16
「名前、元気ないね。」
戦場へ赴こうとしていたクロユリくんに苦笑を返して「いってらっしゃい、気をつけてね」と手を振る。
ヒュウガは先にコナツくんやアヤナミ参謀と行ってしまっていて、もうこの場に姿はない。
結局あの脱衣所から一言も会話ができていなかった。
それはあからさまにヒュウガが怒っていて、近寄るな喋りかけるなオーラが出ているからで、そのオーラに負けて私も話しかけていないからだ。
視線が交じり合うことすらない。
ヒュウガの背中を見送ることができなかった分、クロユリくんの小さな背中を見送って、私は息を吐いた。
喧嘩…と言っていいのだろうか。
昔もよく喧嘩していたことを思い出す。
でも何故喧嘩して、どうやって仲直りしていたかハッキリとは思い出せない。
思い出せないほど昔の記憶で、思い出せないということは私が悪いことをしたのかもしれないということだ。
案外やっちまった方は忘れやすいものだから。
もう一度ため息を吐いて血の香りが漂ってきたことにまた極度な不安を覚えた。
「しょ、…少佐?」
コナツの声に「ん??」と聞き返せば「いえ、ナンデモナイデス…」と目を逸らされる。
その表情はどこか見苦しいと訴えているようで、アヤたんだって眉間に皺なんか寄せちゃってそんな顔をしていた。
「まるで殺人狂だな。」
呟かれた言葉に「あは☆」と笑って返せばため息を一つ吐かれた。
コナツやアヤたんが言いたいことはわかっている。
恐らく今のオレの姿に言いたい事があるのだろう。
血を浴びている、オレの姿に。
「少佐ってば、前回は名前さんに心配かけないようにわざと返り血を浴びないように斬っていっていたのに…、どうしたんでしょうか…」
「名前さんの様子もおかしかったですから…、喧嘩でもなさったのではないですか?」
コナツとカツラギサンの言葉を耳に入れながらも反応は返さない。
強ち間違ってもいないカツラギサンの推測には苦笑するしかないし。
喧嘩か…。
何だか久しぶりだ。
昔も喧嘩していたっけ、と雲ひとつない空を見ながら思い出す。
それと同時に、脱衣所での泣きそうな表情も。
随分と大人びた泣き方をするようになった。
昔はすぐ泣いて結局オレがいつも謝るハメになっていたというのに。
「…意地っ張り。」
なんであそこで泣かないんだ。
泣いてくれたら抱きしめて「ごめん嘘だよ。」って前みたいに素直に謝ってあげたのに。
それほど大人になったということか。
だけどそのせいで謝るタイミングをすっかり失ってしまった。
ギリッと奥歯を噛んで名前の白い肌に残されていた薄いキスマークを思い出し、また一人斬り殺す。
そうすれば返り血が頬にかかった。
それを拭いもせずまた一人、また一人と斬ってゆく。
これは名前へのちょっとした意地悪だ。
オレからしたら返り血を浴びる事なんてちょっとしたことだけど、名前からしたらちょっとどころの意地悪のレベルじゃないことはわかっている。
わかっているけれど、無性に腹が立ったのだ。
今の名前を見ていると何だか加虐心を擽られる。
嗜虐心など自分の中にはないのに。
笑っていて欲しいのに。
なのに、ムカつくんだ。
昔と違う名前に、キスマークの存在に。
「早く泣けばいいのに。」
昔とは違うということに動揺している自分が無性に笑えて、両口端を吊り上げて感情のままに笑った。
「聞いたか?ヒュウガ少佐が怪我したんだってよ。」
「あぁ、聞いた聞いた。あのヒュウガ少佐がなぁ〜。」
運ばれてくる怪我人をザイフォンで癒していたらそんな会話が聞こえてきて、私は動きを止めた。
ついでに思考もぶっ飛ぶ。
彼らは何を噂しているんだ。
噂はあくまで噂なのか、それとも…
「あ、あの…」
噂をしていた彼らに声をかけると2人の視線がこちらへと向く。
「今の話し…、本当なんですか??」
「あ…名前さん…、その、えっと…」
リビドザイルの乗組員は全員、ヒュウガと私が仲が良いと知っているせいか、言い辛そうに口ごもる。
「平気です。ホントのこと教えてください。」
何が平気なのか。
心臓はこんなにもうるさく、血の気が引いて真っ青だというのに。
彼らは幾ばくか逡巡した後、やっと口を開いてくれた。
「本人に確かめた訳じゃないんでわかんないですけど…、その、いつもより体中に血を浴びていらして…」
どくん、と心臓が一際大きく鳴った。
前回、返り血さえも浴びていなかったヒュウガが今回は血を纏っているという。
返り血を浴びないように人を斬る事ができる彼が血を纏っているということは…、
「ヒュウガは…どこに??」
「まだ戦地に居ましたけど。」
怪我をした状態でどうしてまだ戦地にいるのか。
治療しに帰ってくればいいのに。
それとももしかして私に癒して欲しくないからわざと帰って来ないのだろうか…。
私が彼を怒らせるようなことをしてしまったから…。
「わかり…ました。ありがとうございました。」
小さく頭を下げれば彼らは後味が悪そうにしていたが、私からしたら知らなかったよりよっぽどいい。
だけど、知ってしまった分悲しくて。
私は彼が傷ついたら癒してあげたいと思ってこの場に立っているのに、その彼が帰ってこないなんて、私の存在意義はどこにあるのだろうか。
「名前さん、ヒュウガ少佐のことが心配なのはお察ししますが、今は…、」
私に声をかけてきた軍人さんの言いたいことはわかる。
今は目の前の傷ついた人達に目を向けなければ。
それが私の仕事。
私がしたいこと。
一番癒してあげたい人は帰って来ないけど、それでも…。
私は覚悟を決めたようにしっかりと頷いた。
「彼でラストです。」
そういって連れてこられた怪我人に手のひらを翳し、ザイフォンを発動させて癒せば私の仕事は終わった。
…いや、終わっていないか。
結局怪我をしていると噂の彼は来なかった。
噂が本当であれ嘘であれ、確認しにいかなければ。と立ち上がる。
傷を治した事にお礼を言われたので「お安い御用です」と笑って一歩踏み出せばクラリと視界が歪んだが、もう一歩踏み出した足でしっかりと自分の体を支えた。
頑張らなければ、と意気込みすぎたようだ。
どうやらザイフォンを使いすぎたようで、体力の消耗が激しい。
歩く事すら億劫に感じるが必死に歩く。
またフラリとしたところで、偶然そこを通ったコナツくんが支えてくれた。
「ど、どうしたんですか?!?!」
「コナツくん…大丈夫。ちょっと躓いちゃって。」
あははは〜と力なく笑えばコナツくんが「少佐を呼んできますから、ここにいて下さい」とただ事ならない顔で行こうとするものだから、その服を必死に掴んで引き止める。
「いいから。ヒュウガには言わなくていいから。」
「…でも…、」
「それよりヒュウガは?怪我したって聞いたんだけど。」
「オレが何だって??」
背後からヒュウガの声がして振り向けば、そこには血塗れの彼が立っていた。
飄々としている姿は戦場へ赴く前と何ら変わりはないが、彼を現す黒に赤が纏わりついており、一際血の匂いが濃く匂って、私は両手で口元を覆った。
そんな私を彼は視線だけで一蹴すると、コナツくんに「アヤたんが収集かけたよ」と背を向ける。
ヒュウガ、とその背中に声を掛けたつもりだったのに、声がでなかった。
「大丈夫ですよ名前さん。少佐は怪我なんてしていませんから。」
私を気遣ってかコナツくんが言ってくれた言葉に安堵するけれど、手や唇はまだ震えている。
「もう部屋でゆっくり休んでいてください。…一人で戻れますか?」
停止したがる脳みそを必死に動かしてコナツくんの言葉を理解する。
コクリと頷けば、コナツくんは心配そうにヒュウガの後を追いかけていった。
のそり、のそりと歩きながら部屋へと戻る。
血を浴びているのはヒュウガだけじゃなくて、私にも血が服などについていたため、着替えるついでにシャワーを浴びる事にする。
蛇口を捻り、水から次第にお湯に変わっていくシャワーを浴びながらも体力は一向に減っていくばかりで、あぁ、ダメだ。と気づいたときには重力に従って体が倒れていた。
倒れた私の体に打ち付けるシャワーは熱いのか冷たいのか、それすらもわからなかった。
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