20
星空がとても綺麗だった。
朔の宵で月が出ていないためか瞬く星がいつもより一層輝いて、たくさんあるように見える。
皮肉なものだ、月がないから見える小さな星もあるなんて。
星空を見上げる事もなんだか疲れてしまって、私は気だるげにソファに深く座った。
ここはどこだろうか。
エレーナが死んでしまってからすぐに軍の人達が駆け込んできて、エレーナが連れて行かれるのを見ていたらヒュウガが私を何も言わずにこの部屋に連れて来てくれた。
その本人であるヒュウガは「すぐ戻ってくるよ」と言い残して出て行ってしまったけれど、数時間が経った今もまだ帰ってこない。
多分仕事の処理に追われているんだろう。
瞼がやけに重たくて、そっと目を閉じた時だった。
ガチャリと扉が開かれて参謀長官とヒュウガが入ってきた。
私は瞳こそ開けたけれど立ち上がりはしなかった。
それすら億劫に感じたのだ。
「…自室に重要参考人を匿って何を考えてるんだ貴様は。」
「ほら〜だって大事な人が死んだって時に尋問なんて受けれる気分じゃないでしょ??」
ヒュウガが私を匿っているということは、ここはヒュウガの部屋なのだろうか。
広くて、でも生活感はあまりない。
無駄に綺麗に片付いているし、…あぁ、グシャグシャなのはベッドだけか。
どうせ起きてそのまま仕事に行っているんだろうなぁと容易く想像できた。
「大丈夫ですよ。全部、お話しします。ちゃんと、話せますから。」
気だるいだけで頭は嫌味なくらいにスッキリしているのだ。
エレーナは死んだのに私は生き残っていて。
そしてこの5年間に終止符が打てたのだと。
小さく笑ったつもりなのに、参謀長官は眉間の皺を増やして、ヒュウガは見てられないとばかりに私から目を逸らした。
「…ヒュウガ、明日の9時まで預ける。」
「りょーかい♪」
参謀長官はそれだけ告げるなりこの部屋を出て行った。
残された私はふぅ、と息を吐いてまた瞳を閉じる。
「迷惑かけてごめんなさい。」
「迷惑だなんて思ってないよ。何か飲む?」
小さく首を横に振れば、ヒュウガは私の隣に座った。
何も言わず、ただ側にいるだけ。
私もしばらくはそのままでいたけれど、少しだけ彼の方に体を寄せて頭をこてんと預けた。
ヒュウガはそんな私の頭を3回ほど撫でただけで、やっぱり何も言わなかった。
涙は出ない。
さっき嫌というほど泣いたから。
無駄に冴えている頭でずっと考えていた。
これから私はどうなって、どうしたらいいのか。
「あの、ヒュウガ…。」
「ん??」
「私、明日どうなるんですか??」
目線だけをヒュウガに向けると、ヒュウガは私の事を見下ろしながら長い足を組んだ。
「ん〜とりあえず5年間のことは聞かれるだろうねぇ。あとアリスのこととか、ホワイトラビットのこととか…多分嫌になるくらいたくさん。」
「それは…あの5年間と同じくらい長そうですね…。」
「だね。第一区のあちこちにある研究所や開発所は一先ず立ち入り禁止されてるよ。今はまだアリスを懸念して陽が出てから突入することになってるけど。」
「中に居る人達はどうするんです??研究者の中には拉致された人もいるんです。」
「その人達も事情聴取して、害がなさそうだったら家に帰してあげられると思うよ。多分、時間はちょっと掛かると思うけど。」
結構大きな事件になっちゃったからねぇ、とヒュウガは苦笑した。
確かに今回の事件は大きい。
新科学兵器のアリスに大量虐殺。
それも奇異的だ。
恐らく歴史に刻まれるほどの。
エレーナのことはきっと絶対的な悪者で人々の胸に刻まれるのだろう。
優しかったエレーナとの日々なんてどこにもなく、あの優しい声や微笑みを覚えていられるのは私だけ。
だって時として歴史には絶対的な悪が必要だから。
小説でも同じだ。
悪がいて正義がいる。
正義が居るからこそ悪が成り立ち、悪が居るからこそ正義が存在できる。
光と影のような存在。
お互いになくては存在できない。
この場合エレーナを悪と説くのなら、ヒーローは軍なのだろうか。
それとも、エレーナを殺した私でありアリスなのだろうか。
少なくとも私がヒーローであるという認識を私自身していないし、してほしくない。
だって私はアリスを作った張本人なのだから。
結果がどうであれ、私がアリスの生みの親だという事は変えられようも無い事実。
「ヒュウガ…私、さっきずっと一人で考えてたんです。」
悪と流布されるであろうエレーナに言われた言葉がずっとずっとずっと、頭から離れない。
何度も何度も何度もリフレインされるのだ。
思い出したくないわけではないけれど、今思い出すのは正直なところ辛い。
どんなに辛くても私はきっとこの日を忘れることはないのだろう。
「エレーナは私に生きてって言ったけれど、やっぱり私には生きる価値を見出せないんです。」
昔は価値なんて考えずにただ毎日を生きていたけれど、5年の間に染み付いた生活の癖はなかなか直りそうにはない。
私の価値は『エレーナの妹』であって『アリスの研究者』だったのだから。
その二つが失われた今、私のどこに価値があって生きる事に意味があるのか。
道は見えない。
俯いた私の肩をヒュウガはそっと抱き寄せた。
「価値??そんなのいっぱいあるでしょ??例えば…」
「例えば?」
「オレと恋をして愛されるとか♪」
「……懲りませんね、ヒュウガって。」
何度拒否してもこの人は私を追ってくる。
……いや、違うか。
私の前をこの人が歩いているんだ。
そして時よりこうして振り返って手を差し伸べてくれる。
きっとその手を掴めば一緒に歩いていけるのだろう。
「でもヒュウガのオレンジジュースには負けました。」
「いやーあだ名たんのアリスをあんなところに入れてるのにもビックリしたよ☆」
「一応警戒はしていたんですよ??でもどうして私がホワイトラビットを飲んでいないってわかったんです?」
「態度かなぁ♪前にも言ったでしょ??オレ、そんなに鈍感じゃないって。」
せっかく空気を変えようと話題を逸らしたのに、逸らさせないとばかりにヒュウガは話を戻した。
次いで私の頬に手を添えてくる。
左手で肩を抱かれて、右手で頬に手を添えられて。
こんなに近づかれたら緊張する。
「あだ名たん、前に行きつく先が同じだと嬉しいと思うって言ってたよね?しばらく考えてみたけどさ、オレはやっぱり嫌だよ。」
「い、嫌って…。」
目線を逸らそうとしたけれどヒュウガの顔が近づいてきて、真っ直ぐに見つめられては逸らす事さえ躊躇われた。
ヒュウガの瞳がサングラス越しに見える。
「オレは嫌だ。あだ名たんが欲しい。思いっきり可愛がってたまに意地悪して、んで恥ずかしがられるくらい愛したいし愛されたい。」
「…」
「あだ名たんが守りたいものはオレも一緒に守りたいし、あだ名たんにしたいことがあるんなら側で支えてあげたい。足枷になってるものがあるなら言って?オレがその足枷外してあげるから。」
私は小さく首を横に振った。
ないのだ。
私にはもう、何もない。
あるのは自由、それだけ。
「もう、足枷なんてないです…。エレーナは死んでしまった。私には足枷なんてない。でもそれと同時に行く当てもないんです…。あんなに自由が欲しかったのに、いざ自由になると怖くてたまらない。自由が切なくて、こんなに悲しいものだったなんて…。お願いです、今の私に優しくしないで…」
自由がこんなに切ないものなんて、初めて知ったの。
私は所詮、飛ぶことも儘ならず片翼の翼しか持たない天使の成りそこないだ。
「悪いけど、オレには好都合だね。女性が弱ってる時に口説くなんてフェアじゃないかもしれないけど、オレはオレのものにできるチャンスがあるなら今だって口説くよ。だからあだ名たん、オレを好きになって?オレ、あだ名たんのこと好きだから。」
何もなくなった私には、彼の想いを受け止めることを思い留まらせる枷はない。
前とは違う。
心のままに動いていいのだ。
それが自由。
心の自由。
私はギュッとヒュウガの服を握った。
私なりの返事だったけれど、ヒュウガは「ダメ」と呟く。
「態度はもういいよ。ほら、息吸って。言葉ちょうだい?」
エレーナを殺した私は嫌いだ。
アリスを作った私は嫌いだ。
私は私自身を嫌いだ。
そう思っていたのに。
どうしてだろうか…、
「……もう、とっくに好きですよ。」
貴方を愛している自分が誇らしくて好きになれる。
そうしたらもっと貴方のことが好きになるのだからとっても不思議だ。
何だか幸福の無限ループのようだと思いながら、そっと降ってくるヒュウガのキスを受け入れた。
あぁ、もうすぐ夜が明ける。
おやすみ、エレーナ。
またいつか、どこかで。
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