羊の数え方(前)
雲の上は太陽の陽射しが差し、非常に温かい。
しっかりと睡眠を取っている私も何だか瞼が重たくなるのを感じるが、私より何より、眠たそうにソファでウトウトとしているヒュウガの方が眠たそうだ。
リビドザイルに乗って遠征に向かっているというのに、相変わらず私の部屋に来て何をするでもなくまったりと過ごしているヒュウガは自由人だと思う。
先ほど食堂でコナツくん達と昼食を取っていた時、はちみつ色の髪を揺らしながら彼が激昂していたのを思い出す。
聞けばヒュウガの未処理の書類が溜まりに溜まっているとか何とか。
絶対ここで転寝する暇はないはずだ。
コナツさんが遠征に向かうこのリビドザイルの中でも書類を持ち込んで連日事務処理をしていると聞くではないか。
サボるのを咎めはしないが、やることやってからにして欲しい。
「ヒュウガ、仕事しなくていいの?」
「…んー…」
夢の中に片足を突っ込んでいるであろうヒュウガの生返事に小さくため息を吐く。
ソファに横になっている彼の長い足がソファから飛び出していて、何とも窮屈そうなのに器用に眠る体勢だ。
きっと彼はどこでだろうと眠れるタイプの人間なのだろう。
昔は枕が変わっただけで眠れないとかいうナイーブな子だったくせに。
「ちょっと寝ちゃダメだってば。コナツくん嘆いてたよ?」
「うーん…」
「…もう。」
『仕方ない、一時間経ったら起こす事にしよう』と完璧夢の中へ旅立った彼にもう一つため息を吐きながら思った。
彼は私に甘いとばかり思っていたが、何だかんだ、私も彼に甘いのかもしれない。
1Sheep『ずっと前から』
「ヒューウーガ!あーそぼー!」
近所に住む年下の女の子、名前は人懐っこくて笑うとえくぼができる可愛い子だ。
姉も妹もいないオレの妹的な存在から、一人の女の子へと見方が変わったのは今思えば当たり前だったように思う。
名前は小学校から帰って来るたびにオレの家に来て遊ぼうと誘う。
人懐っこい性格からか、名前の周りにはたくさんの人が居る。
遊ぶ相手はたくさんいるだろうに決まってオレを誘いに来る名前が嬉しくて、どこか誇らしい気持ちになるのだ。
今日は近所の公園で友達と遊んでいると、家にオレがいなかったせいか名前がわざわざ探しに来た。
うん、嬉しい。
「いいけど、名前宿題は?」
この前おばさんから宿題してなくて怒られていたのもオレは知っている。
それから名前は泣いて、オレが慰めて、宿題を見てあげたんだ。
「あ!忘れてた!!」
「ほらーまた怒られるよ?」
うぅ、と唸り始めた名前は遊びたいけれどお母さんに怒られるのも嫌だといった表情を浮かべて、捨てられた子犬のような目をオレに向けている。
こういう目をしている時の名前は強い。
甘えてくる名前にオレはいつも抗えないんだ。
「…ヒュウガ……宿題手伝って?」
ほらきた。
甘えたな声だして、困ったような表情浮かべて、ホントにもう可愛い。
「いいよ。でも横で見て教えるだけだからね。」
「やった!」
ピョンと跳ねて喜ぶ姿は悶えそうになるほど可愛い。
全身で悲しみ、全身で喜ぶ素直な名前にオレは魅かれているのだ。
一緒に遊んでいた友達に手を振って名前の家へと2人並んで歩く。
宿題終わったら何して遊ぼうかとか、明日は宿題ない日だよとか、そんな他愛もない話をしながら、その他愛もない話しが、日々が、何よりも幸せだった。
「明日も一緒に遊ぼうね、ヒュウガ。」
「はいはい。」
ずっと前から、オレ達はずっと一緒だった。
「んむ、むにゃむにゃ…はいはい、名前ってば甘えたさんだねぇ、むにゃむにゃ…」
……彼は一体何の夢を見ているのだろうか。
私は訝しみながら読んでいた小説のページを捲る手を止めて、彼の顔を凝視した。
『仕方ないなぁ』といった口調のくせにその嬉しそうな顔。
私との夢を見ているのは伺えたが、ちょいとその夢の中を覗いてみたい気持ちになる。
一体いつ頃の夢を見ていることやら。
私は小さく息を吐き出すように笑って、もう一度読みかけの小説の文字に目線を戻した。
2Sheep『好きと苦手』
オレが名前を好きだと自覚した理由はこれといってない。
砂漠の砂が水を吸い込んでいくようにただごく自然に、ふと好きだと感じただけだ。
それは何よりも当たり前のように感じて、どんな感情よりも大切な気持ちだと思った。
その日は、オレが名前を何となく好きだなーと感じた日からそう経っていない、とある1日の出来事。
「名前!どこ行くの?」
窓の外を眺めていたら名前が一人街の方へ向かっていたものだから、オレは窓を開けて呼びかける。
すると「お母さんにお遣い頼まれたの!」という返事が帰っていた。
ちょうどいい、オレもせっかくの休みの日に名前が遊びに来なくて暇していたところだ。
オレも行く!と言うなり家を飛び出した。
「あのね今日お鍋でね。お豆腐とネギ買ってきてって言われたの。」
「オレん家も昨日鍋だったよ。」
お鍋の具材は何が好きとか嫌いとか、他愛もない話をしながらふと気付く。
名前が持っていた一本の傘の存在に。
「あれ?傘持ってきたの?」
「お母さんが持っていきなさい。って。」
そうか、じゃぁ雨が降るのか。
空は晴れているのに、夕立でも来るのかと思いながらスーパーに入る。
豆腐とネギを買い物カゴに入れて、お金を払って、カゴから袋に移し終わってさぁ帰ろう!としていた時だった。
ガラガラとシャッターが閉まり、顔を被り物で隠した男たちが金を出せと店員を脅し始めたのだ。
悲鳴が上がる店内、逃げ惑う人たち。
子どものオレでもわかった。
『悪い人たち』だと。
呆然としている名前の手を引いて人に紛れるように隅の方へと移動する。
目を付けられるのはマズイとオレは幼いながらに理解していたのだろう。
『隅の方でかたまって大人しくしていろ』という男達の命令に従っている人たちの波に揉まれて名前の手を離してしまいそうになったけれど、必死で名前の手を握って引き寄せた。
だって震えていたのだ、名前の手が。
今ここで名前の手を離してはいけないと脳が痛いくらいに訴えている。
銃声が何発か耳に届いた。
次いで何か重たいものが倒れる音。
見れば対応していた店員が血を流して倒れていた。
あんなにたくさんの血は始めて見た。
「ヒュウガ、私怖い…。」
今にも泣き出しそうな名前の小さい手が変わらず震えていることに、オレは唇を噛みしめた。
「大丈夫だよ、大丈夫。」
何が大丈夫なものか。
オレが何かしてあげられるわけじゃないのに。
それでもオレは何度も何度も、大丈夫だと繰り返した。
この出来事が切欠で、オレは名前のことが好きだと再確認し、そして無力を嘆いたのだ。
守りたいと思った。
結局名前はこの出来事で人が傷つくのを苦手とし、恐れるようになり、それから数ヶ月は情緒不安定になっていたりもした。
だからこそオレは好きな子が怯えなくていいように、怖がらなくていいように、傷つかなくていいように、守りたいと思ったんだ。
オレ達の気持ちが大きく揺らぎ、そして2人の人生の岐路が2つに別れたとある雨の日のことだった。
3Sheep『いざ、下克上』
「ヒューウガくーん、あっそびっましょ!」
家の外から私が叫ぶと、決まって誘われてさも当然のように家からでてくるヒュウガは私の好きな人。
たまに意地悪で、でも優しくて頼り甲斐があるから彼を独り占めしてしまうのは私の悪い癖だ。
お遣いでスーパーに行った私達が運悪くも出くわした強盗事件から1年が経った。
何故かこの1年は、前にも比べてヒュウガがずっとずっと側にいてくれたと思う。
私からヒュウガに寄るばかりじゃなくて、ヒュウガも私に寄ってくるようになったよな気もするし、少し過保護になった。
お母さんみたいだとは言わないけれど。
でもスーパーで私が怯えている間、ずっと『大丈夫』だと励まして、手を握っていてくれたヒュウガはどんなヒーローよりかっこよかった。
ヒュウガが側にいてくれるというだけで私の安定材料になっていたことを、彼はきっと知らないだろう。
それからだ、私はそれからずっとヒュウガが好き。
「今日は何して遊ぶ?」
「んー何にしよっかなぁ…」
ほぼ毎日のように私達は遊んでいるため、レパートリーは当に尽きており、何をするにも飽きてきている状態だ。
2人で遊ぶ時はトランプしたり、ブランコしたり、みんなで遊ぶ時は鬼ごっこしたりだるまさんが転んだしたりと、どれもこれも飽き気味だ。
私達はブランコに乗ってとりあえず遊びながら話を進めてゆく。
「鬼ごっこは?」
「ヒュウガってば足速くて私すぐつかまるからヤダ。」
2人で鬼ごっこしてもつかまって、つかまえて、のエンドレスリピートじゃないか。
ヒュウガは名案だよといった表情を浮かべていたが、即座に却下した。
「かくれんぼは?」
絶対嫌だ。
だってヒュウガは私の居場所がわかるかのようにすぐに私を見つけてしまうんだもん。
「絶対いや。」
「名前かくれんぼ嫌いだよね…。」
「ヒュウガが見つけるの早いからでしょー!みんなとかくれんぼしてても一番最初に私のこと見つけてさ。」
「だって名前の考える事手に取るようにわかるし…、早く名前のこと見つけたら一番長く一緒にいれるでしょ?」
何より、隠れる前に隠れようと思っている場所に目線を向けるのはやめたほうが良いと思う、という言葉だけはヒュウガは飲み込んだ。
「私もヒュウガと長くいたいけどかくれんぼはヤダ!面白くない!長なわは?!」
「2人でできるやつ言ってね名前。」
いい案が出てこなくて、うんうん唸って考えている2人の影が公園に伸びている。
それは小さい私達なのに、大きくなったような気持ちにさせた。
空は次第に紅くなってきて、遠くでカラスが鳴いている。
「そうだ!!ヒュウガ、おままごとしようよ!」
名案だ。
これなら私がヒュウガに負けることなんてない!と嬉々とした表情をヒュウガに見せると、彼はスッと目を逸らしてしばしの沈黙の後、苦痛にも似た声を絞り出した。
「ごめん名前、それだけは勘弁して。」
仕方ない、今日はカラスが鳴くからかーえろっ。
夢からふっと浮上したオレは、「なつかしー」と小さく呟きながらソファに横たえていた身体を起こした。
どれくらい眠っていたのかと時計を見ると、そろそろ1時間になるところだった。
恐らくもう少ししたら名前に怒りながら起こされていただろうと思う。と想像したところで真向かいに座っている名前を見ると、彼女は膝の上に小説を開いたまま眠っていた。
そういえばあの後、おままごとをしたがる名前を必死に説得したのは今となっては良い思い出だ。
女の子から女性になった名前はあの頃よりずっと綺麗になった。
オレは立ち上がり、すぐ名前の隣に腰を下ろし肩を抱き寄せる。
こてん、と頭を預けてくる名前は綺麗だけど可愛らしい。
こみ上げてくる熱い気持ちを押し込めることなんて出来なくて、そっと名前の唇にキスを落とした。
さて、オレも名前が起きるまでもう一眠りしますか。
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