16



「…さん、名前さん、名前さん。」


優しく肩を揺さぶられて目が覚めた。
ゆっくりと目を開けると、いつもと違う天井にハッとして体を勢いよく起こす。
するとクラリと眩暈がして、私はソファの背もたれに腕を乗っけて目頭を押さえた。


「急に起き上がるからだよ〜。大丈夫?」


どうやら起こしてくれたのはカツラギさんのようで、ヒュウガが自販機で買ってきたと思われるオレンジジュースを手渡してくれた。


「はい…。すみません、今何時ですか?」

「16時10分ですね。まだ帰らなくて平気ですか?」


1時間も眠っていられなかったようだが、頭は先程よりスッキリとしている。
私はそんな頭を横に振った。


「そろそろ帰らないとマズイですね。」

エレーナが「どこに行っていたの!」と怒っていそうだ。
私は受け取った冷たいオレンジジュースに目線を下ろした。
先程のコーヒーはどうしたのだろうか。
せっかく淹れてくださったのに勿体無いことをしてしまったな、と思うけれど仕方がない。


「わざわざ買って来てくれたんですか??」


ジュースもお茶もコーヒーも揃っている執務室で自販機の缶ジュースというのは些か違和感さえ感じたけれど、今の私はむしろこっちのほうが安心して飲めた。


「ん♪さっきのコーヒーは冷めちゃったからね。起きたら喉渇くと思って♪♪」

「ありがとうございます。」


しかもプルタブまでしっかり開けてくれて…。
レディファーストだなぁなんて内心苦笑しながらも、私はそれを口に流し込んで嚥下した。
オレンジジュースを飲み干すと、私は急いで軍を出た。
街を駆けて帰ると、案の定エレーナが私の部屋で仁王立ちになって待ち構えていた。

エレーナはパーティードレスにも着替えていて準備万端といった様子だ。


「もうっ!どこに行っていたのよ!!」

「ごめんエレーナ。」

「例の男の人??」

「い、いや…えっと…その、う〜ん、あの、」

「…名前ちゃんったら色恋に対してわかりやすすぎるわねぇ。」


エレーナは「まぁいいわ。」とパーティードレスを数着私に差し出した。


「パーティーまで後2時間。時間がないからパパッと着替えてね。」

「え、ど、どれを?!?!」


少なくとも押し付けられた私の手の中には3着があり、ベッドの上には6着ほど広げられていて、壁にはハンガーに掛けられてそこにも5着ほどパーティードレスが並べてある。


「とりあえず全部よ。この中から名前ちゃんに似合うものを私が選りすぐってあげるんだからっ。」

「…これ全部…??え…、何、これ全部買ってきたの??」

「もちろんよ!名前ちゃんに似合うと思って選んでいたら、あれもこれも似合うと思ってね。そしたら似合うと思うものを全部買って、着せてから最も似合うドレスを選ぼうと思って。」

「……お金、無駄遣いだよエレーナ…」

「あら。名前ちゃんに使うお金が無駄なはずないわ。」


心外だとばかりに驚いたエレーナは私の手にまた一着乗せた。


「さ、早く着替えて?時間もないからね。」


エレーナ…、
正直、私どれでもいい。
なんて言えるわけもなくて、私は大人しくエレーナの着せ替え人形と化した。


「大体アリス使いに行くってだけなのに着替える必要ある??」

「えぇ。名前ちゃんのこういう姿を見る事ができる大事な行事だもの。」


…ぎょ、行事って…。
テロが行事って。


「アリスを使う20時までの3時間は踊って、食べて、楽しみましょ。」

「…」


これがテロを今から起こしに行く人物には到底見えない。
私はやはり長い長い夢でも見ているのかという気になってきた。

結局あれこれ着替えさせられて、「これがいいわ!名前ちゃんには淡いこの色が似合うわね。やっぱり天使そのものだわ!」と大げさに褒められて苦笑する。
その間もエレーナは手を止めることなく今度は化粧を施してくれて、髪をふわふわに巻いてくれた。


「よし、出来たわ。」


そう一人ごちたエレーナが私を鏡の前に立たせた。
ふわふわシフォンのパーティードレスは裾がひざ上なのに薄い撫子色のおかげか上品さが滲み出ている。
腰辺りに大き目のリボンがついていて、後ろを向けばふわふわひらひらなスカートが可愛らしく翻った。
肩甲骨がバッチリ見えているのは…まぁ、それくらいの露出は我慢しよう。

くるくると巻いてくれた髪にエレーナがスリーピンを付けてくれた。
右耳の上に付けられたスリーピンはビーズの刺繍が上品かつ可愛らしい。

エレーナは最後の仕上げとばかりに宝石のついたネックレスをしようと、今私がしているガラス細工のネックレスを取ろうとした。


「待って!これは付けてたいの。」

「あら、でもせっかく買ってきたのに…」

「お願い。気に入ってるから…。」

「ドロップ型のガラス細工っていうのも可愛いけれどねぇ…」

「お願いエレーナ。」

「…そこまで言うならしょうがないわね。このペンダントはまた今度付けて頂戴ね??」

「うん!」

「さ、もう後20分でパーティーが始まってしまうわ!急いがないとね。」

「招待状は??」

「ちゃんと持ってるわよ。ほら、ね?」


とエレーナが見せてくれた招待状には赤い染みが滲んで見えた。
…エレーナさん、ちょっとそれどこでどうやって手に入れたんですか。
それ返り血だよね?!?!
絶対返り血だよね?!?!


「どうしたの?そんなに不安そうな顔をして。この招待状で二名まで入れるから大丈夫よ??」


いえ、そうじゃなくってね…。


「ジュードはコネで手に入れたみたいだから、3人入れるわよ??」


そうでもなくてですね…。
あぁ、もう。
こっちの感覚までおかしくなってしまいそうだ。


「な、ならよかった。じゃぁ行こっか!」

「えぇ。きっとジュードはすでに外で待ってるわ。」


バックを掴んで部屋を出ようとしたエレーナと、私の前に一人の男が部屋に入ってきて立った。
あまり見たことのない男だから研究者ではないようだ。
エレーナに用事だろうかと首を傾げると、男は私を指差した。


「エレーナ様、名前様は裏切り者です。」


一瞬、何を言われたかわからなかった。
だけど思考回路は必死にどう取り繕おうか働いているようで、私は無意識のうちに「違う」と呟いていた。


「いいえ。名前様が軍に入っていたのを見ている者が多数います。」

「そんな急にやってきて、証拠もないのにっ、」

「名前ちゃん。」


真っ直ぐにエレーナの瞳が私の瞳を見つめた。
その表情は一言で表すと『無』だった。
にこりとも笑っておらず、怒っている節もない。
それが逆に私の背筋を凍らせた。


「名前ちゃん…、本当?」


初めてだ。
こんなエレーナの表情が私に向けられるのは。
いつもはアリスでの実験を行っている時だけだったのに。
それが今は私に向けられている。
本能が『マズイ』と警報を鳴らしているのに、私は動けずにいた。


「それとも、貴方が嘘をついているの??」


エレーナの瞳はスッと男に向けられた。


「貴方確か…最近入ったばかりだったわよね??名前ちゃんを陥れようなんてしていないわよね??」

「も、もちろんです!!」

「あらあら…。ならどちらかが嘘を吐いているということになるわねぇ。どうしましょう。」


エレーナは至極困ったように呟いて、悩み始めた。
このままではどちらが嘘を吐いているのかわかるまでこの話は終わりそうにない。


「エ、エレーナ。とりあえずパーティーに行こ??もう出発しないと遅れ、」

「そうだわ!」


エレーナは妙案が思い浮かんだとばかりに両手を合わせて叩いた後、バックの中から銃を取り出した。


ちょ、ちょ、ちょ!!
ちょっとエレーナ!
なんて物騒なもんバックの中に入れてんの!!


「貴方、死んで?」


銃口が男に向けられた。
エレーナのしなやかな長い指がトリガーにかかる。
男は既に腰を抜かして床に座り込んでいた。


「エレーナ!!!」


私は竦む足を叱咤してエレーナの腕にしがみ付いて銃口を男から外した。


「あら。どうしたの??」

「ダメだよ!何も殺さなくても、」

「だってこの男は名前ちゃんを陥れようとしているかもしれないのよ?」

「ち、ちがっ、私、私…その人の言うとおり軍に出入りしてるから!だからっ、」

「……そう。」


エレーナがスッと銃を下ろすと、男は一目散に部屋から逃げていった。


「名前ちゃんは優しいから。だからあの男が殺されそうになったらそう言うと思っていたわ。あの男が言っていることが嘘ならずっと『殺さないであげて!』って言ってあげてたでしょうね。でも名前ちゃんは…」


そっか。
…ハメられたんだ、私。
そう気付いた時にはエレーナは私に銃口を向けていた。
銃口の中は真っ暗で何も見えない。

未来さえも見えなかった。

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