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次の日、事件は急展開を見せた。


「名前…私、…」


日頃、気丈なユリアさんが肩を震わせて泣いている。

私はどうしたらいいのかわからずにオロオロした後、そっと彼女の肩に手を乗せた。


「一先ず…ブラックホークに行きましょう。」


今回の事件はブラックホークが一任されたとヒュウガに聞いていた私は、ユリアさんと共に研究室を出た。

イマイチ訳がわからないけれどこれだけは今はっきりとわかる。
彼女が今回の事件に巻き込まれたということだ。


ブラックホークの執務室に入ると見慣れた面々が私の存在に気付き、どうしたのかと顔を上げた。
ヒュウガは私達の様子に立ち上がって近寄ってくる。


「あだ名たんどうしたの?」

「えっと、その、今回の事件についてお話があって…。」


カツラギさんからソファに座るように勧められて私たちはそこに座った。

奥の部屋から参謀長官が出て来て、私達の目の前に座るなり、ユリアさんが泣き崩れた。


「も、もう美形はいやー!!!」


正直、ユリアさんが何で泣いているのかさっぱりだ。


だって私はさっき『アリス作らされるところだったー』と泣きつかれただけなのだから。
アリスを作らされたということはこの事件に関係があると思ってここに連れて来たのに、『もう美形はいや』ってなんだそれは。


「あ、あのユリアさん。こちら参謀長官で、」

「美形だからって何でも許されると思わないで!!」


進まない会話に、参謀長官の顔が強張ってきた。
まずい。
お怒りだ。


「ユリアさん、さっきアリスを作らされそうになったって言ってましたよね?それってどういう意味ですか?一から説明してください。」


必死にお願いするも未だ涙を流しているユリアさん。
そんな彼女を見兼ねたのか、カツラギさんが紅茶を淹れてきてくれた。

それを一口こくりと嚥下したユリアさんは短く息を吐いた。


「取り乱した、ごめん。」

「いえ…。」


持っていたカップをソーサーの上に戻し、ユリアさんは真っ直ぐに参謀長官を見つめた。


「何から話したらいいのかわからないんだけど、アリスを作らされそうになったの。」

「アリスを?」


やっと進み始めた会話にホッと胸を撫で下ろすと、背後にいたヒュウガに頭をポンポンと撫でられた。


「そう。一ヶ月前に近場のバーで男に声をかけられて親しくなったんだけど、3日前夜に会う約束してて待ち合わせの場所にいったら変なところに連れて行かれて、閉じ込められたと思ったら研究所で「アリスを作れ」って言われたのよ。」


ユリアさんの言っていることが本当なら、その男が主謀者なのだろうか。


「器具も薬剤もアリスの資料も全部あったわ。それで私怖くなって見張りの隙をついて逃げ出して来たんだけど、」

「待ってください!」


待って。
何があったって??

器具も薬剤も…アリスの資料も??


「アリスの作り方が書いてある資料があったんですか?」

「え?えぇ。あったわ。ザッと見ただけだから複雑な作り方ねって思っただけだけれど。実際難しくて普通の研究者じゃ資料があっても技術的に手に負えなくて私を拉致したみたいなの。」


やっぱり顔に騙されちゃダメね、と苦笑するユリアさんを見たところ、どうやら片思いをしていた彼のことのようだ。

好きだった人が悪い人だっただなんて、気持ちがわかる分なんて声をかけたらいいのかわからない。

私だってエレーナの事好きだったから。


「お前が裏切り者でないと言う証拠は?」


参謀長官の鋭い一言にユリアさんは一瞬怯んだけれど、すぐに「ない」と言ってのけた。


「ないけど、信じて欲しい。」

「………。研究所のある場所は?」


ユリアさんの言葉に対しての返事はなかったけれど、質問をするということは信じているということなのだろう。

ユリアさんは嘘を簡単に吐くような人ではないのだ。
参謀長官がそのことに気付いてくれたことが嬉しい。


「第一区の南東にある高級住宅地の外れだった。あまり行かない場所な上にがむしゃらに逃げたからあまり覚えていないけれど…地下のある2階建ての赤茶色の煉瓦でできた建物だったわ。」


ユリアさんがそう言うと、ハルセさんとコナツくんが部屋を出て行った。
着々と動き始める面々。


「主犯格はその男か?」

「恐らくは。」


元片思い相手を思い出したのか、渋い顔をしながら頷くユリアさんはもう恋する女の顔ではなかった。
そりゃそうだ、殺人兵器である『アリス』を作れと言われては100年の恋も冷めるというもの。

もし私がヒュウガにアリスを作ってと言われたら……いや、考えるだけ無駄か。
そんな日が来ることはないとわかりきっているのだから、考える時間が無駄で仕方ない。

そんな時間があるのならホワイトラビットの改良を進めるほうがよっぽど効率的だ。


「名は?」

「私には『シーマ』と名乗ったけれど、多分これ偽名だわ。連れて行かれた研究所で『マーカス』と呼ばれていたもの。」


…ん?
マーカス??

なんだろう、その名前に違和感を感じる。


「あだ名たん、どうしたの?」


私が首を傾げていることに気付いたヒュウガが、参謀長官の隣に座りながら聞いてきた。


「いえ…何か知ってるような気がして…でも『マーカス』なんて人たくさんいますよね。それに私あまり人と関わりを持っていなかったので、気のせいだと思います。」


気にせず会話を進めてください、と言うが、参謀長官は私の言葉に食いついてきた。


「今回の事件の場所といい、アリスといい、もしかしたら名前に関係のあることかも知れぬ。気になる事があるなら遠慮などするな。」

「は、はい。」


私は犯人ではないけれど、決して無関係だとは思えないこの事件。
気になるのは『アリス』が何故あるのかということと、『マーカス』という名前。


「その男の背格好は?」

「顔はイケメン。無駄に。かなり無駄に。背は…アヤナミ参謀よりちょっと低いくらい。髪は薄い茶髪だった。これがまたサラサラで。物腰柔らかい雰囲気と口調で、」

「ま、待ってください…」


何だろう、今急にその特徴にピッタリと当てはまる人物が頭の中に浮かんだ。

そうだ。
どうして私は忘れていたんだろう。


マーカス。
マーカスは名前ではなく、苗字だ。


「ジュード=マーカス……。」


エレーナにお似合いだと思っていた彼は今どこにいる??

アリスの研究施設を用意し、たまに私とも顔を合わせていた彼は何をしている??


最後に会ったのは自室で私がエレーナに銃を向けられた時。
その後は?
確かパーティー会場では会わなかった。

会わないまま捕まったと勝手に思っていた。


「ヒュウガ、あの日の捕縛者リストにジュード=マーカスはいますか??」


青ざめた顔で問えば、無情にも首を傾げられた。


「いないよ??」


なんで気付かなかったのだろう。
どうして今まで忘れていたのだろう。

彼はいつもエレーナの側にいた。
アリスの存在をよく知る人物の一人だった。

私は参謀長官が『パーティー会場でアリスを持っていた男を捕まえた』と言っていたから、てっきりそれがジュードだと思い込んでいたのだ。


「恐らく彼の名はジュード=マーカス。エレーナや私と最も繋がりのある人物でした。」


そうだ、いつも皆『ジュード』『ジュード』って呼んでた。
マーカスという苗字が翳むくらい。


人の優しそうな笑顔を浮かべる人だった。
物腰柔らかい口調をする人だった。

そんな彼が何故、今こんな事件を起こしたのかはわからない。
それに本当に今回の犯人が『ジュード=マーカス』だとも限らない。

だけどどうしてだろうか、背筋を流れる汗が冷たいのは。


「詳しく話してもらおうか。」

「…はい。」


怖い。
エレーナと同じ志を持っていた人が今度は何をしようとするのか、想像さえつかない。


今ここにアリスを投げ込まれたら??


そう思うと居てもたってもいられなくて、少しでも早く研究室へ戻りたいと思った。

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