15



「出来た…」


一人ごちた言葉は誰の耳にも届くことなく、真っ白いこの部屋の静寂へと消えた。

カレンダーと時計を見るとエレーナ達が犯行を起こそうとしている日だった。
途中から時間の感覚も日にちの感覚もなかったからか、まさか当日だと思いもしなくて、私はそれを急いで小ビンの中に5つに分けて流し入れた。

今の時間は午前5時。
私はその5つの小ビンを全てポケットに隠し入れて、これを作ったという痕跡を全て消した。
いくら眠っていないからといって、さすがにこんなところで馬鹿やってられない。
真っ白い研究室を念入りに見て周り、今度は硝酸、硫酸、それからグリセリンを棚から取り出した。
それらを規定の分量ずつ混ぜ合わせ、硝酸エステル化させればニトログリセリンの出来上がりだ。
説明するまでもなく、ダイナマイトの原料である。
こちらは難なく作り終え、感度が高く小さな衝撃でも爆発してしまうそれを最新の注意を払いながらダイナマイトとして形作っていく。

そうして気がつけば時間は朝9時を3分ほど過ぎたところだった。
パーティーの開始時間は19時なので後10時間もない。

私は研究室を片付けると、安定化させたダイナマイトをバックに詰め込んで研究室を後にした。
向かうのは自室ではなく、ブラックホークの執務室だ。
その前に少し寄り道をするけれど。

そして見張りの方々には悪いけれど、まだしばらく眠っていてもらおう、と曲がり角から彼らを覗いた。


「げ。」


人間とは学ぶ生き物らしい。
…少々学ぶまでに時間がかかったような気がしなくもないけれど、彼らは私お手製の睡眠ガスに対抗すべく防護服を身に纏っていた。


「仕方ない、か。」


私は堂々と足音を立ててまだ寝起きの彼らの前に立った。
頑張って起きずにそのまま眠っていてくれててよかったのに。

私は不思議そうに顔を傾げている彼らにニッコリと微笑んでから手を振った。
彼らは首を傾げながらもエレーナに気に入られている私を無視することもできずに、3名ほどの男達が手を振った。
皆の目線がこちらに向いていると確認すると、私は後ろ手に隠し持っていた物のピンを抜いて彼らの前に投げ、私は目を瞑った。


「「うぁっ!!」」


ピカッと光ったとの同時に呻くような声が聞こえたので目を開けると、目を押さえて悶えている男衆。
私はそんな彼らの脇を通り抜け、研究室を抜け出した。


「私ってばやる♪」


防護服じゃ催眠ガスは防げても閃光手榴弾は防げない。
閃光手榴弾を作ったのは初めてだったけれど、意外と上手く作れたようだった。
効果は彼らが証明してくれた。
ダイナマイトをしっかりと抱え直して、とりあえず目的地を目指して走った。




***




「よし!これでいいよね。」


誰に言うでもなく、私はまた一人ごちた。
研究室に一人閉じこもりすぎて独り言が増えたような気がする。

手元には既にダイナマイトの一本も残っていない。
身軽になった体で今度こそブラックホークの執務室に向かう。

少し手間取ったため太陽の位置はすでに真上にあり、時計の針は15時を差していた。

最近は研究室に篭りっぱなしだったからか、太陽の光がとても辛い。
んでもって眠い。
気を抜けば立ったままでも眠ってしまえそうなくらいには。

私は「ダメだ!寝るな私!」と自分で自分を叱咤して、いつものように軍の窓口でブラックホークの誰かを呼んでもらおうとすると、ちょうどコナツさんが通りかかったのでそのままご一緒することになった。

お久しぶりですね、なんて世間話をしながら執務室に入ると、一番最初にヒュウガと目があった。
たった数日振りなのにひどく懐かしいように思える。
ドキドキと心臓が高鳴っているのは気のせいということにしておきたい。

なのに何だか目を逸らす気にはなれなかった。


「名前、お前がここに来たということはこの前言っていた最善の案の用意が整ったと思っていいのか?」


参謀長官の声がして、私は目を逸らす事を余儀なくされた。

そっとヒュウガから目線を外して参謀長官から出てきたばかりの参謀長官に、ポケットから取り出した小ビンを手渡した。


「出来ました。…アリスの、解毒剤です。」


参謀長官の瞳が大きく見開かれた。

透明な小ビンに入っているこれまた透明な液体を光にかざして見る参謀長官は、少しだけ驚いているようだ。
アリスを作った張本人の私が解毒剤を作ったことにだろうか。


「よくこの短期間で…」


何だか褒められているようだ。
私は嬉しくなって、「えへへ」と笑った。
そしてまだポケットに4つ残っている小ビン全てを机の上に置く。


「皆さん、これを何か飲み物か何かに入れて飲んでください。アリスを使わせないようにはしますが、…最悪の場合のために。パーティーで乾杯する時に出すお酒に入れてください。一滴で十分です。後、遅れてきた方にも必ずお渡ししてくださいね。」


私がそういってソファに座ると、カツラギ大佐がコーヒーを全員分淹れて来てくれた。
ヒュウガが机の上に置いていた小ビンを手に取り、蓋をあける。


「甘い香りがするね。」

「はい。旧アリスにも新アリスにも効きます。」


透明のそれは少しだけ甘い香りがする。
優しい、澄んだ香りだ。


「名前は『ホワイトラビット』って言うんです。」

「アリスにホワイトラビットとは…」


何だか甘ったるそうな顔を参謀長官にされてしまった。
言いたいことがわからなくもないんですけれどね。
でもそれがいいかなって。


「白ウサギを追いかけてアリスが穴に置ちて世界から姿を消したように、私が生み出したアリスも消えてしまえばいいと思ったんです。」


物語は確かアリスの夢オチだったけれど、私のアリスは帰ってこないでずっと夢の国にいたらいいと。
叶わないことかもしれないけれど、そう願わずにはいられなかったのだ。


「一滴だけです。一滴だけで効果は十分にあります。誤って3滴以上入れてしまった場合の命の保障はしません。」


それだけ強い薬なのだ。
あのアリスに対抗できるほどの薬となると、一筋縄ではいかなかった。
一滴、一滴とコーヒーに入れていくカツラギさんの手元を見ながら、私は言葉を続けた。


「解毒剤というより中和剤ですね。アリスを吸う前でないと効き目はありません。薬の効き目は10時間。ホワイトラビットを入れたその飲み物を一口でも飲めばいいんですが…」


ハルセさんがコーヒーカップを手に取った。
そしてそれぞれが手に取っていく中、私は右手を突き出すように前に出した。

所謂『ストップ』というやつだ。


私の分のホワイトラビット入りのコーヒーもあるらしく、それを手に取ってカップの淵を指でなぞった。


「副作用があるんです。」

「え。」


コナツさんの素直な一言が漏れて、私は苦笑した。


「どんな副作用なんですか?」

「ホワイトラビットが効いている最中は毒はもちろん、薬という薬が効きません。」

「そ、それって…つまり、」

「はい、麻酔も効かないということです。大きな怪我をされた場合、麻酔なしで…」


コナツさんの顔があまりにも青いものだから、さすがにそれ以上言うのは憚られた。

それでも参謀長官とヒュウガが躊躇いもなくコーヒーを飲み干すのを尻目に見ながら、私はティーカップを眺めた。


痛いのは嫌だよね。
わかるよ。
わかるけどアリス吸ったら一貫の終わりですからね、コナツさん。


「アリスを発症したら誰であろうと斬るよ♪」


ヒュウガの物騒な後押しによって、コナツさんはコーヒーを飲み干した。
そして、残りの3人も。

私は一先ずホッとしたと息を吐いた。
これでより安全になったのだ。
嬉しくないはずがない。

各自が仕事に戻っていくのを見ていると、ヒュウガだけは私の隣に腰を下ろしてポンポンと頭を叩くように撫でた。


「お疲れ、あだ名たん♪」

「何だか疲れました…。」

「だろうね♪コーヒー飲まないの?」


私は持っていたままのコーヒーカップをテーブルの上に置いた。


「はい。喉も渇いてないですし、ホワイトラビットはここに来る前に自室で飲みましたから。」

「そっか☆」


ヒュウガは納得したように微笑んで、席を立った。
よかった、ヒュウガもいつも通り普通に接してくれて…。
あまりにも眠たくて、そして色んなことに安心したのか、私は一時間だけでも睡眠を取ろうと執務室のソファに勝手ながらも体を沈めた。

テーブルの上に置いたコーヒーはどんどんと冷めていき、やがては冷たくなった。

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