12
居心地が悪くなって、バタバタと部屋に戻ってきた。
運動不足が祟ってか息切れがひどい。
机に両手をついて息を整えているとふと視線の先にハサミが見えた。
そこらへんにある普通のハサミ。
それを手に取って小指に近づける。
刃を広げ、本当にあるのかないのかさえわからない、そして見えないその運命の赤い糸を切ろうとすると、背後から肩を掴まれた。
「おいおい、その赤い糸とやらはそんなちゃちなハサミじゃ切れねぇぜ。」
追いかけてきたらしいフラウさんが前髪をかき上げながらそう言った。
「フラウさん…」
「急に何を言い出すかと思えば、勝手に走って逃げやがって。」
「ごめんなさい…。」
「悪いと思ってんのか?」
「まぁ、ほどほどに。」
「ほどほどって何だ、おい。」
フラウさんは私の手からハサミを奪い取り、それを机に置くと勝手にベッドに座った。
ポンポンと自分の太ももを叩くと私の手を取った。
素直にそこに座ると、腰に腕が回される。
「んで?何でそこまで赤い糸にこだわってんだ??」
どうせ誰と繋がってるかわかんねーんだから、いーだろうが。それとも何だ、恋愛も結婚もしたくないってか?
と、フラウさんが言うから、私は首を横に振った。
「じゃぁ何だってんだ?」
「……怖いんです。赤い糸が繋がっている相手が。」
たくさん人を殺して、それでいて平気な顔をしているような人。
それだけじゃない。
人を蔑むような…そんな冷たい紫の双眸。
地を這うような低い声。
アヤナミさんが側に居るだけで緊張してしまう。
「その言葉だと、名前はその小指に繋がってる相手が誰だか知っているような口ぶりだな。」
運命の赤い糸の話など、誰も真面目に聞いてくれないと思っていた。
でも今、フラウさんはしっかりと私の話を聞いてくれている。
「…知ってます。でも、こんな御伽噺みたいなこと信じてくれるんですか??」
「あ?まぁな。」
オレの存在自体、御伽噺みたいなものだからな。というフラウさんの心の声はもちろん私には届かない。
「糸が見えるのか?」
「いえ…。その……」
この話をするためには一から話さなければいけない。
アヤナミさん達にも話していない出来事を。
「言いたくねぇなら無理には聞かねぇ。」
「…いえ、聞いてください。多分、私はこのことを一人では抱えきれないから…。」
私は一度深呼吸すると、この世界に来た経緯を全て話した。
アヤナミさんたちさえ知らない赤い糸やエリュトロンさんのことも、全て。
話し終えると、フラウさんは少し難しそうな顔をして私の小指を触った。
「なるほどな…。」
「意味のわからない話でしょう??」
運命の赤い糸とか言われても、理解は出来ても納得はできない。
実際、私は未だに戸惑っている。
「まぁな。でも、縁を斬る神がいるんだから結ぶ神だって存在していてもおかしくねぇな。」
フラウさんはガシガシと頭を掻いて、私を真っ直ぐに見つめてきた。
「斬ってやろうか?」
「え?」
「その縁、オレなら斬れるぜ。」
突然の申し入れに私は頭が回らなかった。
今までの話からすると斬魂しか斬れないはず…。
「フラウさん…神様なの?」
フラウさんは片手で顔を覆って何も応えない。
すると、急に私を膝の上から下ろした。
「いつもの冗談だ、信じるなバカ。」
「ひ、ひどい!真面目な話ししてたのに!!」
「あーわかったわかった。あんま深く考えんな。その男のところに帰りたくないってんならここにずっと居ればいいだろ。」
多少投げやりな言い方だけれど、その声色は優しい。
フラウさんは欲しかった言葉をくれた。
それなのに、何故か瞳を閉じるとアヤナミさんの姿が脳裏に浮かんだ。
怖い人。
とても、とても。
怒られる時はもちろん、側にいるだけでもドキドキと心臓がうるさいくらいに騒ぐ。
怖くて、その場から逃げ出したくなる。
でも、なんでだろうか。
こうして離れてみると、あの人の優しさが身に染みたのだ。
逃げ出すまでは自由がないと思った。
結局街にだって連れて行ってくれないし、行動していい範囲は執務室かアヤナミさんの部屋だけ。
でも逃げ出す際、街に出て思ったのだ。
私はこの世界で一人で生きていけないと。
右も左もわからない。
知り合いなんていないこの世界。
もしかしたら、ずっと守られていたのかもしれないと…そう思った。
でも戻るのはやっぱり怖くて。
私は泣きながら、そのごちゃごちゃな気持ちを誤魔化すようにしてフラウさんに抱きついた。
フラウさんはしっかりと抱きしめ返してくれる。
優しさをくれる。
なのに私の心をざわつかせるのはいつもアヤナミさんだけだ。
脳裏に浮かんでいるだけなのに、それなのに、こんなにも心が痛い。
「フラウ。」
泣きつかれて眠った名前を寝かし、部屋を出るとカストルが神妙な面持ちで立っていた。
「お話があるんですが。」
あまりいい話ではなさそうだ。
「名前のことなら話すことはねーぜ。」
「いえ、ありますよ。冗談にしては過ぎます。」
歩き始めるとカストルも続くようにして歩き始めた。
「いつもの軽い冗談だろ、笑って済ませておけよ。」
「笑えませんよあんな冗談。…斬るつもりですか?名前さんの縁を。」
「さぁな。」
「フラウ、貴方…。名前さんに特別な想いを抱いているわけではありませんよね。」
その言葉は明らかに問うているはずなのに、どこか確信めいていた。
「そう見えるか?」
「えぇ。少なくとも疑問に思うほどには、そう見えますね。」
「なら、そーなんじゃねーの。」
オレは名前の涙の温かさを思い出して、空を見上げた。
『あーあー。ダメじゃないの。』
その日の晩、私は夢を見た。
だけど感覚で言うと、夢に居る感じだ。
この感覚は記憶に正しければ二度目になる。
「…エリュトロンさん。」
『どうしてるかなーって久々に見に来たら…。何がどうなって別の男と抱きついてるわけ?!?!』
彼女は長い髪を揺らしながら憤慨していた。
むしろそれは私がしたいくらいだ。
「あのですね…、元の世界に返していただけるととっても嬉しいんですけど…。」
『まだ諦めてないわけ?案外諦め悪いのね。』
一度は諦めかけたんですけどね。
でもこの世界に来てから心が落ち着かなくって。
「どうして私の運命の相手がアヤナミさんなんですか?」
『何、不満なの??あんなに相性いいのに??』
どこをどう見て相性がいいとか言っているんですかね、この神様は。
『貴女たちほど相性のいいカップルはいないわよ!!互いが互いに引き合う力を持ってる。想いあっていても、喧嘩していても魅かれあう。ものすごくものすごく相性いいんだから!』
引き合う力…魅かれあう力…
『実際、貴女をこの世界につれて来たとき、アヤナミの側にいたでしょ??私、実はあの時適当にこの世界につれて来たのよ。なのに引かれあって名前はアヤナミの側に降り立った。』
…適当に連れて来たんですか。
神様って何気に人でなしばっかりなんですかね。
『なのに縁斬ろうとするし!!』
おぉう、ものすごくお怒りのようです。
美女が怒るのって結構迫力があるなぁ。
『縁っていうのはそうなるべくして結ばれるのよ。そう簡単に斬らないでよね。』
「でもハサミで切れないんでしょう?」
『当たり前よ。紙切る時にでもうっかり切られたって笑えないもの。切れるのは斬魂だけ。』
ゼヘル…。
―斬ってやろうか?―
フラウさんの声が脳内に響いた。
まるで本当に斬ってくれるような錯覚にさえ陥るほど偽りのない声だった。
でもあれはいつものフラウさんの冗談だ。
『だけど斬ったって何度でも結びなおすわ。それが私の役目だもの。』
ゼヘルが何処にいるのかわからないのに、そんな真面目に言われても…。
『いい?ちゃんと自分の心と向き合いなさい。名前は本当に怖くてドキドキしているの?』
何故だか、エリュトロンさんのそのセリフがやけに耳に残った。
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