04



私の才能にまず目を付けたのはエレーナの上司だった。

当時私は15歳。
エレーナはまだ新米だけれど父の研究チームの研究生。

エレーナには私が生まれた時から可愛がってもらっていた。

そして、たまたま父親の職場である研究施設に遊びに来た時、父とエレーナ達の研究資料を目にして、欠点を指摘したのが始まりだった。

エレーナの上司はまだ15歳の私を研究チームに入れたがったが父は『娘には好きな道を歩んで欲しい』と反対。
しかし私が16歳になる頃にはすでに父も母も事故で死んでしまい、エレーナの上司も病死。
今となっては本当に両親が事故だったのか、エレーナの上司が病死だったのか…、真実はわからないけれど。

身寄りのない私と弟が2人仲良く親の残したお金でどうにか暮らしていこうと思っていた矢先、エレーナがやってきたのだ。

『私の研究を手伝って欲しいの。』

そう言ったエレーナは既に独自の研究チームを設立していた。
しかし、父は死ぬ間際まで私が研究施設に入ることを反対していたので、私も父の意向を汲んで拒否。

それからだ。
エレーナが人が変わったように執拗に私を追い掛け回し、監禁してまで研究をさせようとし始めたのは。
数日は逃げ切ったものの、まだ幼い弟を連れて逃げ切ることは不可能で、狙われている私と一緒に居ては危ないからと弟に一人で教会に行くように言い、私はエレーナに捕まった。
最初こそは大人しく研究を手伝おうと思ったのだが、毒物という研究を知るなり私は反対した。
実験を放棄したし、脱走もした。
しかしそれも長くは続かなかった。

ある日を境に『弟さんを殺されたくなかったら大人しく従った方がいいわね。』という脅迫に私は研究をしざる得なくなった。

それから3年が経ち、まだ不安定だけれどアリスが形作られ、それに改良を重ねて2ヶ月前にアリスがまともに使えるようになった。
かと思えばエレーナはアリスを使って犯罪を起こす算段を企て始めたのだ。

エレーナの意向で動物実験から始まり、人間でも実験されたアリス。

その時、『名前、貴女やっぱり最高だわ!』と悦んでいたエレーナに冷たい汗が背中を流れたのを感じた。
ちょうどその頃からエレーナが『弟を殺すわよ』という言葉を使わなくなったのだ。
もしかしたら、もう…と思う心を叱咤して、私はここにいる。


「弟が死んでいるとさえわかれば、私はエレーナから逃げたいんです。」


事の全てをしゃべると、重かった空気が更に沈んでいた。


「生きていたら?」

「この日々がまだ続きますね。」


苦笑して、私は服の下に入れている胸元のペンダントを撫でた。


「エレーナは私が弟を探していることは気付いています。でもブラックホークと手を組もうとしていることまでは知りません。私のこと、アリスのこと、エレーナの事…、今話した事全て他言しないでください。攻め込んだりもしないでください。逮捕の狙い目は次の犯行です。でなければさすがに私も殺されちゃうでしょうし、生きているかもしれない弟はもっと生存率が低くなります。」

「わかった。貴様の意向を聞いてやる。」


参謀長官の言葉に嬉しくなった私は、とりあえずは話し終えたかな、と緊張を紐解いた。


「もっとお話ししなければいけないことがあるんですが、また後日話します。一先ず今日は帰ります。エレーナにバレるとマズイので。」

「今度はいつ来る。」

「わかりません。脱走中に見つかってしまえば連れ戻されますし。本来なら軍に来るのもバレそうなんて嫌なんですけどね。」


私は立ち上がるなりヒュウガさんの袖を引っ張った。


「あの、この前くれた飴、下さい。」




***




あれすっごく美味しかったです、そう言って微笑むと、ヒュウガさんは私の手のひらに3つの飴をくれた。

私は研究施設に帰ってくるなりその一つを口に含みながら天井を見上げる。

この5年近く毎日見ている天井。
扉の外には相変わらず厳つい見張りが3人。
いつもなら1〜2人なのだけれど、脱走した後はいつもこうだ。


「名前ちゃん、おかえりなさい。」


エレーナが微笑みながら部屋に入ってくる。
部屋と言ってもベッドと小さなテーブル、それから2つの椅子しかない質素な部屋だ。
ハッキリ言ってこんなの女の子の部屋じゃない。

できれば布団は淡いピンクがいいし、枕はもっとふかふかなのが好きだし、真っ白いソファとか可愛いクッションとか欲しい。
外と連絡できるようなパソコンも携帯もない。
今時の21歳の女の子が携帯も持っていないなんて…どんな古めかしい頑固親父だとエレーナに言ってやりたい。


「よかったわ、自分の足で帰ってきてくれて。」

「疲れたから。」

「そう。今日はもうゆっくりお休みなさい。明日からはまたアリスの改良をしてもらいますからね。」


エレーナはあまり私の脱走を咎めない。
連日続けばそりゃ怒られたりするけれど、アリスが出来てからはここ数ヶ月は特に穏やかだ。


「エレーナ、少しお話ししましょ?」


私がベッドから上半身を起こすと、エレーナは少し考えてからベッドに腰掛けた。


「いいわよ。何かあったのかしら。」

「図書館でアリスを使ったでしょう?効果はどうだった?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

「いつも言ってるけど、欠点を知っていなきゃ次に生かせないじゃない。」

「そうね。やっぱり名前はいい子ね。脱走してもちゃんと私の元へ帰ってくる。可愛い可愛い私の天使だわ。アリスもとってもいい子だったのよ。どちらもとても大切よ。こんなに大切なものがある私は幸せ者ね。」


正直、エレーナのことはあまりわからない。
すでに片手で数えられないほどの年月を過ごしているけれど、大切だと頭を撫でて抱きしめてくれるエレーナの気持ちがわからない。

よく服を買って来てくれる。
化粧の仕方だって教えてくれて、出かけもしないのに化粧道具はたくさんある。
私の好きな食べ物も「お土産よ」って買って来てくれる。


「最近アリスの実験に忙しかったから名前ちゃんの髪、伸びっぱなしね。少し整えましょうか。」


そう言ってエレーナは床に新聞を広げて私の髪を切り始めた。
エレーナは手先が器用で、長かった髪が肩辺りまで整えられてゆく。
伸びたらこうしてよくエレーナが切ってくれる。


「あ、枝毛発見。トリートメント変えましょうか。」

「いいよ、今ので。」

「ダメよ。髪は女の命なのよ。そういえば新発売のトリートメントがあったわね。それにしてみましょ。」

「…うん。」


エレーナと一緒に居る時はまるで姉と妹のような錯覚さえ覚える。
エレーナが弟を人質に取っているのに。
私を5年も監禁してアリスを作らせているのに。

なのに何故か憎むことができない。
だけど無性に空っぽな気持ちになる。

監禁されていて苦しいとか、優しくしてくれて嬉しいとか、弟を人質にされてて憎いとか。その穏やかな笑顔が好きとか、アリスを作らされて悲しいとか、妹のように可愛がってくれて幸せだとか。

エレーナといる時間は色んな感情が交差する時間だ。
だってエレーナは私に優しい。
人は、自分に優しい人間を嫌いになれるのだろうか。
少なくとも私はなれない。


「アリスね、この前の実験αの結果と一緒だったわよ。」


実験αとは図書館でアリスを使う前にそこらへんを歩いていた適当な人間を連れ去り、部屋に閉じ込めてアリスを使った実験のことだ。

部屋の中に入れられている男女5人はアリスを使った途端に蹲り、ひどい頭痛に苛まれる。
そして吐き気を催す。
吐いた者もいれば吐かない者もいるが、その約1分後には全員幻覚症状に侵されて殺し合いを始めた。

共倒れという結果で終わった実験もあったが、実験αはほぼ無傷で1人が生き残ったという新しいケース。

しかし30分も経てば無傷だったにも関わらず急に倒れて死んだ。

解剖の結果、脳が壊死していた。
脳と心臓から大量の出血。

それを見たエレーナは言ったのだ。


「でも壊死するのはダメね。殺されるまで殺しあってもらわなくっちゃ、つまらないわ。」


実験αの時にも聞いたセリフに私は何も返事ができない。


「壊死しないように改良してくれる?」

「…。」

「名前ちゃん?」

「……うん、わかってる。」


例えば、今エレーナが持っているハサミが私の心臓を突き刺すかもしれない。
例えば、喉を掻き切られるかもしれない。

彼女はあまりにも危険すぎる。
一緒にいるのが怖いとさえ感じる。

だけどエレーナは私には優しくて。
この細い指が、華奢な体が、優しそうな笑顔が、あんな大規模なテロを考えているなんて誰が想像するだろうか。


「あと太陽の光に晒すと無効化してしまうのも改良しなくちゃね。」

「うん。」

「全部終わったら、一緒にお買い物に行きましょう。」

「うん、いいね。楽しそう。」


アリスに侵された街に、その時『人』はいるのだろうか。

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