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新聞で大きく取り上げられている記事を、私は隅々まで読み、バサリとテーブルに置いた。
月明かりは仄かな光で暗い部屋に明かりを灯している。
今の私にはそれくらいの光がちょうどよかった。

昨日起きた図書館での事件は、4ヶ月前の図書館での悪夢が思い出される事件となった。

死者24名。
原因は『アリス』。
犯人は不明。
犯行理由も不明。

私は両足をソファにあげて小さく丸まった。


「どうして…」


アリスは全て私が爆破させたはずだ。
一つも残されてはいないし、資料だって全て燃やした。
なのに、どうしてアリスが今更でてきたのだろうか。
しかもこういった形で。

何故アリスを持っているのか、それとも作り出したのか。
何故4ヶ月前の図書館での事件を再現のようなことをするのか。

頭がゴチャゴチャしてきた。
いくら考えても答えなんてでない。


「あだ名たん、寝よう?」


月が高い位置にあるというのに、私はずっと眠れないでいた。
ヒュウガと一緒にベッドに入ったのに、眠れないのだ。
眠っていたはずのヒュウガはカーディガンを私の肩に掛けて立ち上がらせる。

ふらり、と足元が揺らいだけれど、ヒュウガがしっかりと腕で受け止めてくれた。

何度も何度も同じ記事の新聞を読んだ。
記事の内容が変わるわけがないのに、それでも、何度も何度も。
新聞配達の人から直接受け取ったこの新聞を、人はこれから起きて見るのだろう。
人々はこの記事を見て何を思うのだろうか。


「ヒュウガ…」


彼の服にしがみつけば、ヒュウガはギュッと抱きしめてくれる。
わからないことばかりだけど、今、私をしっかりと抱きしめてくれているヒュウガの体温はここにあった。
その真実が私を真っ直ぐ前を向かせてくれる。

顔を上げると、ヒュウガは心配そうな顔をして私の頬に手を添えた。
私もその手に自分の手を添えて小さく微笑む。


「大丈夫です。ちょっと動揺しただけですよ。」


アリス、そして図書館。
きっと偶然じゃない。

もし犯人が偶然じゃなく今回の事件で再現したのだとしたら、エレーナのようにまだ何か事件を起こすということではないか。

なら私がすべきことは決まっている。

アリスの解毒薬であるホワイトラビットを作らなければ。
そしてもっと、もっと効果的な薬を作らないといけない。


「もう平気です。」


だって私は一人じゃない。
こうして心配してくれる瞳がある。
支えてくれる腕がある。
包んでくれる温もりがある。


「ヒュウガ、私頑張りますね。」


彼がいてくれるから、笑顔で頑張れる。


「貴方が側にいてくれて良かったです。」


心から、そう思えるから。


微笑む私の頬にヒュウガは唇を落とし、2人ベッドへと向かって歩く。
ヒュウガの温もりが微かに残るそこに2人で横になって、その日はようやく眠りについた。

私が眠りにつくまでずっとヒュウガが私を抱きしめて頭を撫でていてくれたからだろうか、先程眠れなかったのが嘘のように安心して眠れた。

遅く眠った割には出仕の時間に十分間に合うくらいの時間に目が覚めた。
実際2、3時間しか眠っていないけれど、体は軽い。

いつものようにヒュウガにおはようのキスをされて、いってらっしゃいのキスをして。
研究室へ入ると、視線は一斉にこちらへ向けられた。
軽蔑、侮蔑、そんなものを孕んだ瞳。
そして重苦しい空気。

覚悟はしていた。
ここにいる人は全員私がアリスを作っていたと知っているのだから。

アリスはもうどこにもなく、アリスの作り方を覚えているのが私だけという状況は、最悪、犯人扱いされたって可笑しくない。

ただでさえ折り合いが悪い人達だっているのに、人間関係が更に悪くなること山の如しだ。

しかしこんなところで立ち止まっている訳にはいかない。


私は動揺を見せている自分の研究チームを集めた。

できればユリアさんにも手伝って欲しいと思い、辺りを見回してみたが、片思いの彼と一昨日の晩から会うという約束をしていたようだし、二日酔いだろうかそれとも具合が悪いのか、それともハメを外しすぎているのか…残念ながら見当たらなかった。

仕方ない。
今はいるメンバーだけで少しでも進めよう。


「今日から『アリス』の解毒薬の研究をします。もう私についていきたくないという方はここで別の研究チームへ行って下さい。」


犯人かもしれないと思っている人間は必ずいる。
実際、数名の研究者は私のチームを去った。

それでも残っている数名の研究チームに心の中で感謝する。


「では改めて、今日からアリスの解毒薬の研究を始めます。まずホワイトラビットの作り方をお教えします。それを大量に生産してください。」


次のテロに備えるために。
民間人やヒュウガ、参謀長官達が被害にあわないために。


「それからホワイトラビットの改良を進めます」


私の戦場は、ここだ。





夜も更けた頃、眠たい目を擦りながら寝室の扉を開ける。

夕食は取らずにそのままお風呂に入ったが、髪の毛を乾かしていないせいか夜風がいつもより冷たく感じた。


足音を立てないようにそっとベッドへ近づくと、私が入るぶんの隙間を残して、ヒュウガがいつもと変わらない寝顔で眠っていた。

黒い髪は月の銀色の光に照らされていてとても綺麗だ。


起こさないように慎重に布団を捲り、足を差し込む。

そこでふと気がついた。
何故私はヒュウガの部屋に帰ってきているんだろうと。

こんな風に遅くなった日くらい自室があるのだからそちらに帰ればいいのに、ごく自然と当たり前のようにこの部屋へと帰ってきた。

当たり前のように合鍵を使って開けて、当たり前のようにシャワーを浴びて、そして今も当たり前のようにベッドに入ろうとしている。

この当たり前と化している日常を意識した途端、ひどく愛おしい気持ちになった。
それと同時に少しだけ気恥ずかしくもあるのだけれど。

どんなに忙しくても互いの体温を分かち合いながら毎日愛おしい人の顔を見て眠って。
それがどれほど幸せな事か。

研究で遅くなったせいで疲れ果てていた体は未だ気だるいままだが、気分だけはすっきりとして温かくなれる。

彼の腕に抱かれて眠れば、きっと明日の朝には体の疲れも取れているんだろう。


体を布団の中へ入れて、もぞりと彼の体温を求めるように寄り添えば、彼は瞳を閉じたまま私を抱きしめた。


「おかえり、あだ名たん。」


起きていたのか起こしたのかはわからないけれど、今、目が覚めているヒュウガに「ただいま」と返す。


「髪、冷たい。」


冷たいというくせに頭を抱き寄せてそこに額をくっつけた。
じんわりと温かさが体に染み渡ってくる。



「ごめんなさい、乾かす元気もなくて…」

「ん、大丈夫。」


彼がくれる温かさが好きだ。
彼がくれる「おかえり」が好きだ。


私が帰る場所なのだと毎日毎日再確認できる。


「起こしちゃいましたか?」

「んーん。」


眠たそうにしているヒュウガの声や体温に身を任せるように瞳を閉じた。


「おやすみなさい。」

「おやすみ。明日も頑張って。」


私の体には次第にヒュウガの体温が混じり、ヒュウガの体には私の体温が混じる。
それは一人では感じる事のできない体温で、私達2人だからこその体温だ。


明日もきっと研究に追われる一日になるだろう。

ユリアさんは結局今日は来なかったから、明日は来るだろうか。
連絡が取れないとユリアさんの研究チームが騒いでいたし何だか心配だ。
一日でも早くユリアさんに協力を仰ぎたい。
優秀なあの人とホワイトラビットではない解毒剤も作りたいし、手伝って欲しい。

そしてまたこの体温を感じながら眠るんだ。

しばらくこんな日が続くのだろう。

辛くて、寂しくて。
顔を合わせられることのほうが少なくなるだろうけれど、それでも、それでもこうして体温を分け合って、頭を撫でられながら『頑張って』って言われるのであれば、また私は明日も明後日も頑張れるのだ。


彼は私の栄養剤そのものなのかもしれない。

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