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空中時間は意外と長かった。
文字通り飛び出してみたけれど、怖くて目を開けていられずただただヒュウガが受け止めてくれるのを待つ。
舌を噛まないように奥歯をしっかりと噛みしめていると落ちていく感覚が終わるのと同時に、抱きしめられる感覚がした。


「はー…あだ名たん、無茶しすぎ…」


ヒュウガの声が頭上でして、私は目を開けるなり微笑んだ。


「ナイスキャッチです、ヒュウガ。」

「何その全然反省してない感じ!」

「だってヒュウガが受け止めてくれるって信じてましたから。」


抱きしめられたまま自分が飛び降りた部屋を見上げると、見張りの男達が見下ろしていた。


「追いつかれる前に行きましょう。」

「……女の火事場の馬鹿力って怖い…。」


ヒュウガが苦笑しながら私をホークザイルに乗せてくれた。
彼は気付いているのだ、私の膝がまだ震えていることに。

今度は私が苦笑する番だった。


「歩けますよ。」

「うん、それでも一応ね♪」


ヒュウガの優しさを噛みしめていると、先程ヒュウガがいた位置より少し離れている場所に落ちたことに気がついた。

目を閉じていたからわからないけれど、ヒュウガは走ってくれたのだろう。
私の落下地点まで。
受け止めるために。
この人と居るたびに『愛おしい』という気持ちばかりが膨らんでいく。
どうしようもなく泣きたくなる。

二人乗り用のホークザイルに乗り込みながら、ヒュウガは私の頭を撫でた。


「会場であだ名たん探しても全然見つからなかったから、もしかしてって思って見に来て正解だったね☆それにしてもホントビックリしたよ。天使が堕ちてきたのかと思った。」


ヒュウガのセリフは、まるでエレーナに言われたかのように聞こえる。
私に翼なんてないのに。
あったとしても、きっと片翼の翼だけで飛ぶことなんてできないのだろう。

ホークザイルに乗ったヒュウガの腰にギュウッと抱きつく。


「あだ名たん??」

「行きましょう、ヒュウガ。」


もう時間がない。

しっかりとヒュウガの腰に腕を回して抱きついている時間は、先程の空中時間よりとてもとても短く感じた。
そんなはずないのに。

ホークザイルに受ける夜風は冷たいのに、その背中から伝わってくる温かさが異常なくらい私に沁みて、離れる時『もう少し』だなんて思ってしまったことは内緒だ。

ヒュウガの荒い運転にヨタヨタとホークザイルから降りながら気付いた。


「ヒュウガ、靴忘れました!」

「えぇ〜今更気付いたの?!?!オレあだ名たんが落ちてきたときから気付いてたよ。」

「えー!早く言って下さいよ!」


いくらドレスを着ていても靴がなかったらさすがにドレスコードに引っ掛かるだろう。
これじゃ門前払いされてエレーナを探すどころじゃない。


「確か貸衣装屋さんが来てたからそこで借りよっか。」


ヒュウガはそういうなり私を横抱きに抱えた。


「ぅ、っえ?!?!」

「はいはーい騒がなーい。」

「い、いやっ、恥ずかしいですからっ!歩けます!」

「裸足で?それこそ門前払いされるよ??」

「確かにそうですけど…って、見えます!見えますって!!」


どこがとは言わない。
私は必死に重力に従っているスカートの裾を手で押さえた。


「そうそう、ちゃんと押さえててね☆ピンクのレース見せたら怒るから♪」

「な、なんで知ってっ、ッ、見ましたね?!?!飛び降りた時見ましたね?!?!?!」


真っ赤な顔して騒いでいると、数人のポーター(入場者をチェックする仕事をしている人のこと)の視線を感じて私は口を噤むなり顔を隠すように、大人しくヒュウガの胸元に顔を埋めた。


「それが賢明だねぇ♪」


くそー!
ヒュウガってたまに意地悪だー!!!


そう叫びたい気持ちをグッと堪えて、私は扉を潜った。

ポーターからは疑わしげな目線を向けられたけれど、軍人であるヒュウガのパートナーだと思われたようで声をかけられることもなく入る事ができた。
パーティー会場はエントランスから真っ直ぐだが、ヒュウガは右に曲がり貸衣装屋が来ている小部屋にて私を下ろした。


「この子に似合う靴ある?」


…ヒュウガさん、私に似合うじゃなくてドレスに似合う靴でいいんですよ…。
なんかエレーナの男性バージョンが側に居る気がしてならない。


「えぇ、もちろんです。可愛らしいお嬢様、失礼ですがサイズをお聞きしても?」


靴がないという意味不明な現状なのにも関わらず理由も聞かずにニコニコと人の良さそうに微笑んでいる人にサイズを告げると、一旦奥に引っ込んでいったと思ったらすぐにドレスに似合った靴を持ってきてくれた。
たまたまドレスと同じ色があったらしい。
そんなに高いヒールじゃなくて助かったと内心ホッとしながら、私はそれを履いた。

お代はヒュウガが払ってくれた。
私、無一文なんです。

正直なところ監禁されてからここ5年程お金を触った事がありません。とヒュウガにこっそり言うと、さすがに思いっきり驚かれた。


「どこの箱入り??」

「だって使う機会なんてないんですよ。と、とりあえずお金ありがとうございました。えっと…返せる日が来たら絶対返します!」

「別にいいけど…靴くらい。」

「いや、でも、」

「ほっぺにちゅーしてくれたらそれでいいよ♪」


私はカツンとヒールの音をさせて一歩下がった。
この人、一体何を考えてるんだ。
前に『お互いの世界は別々でいい』とやんわりと拒否したのに、忘れてしまったのだろうか彼は。


「あ、あの、じ、時間っ!時間がないですよ!!」


あと15分でアリスが使用される20時になる。
私は不満そうなヒュウガを急かしてパーティー会場へと急いだ。


「貴様…この非常事態に今までどこに行っていた。」


地を這うような低くヒヤリとした声がすぐ側で聞こえた。
この賑やかな会場には似つかわしくない恐ろしい声だ。


「囚われの天使を助けに♪」


2人して振り向くなり、ヒュウガは軽口を叩いた。
私は状況を見て下さいとつい遠くを見てしまう。

このお怒りの参謀長官に軽口が叩けるなんてヒュウガってばある意味最強だと思う。
別名、怖いもの知らずともいうけれど。


「エレーナを見失った。」


参謀長官の言葉に私は絶句した。
エレーナを見失ったということは、すでにエレーナはここにはいないということか。
それともただ見失っているだけなのか。

この広い会場で特定の人物を見つけ出すのは些か難しいだろう。


「もしかして、もうアリス使われちゃってたりする?」


ヒュウガの言葉に私は首を横に振った。


「それはないです。」


きっぱりと言い切ったヒュウガの目が細められた。
何故言い切れるのか不思議に思っているのだろう。
無味無臭のアリスが何故使われていないとわかるのか。

わかるのだ。
この会場で私だけが一人。


「エレーナを見失ったのはいつ頃ですか?」

「つい先程だ。3分前に見失ったと連絡が入った。」


3分前…。
もしかしたらもう会場にはいないかもしれない…けど、


「参謀長官、ブラックホークの皆に伝えてください。これから私がすることにしばらく経ってもまだ驚く、もしくは動揺を見せる人物がいると思うので目を凝らして見ていてって。」

「何をする気だ。」

「急いでください。」


怪訝そうな顔をする参謀長官に微笑んだ私は急かして連絡を取らせると、そのまま近くの机に一人近寄った。

立食パーティーとはいえ小さな机の上にはたくさんのお皿やグラスが乗っている。
私はその机の白いテーブルクロスを両手で掴むと、躊躇なく思い切り引っ張った。

盛大に派手な音を立ててグラスや皿が床に落ちて割れた。


ガヤガヤとしていた人声も一瞬だけ何事かとピタリと止み、またガヤガヤとし始める。

皆の目線はグシャグシャな床と私に向けられている。
これだけの音をだせばこちらを見ない人なんていないだろう。
もしエレーナがいたら、嫌でも私に気付くはずだ。

そして息を飲むに違いない。
だって監禁しているはずの私がここにいるのだから。


「わっ、ごめんなさい!」


掃除するために急いで寄ってくる使用人の方々に「躓いてしまってつい引っ張ってしまったんです。」と謝る。
すると一人の使用人が怪我はないかと聞いてきたので「大丈夫です」と頷いた。

その頃には野次馬と化していた人達もすでにパーティーに気を向けており、私は何度か謝るとその場を後にした。


はー緊張した、とわざと人気のない場所へ行くと、右腕を細く白い手に掴まれた。


「…名前ちゃん」

「……エレーナ。」


来ると思ってたよ、エレーナ。

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