12
ヒュウガに会いたくないと思いながらここに来るのは二回目だ。
でも今日はさすがに何が何でもいかないといけない。
あの人と会うのが気まずいから行かない、なんてそんな駄々を捏ねていられるような状況じゃないことは誰よりもわかっている。
窓口で執務室に連絡を取ってもらいながら、今日は誰が来てくれるのだろうかと待っていると、「あだ名たん」と背後から名前を呼ばれた。
人生、そんなに上手くいかないものだ。
私は小さく苦笑して振り向いた。
「ヒュウガ…」
「迎えに来たよ♪」
「ありがとうございます。」
ヒュウガはいつも通りだった。
この前はどうしてキスを拒んだのかとか、その前はどうしてキスしてくれたのか、とか少しは聞かれたり、聞かれなくても態度が冷たかったりとか…それくらいのことは覚悟していたのに、ヒュウガはいつも通り。
執務室に向かう廊下でも他愛のない話しが続いた。
「あだ名たん目の下に隈あるよ??」
「あーちょっと、徹夜してて。」
「夜遊び??」
「してるように見えます??」
「見えない☆」
ヒュウガはケラケラと笑って執務室の扉を開けた。
「研究?読書??」
「内緒です。」
執務室に入る頃には私の緊張も解けていて、少しだけ意地悪く笑うと頭を小突かれた。
あの日のことを忘れているわけはないだろうけれど、気にしていないのだろうか。
まぁ、忘れているなら忘れているで、気にしていないのなら気にしていないでそれに越したことはない。
むしろ、今の私にはそれが一番いい。
「こんにちはー。参謀長官はいらっしゃいますか?」
「こんにちは。えぇ、参謀長官室に。」
「えっと、大事なお話があるんですが。」
私がそれだけ言うと、カツラギさんは参謀長官を呼んで来てくれた。
執務室にはブラックホーク全員がちょうど揃っている。
ソファに座り、カツラギさんお手製のお餅入りぜんざいと柚の風味がする緑茶が出されて私はいそいそとぜんざいを食べ始める。
甘いのに、遠くにある塩加減が何ともいえない。
柚風味の緑茶はそんな甘い口の中をすっきりとさせてくれた。
ナイスな組み合わせについ頬が緩む。
けれど向かいに座っている参謀長官は早く話せとばかりにこちらを見つめており、私はまたぜんざいを手に取って口を開いた。
「5日後に軍で大きなパーティーがあったりとか…します?」
「あぁ。」
参謀長官が緑茶を嚥下したのを見て、私はお餅をうにーっと引っ張るようにして食べた。
あぁ、餅ってカロリー高いのよねぇ…と思いながらも美味しいから口は止まらない。
「…もしやそこでアリスを?」
私はお餅を咀嚼しながら頷いた。
「被害はどれくらいになる。」
「恐らくほぼ全滅ですね。」
私の言葉に皆の顔が険しくなった。
「残念ながら…アリスを改良したのでアリスを吸い込んでも心臓や脳は壊死しません。」
「殺すしかないと??」
ハルセさんの言葉に頷く。
「なんで改良したの?弟死んでるのに。」
クロユリくんの一撃は結構効いた。
私は苦笑して、食べきったぜんざいのお椀を机の上に置いた。
「弟が死んでるってわかる前だったからです。それにエレーナは、弟が死んでいるという事実に私が気付いていないと思っている。すぐに態度変えたら不自然でしょう??」
わかっていたら多分、改良なんてしていない。
あれは悪魔そのものだ。
アリスなんて可愛い名前だけれど、実際は悪魔。
人を殺してしまうだけでなく、殺し合いをさせてしまう。
アリスを使う人物はそれが殺しのための道具だとわかっているのだろうけれど、アリスを吸い込んでしまったらその人達も殺人のための道具と化してしまうことをわかってはいないのだろう。
狂ったように人を殺す様はもう人だと認識できない。
むしろ、したくない。
殺人道具が殺人道具を作るのだ。
そしてそれは、今回殺されるまで続く。
「エレーナの元から逃げないの?」
「…することが、あるから。パーティの開始時間は19時。アリスが使用されるのは20時ジャストです。エレーナも途中まではパーティーに潜り込んで様子を伺うそうで、ジュードという30代の男と…そして私も参加します。」
「あだ名たんも??」
「はい。」
「よく過保護エレーナちゃんが許したねぇ。」
エレーナちゃんって…何だか馬鹿にされているようだ。
んーちょっと複雑。
「アリスの改良ができたから機嫌も良かったですしね。それに軍にスパイがいて、それに私も参加するってことになりかけたんですが、エレーナがそれだけはダメだって怒って。だからパーティーに一緒に参加するくらいはって譲歩してくれたんです。」
「軍にスパイだと?」
「はい、すでに数名のスパイが潜り込んでるようですよ。当日は警備を手薄にするそうです。さすがにどこの部署で何人なのかは教えてもらえませんでした…。ごめんなさい。」
頭を下げると、ヒュウガの手がその頭を撫でた。
「十分だよあだ名たん。えらいえらい。」
「…子供ですか、私。」
飴玉といい今といい、子供扱いが目立つけれど頭を撫でられるのは正直嬉しい。
「さて、どう対処したほうが被害が少なく済むだろうか。」
独り言のようにも聞こえたその言葉に私は「あ、あの!」と手を上げた。
「あのですね、私に案があるんです!この案が最善なんです!でも…まだその準備が整っていなくて…。当日までに整うかもわからなくて…。それで、その…」
「その準備って何してるの??」
「……まだ、内緒です…。」
「不確定な案には乗れぬ。」
「…ですよね。」
「じゃぁさ、あだ名たんの案の準備が整ってその案の方が良かったらそれを使うってのはどう?」
ヒュウガの提案に私は目を見開いた。
彼は信じてくれているのだ。
私のことを。
私の準備が整うと。
「そうだな。」
ヒュウガの提案に頷いた参謀長官達。
何だか泣きたくなるくらい嬉しくて、私は唇を噛みしめた。
「私、頑張りますから。」
まだ皆には言えないけど。
皆は私の頭に手を乗せて撫でてくれた。
「一先ずあだ名たんの案は置いておいて、アヤたん的にはどうしたら言いと思う?」
「そうだな…。前日に根絶やしにしておくに限るのだが何せアリスが邪魔だ。」
「さすがにアリス使われたらどうしようもないもんねぇ。」
「…やはり当日にアリスを使う前に捕まえるのが最善か。」
一か八かの作戦に皆が頷いていた。
確かにそれが彼らの最善の策だ。
押し入っていつ使うかわからないアリスを警戒するよりも、使うとわかっている場所と時間に警戒していたほうが動きやすくある。
だけど私になら…。
私にならもっと最善の策を用意できるんだ。
ブラックホークの皆が死ぬか生きるかは私の手に掛かっている。
そう思ったら手が震えた。
「名前、軍にスパイが居るのならあまりここには来ないほうがいいだろう。」
参謀長官の提案に頷いた。
確かに。
誰に見られてエレーナにバレるかわからない。
私にとって軍も安全ではなくなってしまった。
「そうですね。私のその案が実行できるようになった時だけ来ます。…当日までに来なかったら……」
「あぁ、わかっている。」
間に合うように頑張るけれど、こればかりは何ともいえない。
絶対という言葉ほど不確実なものはないのだと実感させられる。
「では、私はそろそろ帰ります。」
「もう?」
「もう一杯飲んで行かれてはどうですか?」
「いえ、忙しいのでこれで。」
立ち上がって踵を返そうとした私を真っ直ぐに見つめるヒュウガの視線に、私は目を逸らしながら小さく微笑んで執務室を後にした。
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