19
「名前ちゃん…貴女どうやってここに…。」
「抜け出すのはちょっとした特技みたいになっちゃってて。」
小さく笑うと、エレーナは「もう、馬鹿ね」と少し寂しそうに笑った。
「お説教は後でたっぷりするんですからね。でも一先ずここを出ましょう。」
エレーナが急いでいるという事はアリスは既にこの会場にあるということか。
20時まで時計の針は後3分に迫っていた。
「エレーナ、私…エレーナを止めに来たよ。」
「名前ちゃん、馬鹿なことを言わないで。」
「アリスはどこ?誰が持ってるの?」
「名前ちゃん、もう遅いわ。3分もないの。早くここを出ないと私たちまで撒き沿いに、」
「エレーナ。」
「……ダメよ。」
見つめあいながらどちらも一歩も引かない。
そんな状況の中、「名前、探し物はこれか?」と声を掛けられた。
振り向けば参謀長官は手に筒状のそれが握られており、見慣れたものだった。
エレーナが息を飲んだのがわかった。
「っ、それをどこで!」
「貴様は見失ったが、これを持っていた男は見逃していなくてな。名前が騒ぎを起こしてくれた時に乗じて捕縛させてもらった。」
男…??
ジュードだろうか。
考えていると、エレーナが私の手をさらにキツく握り締めて走り出した。
私は最初こそそれに引っ張られるように走ったけれど、すぐに一緒に走る。
「エレーナ…。」
逆にエレーナの手を握り返す。
後ろを振り向けばたくさんの軍人が追ってきていた。
狭い通路で私はポケットから取り出した催眠ガスを走る途中で放り投げ、角を曲がる際には十数人が床に眠り倒れていた。
私とエレーナは互いに互いの手を握り締めて必死に走り、人気のないところまでくると適当な部屋に入った。
そこは客室のようで綺麗に整えてある。
エレーナが鍵を閉めている内に私は窓側へと駆け寄り、何階かを確かめた。
「名前ちゃん、降りられそう?」
「3階だから…無理かも。でもシーツを[D:32363]げて降りればなんとか…」
5階よりは絶対マシだと思う。
だけどこの提案も虚しく扉の前には追ってきた軍人の足音が聞こえ、窓の下には10秒と経たないうちにたくさんの軍人が逃走経路を確保した。
その中心には参謀長官の姿。
さすが、仕事がお早いことで。
「仕方ない、か…。」
ここで私の計画を実行するつもりはなかった。
できることならユキのお墓の前で…。
「エレーナ…」
どうしようかと思案しているエレーナに声をかけ、振り返ったエレーナに優しく微笑んだ。
「どうしたの??」
「死のっか。2人でさ。」
怪訝そうに首を傾げるエレーナに一歩、また一歩と近づく。
「どうせすぐに突入してくるよ。」
私たちは人質をとっているわけでもなんでもない。
今すぐに突入されてもおかしくはないのだ。
今まだ突入してこないところをみると、参謀長官が何かを企んでいるんだろうけれど。
誰かに私の計画を壊される前に…。
その前に。
「私たちは道を間違えたんだよ。多分、5年前よりもっと前から。」
きっと、私が産まれたその瞬間から。
エレーナの異常な執着は私のせいだから。
だから一緒にね。
「名前ちゃん、そんなこと許さないわ。」
「えぇー。最期まで私に甘いエレーナでいてよ。」
私が小さく苦笑すると、エレーナはバックの中から銃を取り出した。
それを数時間前と同じように突きつけられる。
だが、今は外しようがないほどに2人の距離は近い。
「変な事企んじゃダメよ、名前ちゃん。」
「エレーナこそ。打てないのに銃なんか向けちゃダメだよ。」
「打てるわ。」
「打てないよ。さっきだってわざと外したじゃない。私を殺すタイミングなんていっぱいあったじゃない。でもそうしないのはエレーナが私を殺せないから。違う?」
「…名前ちゃん、ダメよ。ダメ…」
駄々を捏ねる子供に言い聞かせるような口調で、私は小さく笑ってしまった。
「エレーナ、死のうよ、2人で。」
私はユキが死んだってわかった時点でその覚悟をしていたよ。
だからあの人の想いも受け入れられなかったし、自分のこの気持ちも押し殺したんじゃないか。
「…名前ちゃん……」
エレーナが私の名前を呟いた瞬間、鍵をしたはずの扉が蹴り破られた。
次いでザイフォンがエレーナの銃を弾き飛ばした。
銃が窓際に落ちたのを見て、私は蹴り破られた扉の方に目線をやった。
辛うじて扉としての役目は保てそうなほどだが、少しガタついているように見える。
その扉を蹴り破った張本人は、廊下に溜まっている軍人に入ってこないように告げるなり部屋に入ってきて扉を閉めた。
「すごい状況だねぇ2人とも☆」
ここまでしておいて何故突入しないのか不思議だ。
降伏しろと言いに来たのか??
それにしても入ってきたヒュウガは余裕そうだ。
「美人が2人揃って死ぬとか勿体無いよ??♪」
ヒュウガは窓際に立って銃を拾うなりそれを窓の下にいる参謀長官に投げた。
「さ、あだ名たん、どうやって死ぬのかな??」
ヒュウガは先程の銃を、エレーナに取り上げられた私のものだと思っているようだ。
「…やっぱりブラックホークに依頼したのは間違いだったみたいですね。」
特にヒュウガには。
貴方は私の心だけじゃなく状況までもめちゃくちゃにしてくれる。
「でも、会えて嬉しかったです。」
私はヒュウガに近づくと思い切り後ろに押した。
まさか突き落とされるとは思っていなかったのだろう。
開かれたままの窓からヒュウガが落ちていく。
5階から飛び降りて平気な人が3階から突き通されたって平気だと思ってのことだ。
ヒュウガが無事に地面に着地したのを見届けると、私は窓を閉めて胸元のペンダントを引きちぎった。
「エレーナ、好きだよ。」
ドロップ型のガラス細工のを握り締めて呟くなり、それを地面へと叩きつけるように投げ捨てた。
中が空洞のため簡単に割れたそれ。
パリンと高い音が耳に聞こえた。
「名前ちゃん、貴女何を…」
不審に思っているエレーナは、一歩踏み出したところで急に頭を抱えて蹲った。
「名前ちゃん…もしかして…」
頭痛に苛まれているエレーナは自分の様子にピンと来たようだ。
「うん、アリスだよ。」
ガラスの空洞部にアリスを入れて、いつも持っていた。
だから皆怪しみさえしなかったんだ。
旧アリスのほうだから大丈夫だよ。
狂ってもすぐに死ぬから。
発症には少しだが個人差がある。
でも私もすぐに頭痛がしてくるんだろう。
この部屋にはすでにアリスが充満している。
ヒュウガを追い出したのは一応のためだ。
まだホワイトラビットは完成したばかりだから、私がわからないこともまだあるだろう。
私は蹲るエレーナに近寄り、そっと背中に腕を回して抱きしめた。
「アリスにはさ、ある意味私達の5年間が詰まっているんだよね。」
「っ、ぁ…」
「もっと出会い方が違ったら、私に才能なんてなかったら、血は繋がっていないけれど可愛い妹で、優しい姉でいられたかもしれないね。」
苦しむエレーナの背中を撫でる。
私もエレーナのように…
そう思っていると、ひんやりとした夜風が入ってきた。
不思議に思って顔を上げると、閉めたはずの窓にはヒュウガが足をかけていた。
「無駄だよあだ名たん。あだ名たんは死なない。オレが死なせない。」
そう言ってヒュウガがポケットから取り出したのは、私が作ったホワイトラビットだった。
「私、それ飲んでないもの。」
「飲んでるよ。オレが飲ませてる。」
嘘だ。
だって私はあのコーヒーには口をつけてなんて……
……
『さっきのコーヒーは冷めちゃったからね。起きたら喉渇くと思って♪♪』というヒュウガの言葉と笑顔が脳裏を過ぎった。
「…もしかして…、あの、オレンジジュースに…」
「オレ、あだ名たんと約束したよね。あだ名たんを助けるって。だから、あだ名たんがどんなに嫌がっても助けるよ。」
そうか、珍しく缶ジュースだったのは私の警戒心を解くためだったのか。
プルタブだって開けてくれたのは親切心からだと思っていたのに…。
ホワイトラビットを入れるため…。
「……そんな…」
「ぅ、…っ、う、ぅ…」
エレーナのうめき声にハッとして私はエレーナの顔を覗き込んだ。
「エレーナ…」
頭痛の次は吐き気に苛まれている。
完全にアリスの症状だ。
そして一分後には幻覚症状が…
「エ、エレーナ…私、私、」
私も死のうって…覚悟してて…
「名前ちゃん…いいの…。よかった…貴女は死ななくて…。人を殺した私が言うのも可笑しな話かもしれないけれど、お願い、生きて。名前ちゃんは生きて。」
「イヤだ!!」
勝手だよ。
そんなの勝手だよ!!
「ユキくんや私の分も…生きてちょうだい。っ、貴女だけなの…。人を殺しても何とも思わない私が…っ、生きて、ほしいと思うのは…、名前ちゃん、っ、だけなのよ。」
エレーナが私の頬に手を添えていつもの笑みを浮かべた。
辛そうだけれど、それでも必死に笑みを浮かべて。
私の涙が、頬に添えられているエレーナの手を通り、手首、腕へと滑り落ちていっている。
「私の…可愛い天使…。そのドレスとっても似合っているわ。」
エレーナのドレスはどんなだったっけ??
滲んで見えないの。
ねぇ、見えないの。
「あぁ、全部終わったらお買い物に行く約束だったわよね?お化粧して、可愛いお洋服買いに行きましょ…。それから…貴女の好きなクレープを食べて、……名前ちゃん…名前ちゃん……名前、ちゃ…」
もうダメだ。
幻覚症状に苛まれそうになっている。
次に来るのは、恐怖心から来る殺人衝動。
その前に…安らかに…。
「…ヒュウガ、お願い、できるだけ痛くないように…お願い。」
エレーナの手に自分の手を添えた。
「うん、わかった。」
ヒュウガの返事が聞こえて、そして数秒後には肉を貫く微かな音も聞こえた。
「エレーナ、大好きだよ。」
願わくば、今度こそ貴女の妹に生まれ変われますように。
貴女が私の姉でありますように。
私の握っているエレーナの手から力が抜け、スルリと床に落ちた。
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