかな♪」
「真実で?」
それは嘘を吐いているということなのか。聞き返したのに少佐からはそのことについて返事は返ってこなかった。
たった一つの意味深な笑みを省いては。
「あだ名たんにはもっと大人な男が似合うと思うよ?あだ名たんってば猪突猛進タイプだから。イノシシ並みに♪」
右手に持っている資料をグッと堪えてにっこり笑顔を浮かべる。
少しぎこちないのはご愛嬌。
「え、少佐はここに何しに来たんですか。喧嘩売りに来たんですか?」
「サボりに☆」
「帰れ。」
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