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「お疲れ様でした!」


今日は研究のキリがよかったから夕方には仕事が終わることができた。

いつもより早く終わったのが嬉しくて、一週間前にカツラギさんに教えてもらった茄子味噌炒めとなますに挑戦してみようかなぁ、なんてウキウキと考えながら研究室を後にする。


すると私とは別の研究チームリーダーのユリアさんが背後から私の肩を叩いて並んだ。


「お疲れさま、名前。」

「お疲れ様です、ユリアさん。」

「なぁに〜ニマニマしちゃって。怪しい人みたいよ??」


ユリアさんは研究Aチームのリーダー。
まだまだ新米の研究Cチームリーダーの私によく世話を焼いてくれる人。

…というか、敵の多い私の友人というか、良き先輩というか、お姉さん的存在というか。
まぁ、そんな人だ。

少しお節介すぎるところがあるけれど、根はとてもいい人。

人の嫉妬や妬みを一身に受けている私に優しくしてくれる数少ない人でもある。


「今日はいつもより早く上がれたから嬉しいんです。」

「あぁ、あれでしょ。研究所で噂になってる彼と会えるからでしょ??」


くふふ、と笑うユリアさんはお節介を通り越して、一人井戸端会議のおば様状態だ。


「そ、そういうわけじゃ…」

「もー赤い顔して否定するなんてかーわいーわねぇー。おねーさんチューしちゃう。」


冗談めかして顔を近づけてくるユリアさんに「もー」と笑いながら抵抗する。

研究所のムードメーカー的存在である彼女はこんな悪ふざけもするけれど、実はかなりすごい人だ。

歳はエレーナより少し上のようで30近いようだ。
実年齢は教えてくれない。

本人は歳のことを聞かれると「もう歳を聞かれたくないくらいの年齢だけど、心はいつまでも18歳よ。」とウインク付きで答える。

ホント、自他共に認める中身が若い人だ。


「いーわねぇー名前は彼氏がいて。」


2人自室の方に向かいながら歩き始める。


「ユリアさんはいないんですか?」

「いないわよー。2年ほどフリー。誰かいい人紹介してー。」


肩を組まれて叫ぶユリアさんに私は苦笑しながらもしっかりと考える。

美人なユリアさんにつり合うような人…

正直私は男性の知り合いは少ないので思い浮かぶ人はほとんど限られている。


「…参謀長官とか…?」


言ってみて思った。
性格真逆みたいな2人だ。


「名前ってば冗談きっついわー。言っておくけどブラックホークと仲良くやれてるのなんて名前ぐらいよ??」

「皆優しいですよ??」

「うんうん、名前はいい子だねー。」


よしよしと頭を撫でるユリアさんに私はもう一度苦笑した。
エレーナとも真逆みたいな人だけど、こういうところはとても似ている。

私がユリアさんに懐いているのも、ユリアさんがどこかエレーナに似ているからなのかもしれない。


「紹介してなんて言ったけど、実は好きな人がいたりはするのよねー。今から会う予定なのよ。明日もずっと居てくれるって言ってくれたし。」

「そうなんですか??同じ研究所の人…とか??」


嬉しそうに頬を緩めていたユリアさんは、私の問いに少しだけ驚いたような表情を見せた。


「へぇ、名前って恋バナとかするんだ。」

「するっていうか…気になるといいますか…」

「ちょっと意外だなー。名前って恋愛にはクールに見えてた。」


私はキョトンとして首を傾げた。


「クール…ですか??」

「うん。恋愛に盲目になりきれてないっていうか、…んーまぁそんな感じ。」


盲目になりきれてない…か。
なんだかその言葉が重たい。


「私、ちゃんと彼のこと好きですよ??」

「知ってるよ。名前にあんなニマニマした顔させられるのって多分彼だけでしょ??」

「…そんなにニマニマしてました??」

「鏡持ち歩きなー。変人扱いされる前にね。」


そんな、変人だなんて…。


「名前はさぁ、仕事が優先でしょ?」

「え?」

「彼とセックスしてても『明日仕事だから早く寝なくちゃ』なんて考えちゃうでしょ?ってこと。」


セ、セック、って、ちょ、ユリアさん…こんな誰でも通れる通路で…。


「当たってる?」

「…すみません。あの…してない場合はなんて答えたらいいんですか…」


数秒間の間があった。

急に立ち止まったユリアさんは時が止まったかのように瞬きすらしていない。


「…え、名前、今なんて…?してない?してないっていった??あのヒュウガ少佐と?!?!?!?!え、何、あの人意外と奥手なのっ?!?!うっわうっわ!見かけに寄らないっていうか、それとも何、それくらい大事にされてるの??付き合って3ヶ月って前に言ってたよね?マジで?マジで?へー今時珍しいもん見たー。」


ぐわんぐわんと肩を掴まれて揺さぶられながらマシンガントーク。
と思ったらその後にジロジロと全身を見られる。
何だか珍種の動物にでもなったような気分だ。


「あの、してないのって…そんなに変ですか??」

「変っていうか…。」

「…その、えっと、その行為に何の意味があるんですか??」

「…あーなるほどね。うん、ヒュウガ少佐が名前に手を出さない理由がなんとなくわかった気がする。」

「理由、ですか??」

「あのね、言葉だけじゃ伝わらないものってあるでしょ?そういうのを伝えるためにも私はセックスは必要だと思うのよねー。」

「…はぁ、そんなものですか??」

「そんなものよー。一度してみるといいわ。そしたら多分私の言ってる意味、わかるから。今晩にでも誘ってみたら??じゃーね。」


いつの間にやらユリアさんの自室の前に来ていた様で、そのユリアさんは話は終わったとばかりに後ろ手で手を振りながら部屋へと入っていった。


「……変な人。」


嫌いじゃないけど、変な人だ。


「…あ、結局ユリアさんの好きな人聞きそびれた。」


そんなに深く聞いて欲しくない人なのかも知れないし、また機会があったらでいいか。と自室に戻って考えていた料理を作る。

少し焦げたけれどそれはご愛嬌。

出来上がった頃にちょうど帰ってきたヒュウガも『美味しいよ』と言ってくれたから良しとしよう。

お風呂を沸かしている間に、2人ソファに並んでテレビを見ながら食後のコーヒーを啜る。

あまり面白いテレビもあってなくて、ヒュウガはチャンネルを変えてばかりだ。


私はというと、正直悩んでいた。

夕方に言われたユリアさんからの言葉たちに。

盲目になりきれてないとか、キス以上のことをしたらユリアさんの言いたいことがわかるとか。

いろいろ考えていると、行き着く先はこれ。
『やっぱりヒュウガはしたい…よね??』だ。

男性と女性の性欲は全然比べ物にならないくらい男性は強い。
…と、前に読んだ本に書いてあった。

3ヶ月…これは我慢させすぎなのだろうか、それとも普通なのだろうか。
恋愛をしてきたことのない私にはさっぱりだ。

薬物に関する辞書や資料ばかりじゃなくて、恋愛小説でも読んでおくべきだったと今更ながらに後悔する。


小さくため息を吐いたのをヒュウガは見逃さなかったようで、チャンネルを変える手を止めて私の方を振り向いた。


「ため息だなんて何かあったの?」

「…うーん…」


そうだ。
考えていても恋愛の知識のない私の頭から答えなんて出てくるわけがないのだ。
だって私はその疑問に対する答えを持っていないし知らないから。

なら人に聞くのが一番ではないか。
それが本人であるのなら尚更のこと。


私は意を決したように口を開いた。


「そ、その、ヒュウガは…し、したいですか??」

「死体?生きてるけど?」

「死体じゃなくてですね!!その…キ、キス、以上のこと…したいですかって聞いてるんです…」


ヒュウガの瞳から視線を逸らす事もせずに問いかけると、ヒュウガは一瞬だけキョトンとしてみせたけれど、すぐに「へぇ」と呟いて右腕を私の肩に回して引き寄せた。


「全く考えてないと思ってたよ。急にどうしたの?」

「今日、研究所の先輩に私は恋愛に対してクールだって言われたんです。それで、そうなのかなって…。」


クールって言われると何だかカッコイイような気もするけれど、逆を返せば冷たいともとれる。
ユリアさんが私に向けて『クール』と言ったのは、恐らくどころではなく100%後者のほうだろう。

それって愛を惜しみなくくれるヒュウガに対して失礼じゃないだろうか。
考えれば考えるほど軽い裏切りにも思えてくる。


「クール、ねぇ…。オレはそうは思わないけど??」

「そうですか??ならいいんですけど…。私これでも、こうして2人で過ごしている時間が好きだし、研究中も会いたいなーって思ったりするんですよ。」

「思ったりするんだ♪」

「ぅ、あ…」


口が滑った。
つい恥ずかしくて目線を逸らすと、ヒュウガが小さく笑った。

点いているテレビの中で司会者や観客までもが笑っていて、何だか私の事を笑われているような気分になってしまった。


「そうだねぇ…クールっていうより、オレが思うにあだ名たんは無知なんだと思うよ。」

「無知、ですか??」

「そ。あだ名たんは2人で居る時間が好きって言ってくれたけど、それは過ごしてみてから好きって知ったことで、研究中にオレに会いたいって思ったのも、離れてるから知った感情でしょ?」

「まぁ、そうですね。」


だって付き合う前は、2人で過ごす時間がこんなに好きになるなんて思ってもみなかったし、仕事中に会いたいと思うだなんて考えてもみなかった。


「んで、さっきの答えね。オレはセックスしたいよ。」


ハッキリと言ったヒュウガに私は俯いた。

するのは別にいい。
しなくても別にいいけれど。

でもわからないのだ。


「あだ名たんはオレとしたくない?」


そう、私はわからない。


「…したいとかしたくないとかじゃなくて、私はその行為に関して何の意味があるのかわからないんです…。」


何の意味があって、そこに何が生まれるというのだろう。

恋愛なんて、わからないことばかりだ。


一人悶々と考えていると、ヒュウガは何も言わずにリモコンを手に取り、テレビの電源を消した。

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