21
「名字さん、これはどうしたら…」
「えっと、そこのビーカーの中に入れて置いてください。これができたら混ぜておきますね。」
「わかりました。」
私は持っていたスポイトを置いて、先程私の苗字を呼んだ彼の作った液体に、私の作った液体を混ぜた。
私はそれをビーカーごと棚に入れると手を洗い、白衣を脱ぎながら明日はあの液体にあれをいれて試してみよう…などと頭の中で予定を立て、研究室を出た。
「あだ名たん、」
私の帰りを待っていたかのように研究室の前の壁に寄りかかっているヒュウガが手を振った。
「もう終わったんですか?」
「ん♪」
「またコナツさんに押し付けて来てませんよね??」
「……。さ、約束通りご飯食べにいこっか☆」
「ちょ、今の間なんですか?!?!?!」
ツッコミを入れる私に「いーからいーから♪」と腰に腕を回してくるヒュウガをジト目で見上げると、誤魔化すように唇にキスが落とされた。
ずるい。
そうやって誤魔化すヒュウガはずるい。
わかっていてもこうして何度も誤魔化されてしまう私は甘いなぁとため息を吐いた。
エレーナが死んで3ヶ月が経った。
エレーナの起こした事件は新聞でも大きく取り上げられた。
元々最初の図書館での事件も大きく扱われていたのだから、その首謀者が次の事件を起こそうとして死んだのだ。
新聞の一面はごく当たり前だった。
それも次第に小さな記事へとなっていき、次々に起こる事件にかき消されていっているのも事実。
今となってはどの新聞にも載っていない。
こうして人に忘れられていくんだと思う。
そしてたまに『何年前にはこんな事件がありました』なんて思い出したようにドキュメンタリーなんかになって。
でもそれもまたどんどんと人々の記憶からは薄れていくんだろう。
犠牲は少なくなかった。
第三者が忘れていっても、きっと犠牲者の家族は忘れはしないだろう。
忘れてほしい事件だけれど、私も忘れたくないと思った。
エレーナのしたこと、優しい笑顔や声。
ユキのこと、アリスのこと。
もうこの世界にアリスはないけれど、それでよかったのだ。
あの殺人兵器は世界に必要ないから。
私はエレーナの死んだ次の日をふと、思い出した。
『えっと、どうしてカツラギさんが…??』
エレーナが死んだ次の日、参謀長官が仰られた通りに、朝9時にヒュウガによって連れてこられたのは見慣れつつあるブラックホークの執務室だった。
いつも私が座るソファに座らされて、目の前にはカツラギさんが座る。
『先日の件で素早く動けたからと、この一件はブラックホークが任されることになったんですよ。名前さんのおかげですね。』
『…いえ…お互い様ですし…。』
『どうですか?少しは眠れましたか??』
『はい…。』
と言ってもほんの2時間ほどだけど。
寝たというよりはいつのまにか眠っていたと言った方が正しいかもしれない。
ヒュウガに抱きしめられて、そのまま眠っていたんだから。
『それはよかった。』
にこにこと微笑んでいるカツラギさんに和むけれど、そんな状況でないのはわかっているので気を引き締める。
『そういえばアヤたん達は??』
一緒に執務室にやってきたヒュウガが、私の隣に座りながらカツラギさんに問いかけた。
緊張していて気付かなかったけれど、参謀長官やハルセさんにクロユリくんの姿がない。
『今朝方、一区で爆発事件があったらしく、それの指示をしに。』
『ふ〜ん。』
ヒュウガが興味なさそうに鼻で返事をしている中、私は俯いてギュウッと両手を握り締めた。
『さて、話しが逸れてしまいましたね。本題ですが、』
『は、はいっ。』
話しが逸れたというより私の気が逸れていたといったほうが正しい。
私は顔を上げてカツラギさんに視線を向けた。
『名前さんのアリスを作ったことに関する件ですが、この件に関しては外部に伏せておく事になりました。』
『…え??』
これから厳しい事情聴取取られて、アリスを作ったとして裁かれるのだと思っていたのに拍子抜けだった。
それはつまり、私の罪を問わないということになる。
私がブラックホークの人達と顔見知りだからこんなにも優しい処置をするのだろうか。
私だけが、無実なんて許されるはずがない。
『だ、ダメです!』
『勘違いなさらないで下さいね。外部に名前さんがアリスを作ったと情報を漏らしてしまうと、またその知識を悪用しようとする人間も多く出てくるでしょう。それらを懸念してのことです。』
厳しい言葉の割にはとても優しい微笑みだった。
『で、でも…』
『また拉致されてアリス以上の殺人道具を作らされて、人を殺して欲しくないでしょう??』
『そうですけど…』
『まぁ、理由はそれだけではないんです。』
我々も一先ずは監視下に置きたいと思っていますしね。と言葉を続けたカツラギさんは指を組んだ。
『名前さん、アリスを作らされて、そのアリスで殺された人達以上の命を、救ってみる気はありませんか?』
言っている意味がわからなくて首を傾げる。
『今、軍の研究室ではとある化学兵器の解毒薬を作ることに手を焼いています。正直、軍は名前さんの持っている知識や才能をここで手放すには惜しいんですよ。』
『それって…つまりその解毒剤を作るのを手伝えってことですか?』
『そうなりますね。この話しが出る前は少なくとも向こう3年は軍に居てもらって、外出は禁止で四六時中監視をつけるという厳しい処置を取らなければならないとなっていたんですが、名前さんが3年間軍の研究を手伝ってくださるのでしたら、自由を差し上げるとこのことです。』
『それは参謀長官が?』
『はい。』
気難しい人だけれど、やっぱり意外と優しい人だ。
何もせずに軍に3年間缶詰状態と、3年間解毒薬を作るのを手伝う代わりに自由に外へも遊びに行ける。
私がどっちを取るかなんて、きっとこの場に居る誰もがわかっているだろう。
『私でよければ喜んでその解毒薬を作らせていただきます。』
3年もの間に私に作れるだけの解毒薬を作ろう。
それが生き甲斐になった時は、そのまま居続けるのもいいかもしれない。
結局、私の生きる術なんてそれしかないのだから。
『では決定ですね。部屋を一室用意しましょう。こちらの状況が落ち着く3日ほどはゆっくりしていてください。』
カツラギさんは満足そうに頷いて立ち上がった。
どうやら話はこれで終わりのようだ。
『あだ名たん、寂しくなったらオレの部屋に来てもいいよ☆』
『ありがとうございます。』
『特に夜だったら大歓迎♪』
『そうですか、昼間ですか。わかりました。』
ヒュウガのセクハラをあっさりと流しながら私は背もたれに寄りかかった。
2時間だけの睡眠は辛い。
そうした時、ガチャリと執務室の扉が開いて残りの3人が帰って来た。
『お疲れーアヤたん♪』
『あぁ。』
ヒュウガに返事を返しながら参謀長官が視線をこちらに向けてきたので、私は立ち上がるなり頭を下げた。
ごめんなさいとかありがとうとか、いろんな想いを込めて。
『これからよろしくお願いします。』
『…そうか。わかった。』
お互いに何をとか何がとか言わなかったし聞かなかった。
『爆発事件ってどこであったの??』
『第一区に散らばっていたエレーナのアリスの研究所や生産所全てだ。』
『へぇ、何か今回の件と関係ないわけはなさそうだねぇ。』
『あぁ。日の出と共に爆発した。アリスを懸念してこちらが日の出に突入しようとしている我々の前でだ。』
忌々しいとばかりに参謀長官の瞳がスッと細められた。
『おかげでアリスは一つも残っては居なかった。研究の資料も残らずだ。』
『爆発で漏れ出たアリスは日の出の太陽の光で消滅かぁ。誰の仕業なんだろうねぇ♪』
『ご丁寧なことに爆薬の量がしっかり研究室だけ爆破される量だった上に時限式のようだったが…誰かはわからぬ。これから調べに、』
参謀長官は言葉を止めた。
恐らく私が右手を上げているのを視界に捕らえたのだろう。
ヒュウガやカツラギさん、とにかくもうブラックホークの皆の視線を感じている。
『貴様…もしや…』
『えっと…その爆発の犯人…私、です。』
アリスはいらないから。
不必要なものだから。
あれを作れたのは私一人。
他の研究員でさえアリスの情報は与えられていなかったから、私が作らない限りはもう存在しない。
そして作る気がないので二度とアリスにお目にかかる日は来ないだろう。
『明朝で奇跡的に怪我人は一人もでなかったといえ、器物破損だな。』
『…すみません。』
『だが名前のしたかったことがわからないでもない。…この爆発はアリスの改良実験の最中での爆発ということにしておくか。』
『アヤたんってばナイスアイディア♪』
『報告書は貴様が書け。』
『えぇ〜オレ?!?!?!』
私はヒュウガが心底嫌そうにうな垂れたのを見ながら、その日はやけに色んなものが真新しく見えた。
太陽の光でさえ新しく感じたのを、3ヶ月経った今でも覚えている。
「あだ名たん何が食べたい?」
「和食がいいです。」
「あーいいねぇ。刺身食べたい、刺身。」
「いいですね。」
陽が暮れた街を手を繋いで歩く。
最初こそ手を繋いだりキスしたりする行為は恥ずかしくて困ったけれど、今は私から手だって繋ぐし…キスはまだ私からはできないけれど、赤くなることなく受け入れることだってできるようになった。
たった3ヶ月。
されど3ヶ月。
こうして側にいてくれる大切な人がいる。
それを幸せだと思うことができる自分がいる。
自分自身の価値を見出せているのかはやっぱりまだわからないけれど、それでも私が死んだら悲しむ人がいるって知ったから。
私はまだ彼とこうして手を繋いでいたいのだ。
「あだ名たん寒くない?」
「大丈夫ですよ。手、繋いでるから。あったかいです。」
はにかみながらそう言うと、ヒュウガは数回頭を掻いた。
「あー今ものすごくちゅーしたい。」
「はいはい、帰ってからですね〜。」
街中でなんてできないとばかりに流しておいた。
満腹になって部屋に帰るころには、きっと我慢してた分のキスの雨が降るのだろうと予測しながら。
- 22 -
back next
index