断る理由は先程捨ててきました
会議が終わり、参謀長官室への道のりを歩いていると小さくため息が漏れた。
ここ数日で何十回というため息を吐いてきているわけだが、それもこれも自分の行いと名前に対して。
告白するタイミングは今ではないとわかっていたのに…。
雰囲気に流されるというのはこのことか。
名前は今も私の側にいるが、いつ居なくなるのかわからない。
そんな不安定な状態にしてしまった自分を悔やむ。
…いや、名前は元々不安定な状態だった。
メルモットに撤退するように命じられれば、名前は文句一つ言うことなく私の前から姿を消していただろう。
私がその手を掴む暇さえ与えることなく。
嵐のようにやってきて、そしてきっと嵐のように去っていくのだ。
執務室の扉を開けると、中にはコナツしかいないようだった。
カツラギには会議後に少々雑用を命じているためこの場には居ない。
しかしコナツとヒュウガ、そして名前がいるはずの執務室には何故かコナツの姿だけ。
ヒュウガがサボっているのは何となくわかるが、勤務時間中の名前の姿まで見えないとは。
「コナツ、ヒュウガと名前はどうした。」
「二人ともつい先程出て行かれました。」
ヒュウガがサボりに行くのを止めることができず、憤慨しているコナツ。
「二人一緒にか。」
「はい。ヒュウガ少佐は『サボりに行ってくるね〜』と。名前さんは『メルモット様のところへ。』と言って出て行かれました。」
「メルモットのところ?」
「はい。」
「……そうか。」
そうか。
名前はついに出て行ったのか。
「今日はもう自室へ帰る。コナツもヒュウガなど放っておいて今日くらい早めに帰れ。」
「は、はい!」
少し嬉しそうなコナツとは反面、窓ガラスに映った自分はいつもより険しかった。
名前が、出て行った。
付き合っていたなら引き止めることもできただろうに。
だが、名前は最後まで一メイドとして振る舞い、あっけなく出て行った。
きっともう、名前の手料理を食べることも、起こしに来た名前をベッドに引きずり込むこともないのだろう。
日頃は無表情だけれど、その無表情を壊すその瞬間が好きだった。
色んな名前の顔が見れるから。
笑った顔、怒った顔、照れている顔、困った顔、他にも色々な表情を引き出し、見てきたけれど、そういえば泣いた顔はまだ見たことがなかった。
きっとあの整った顔から流れ出てくる涙は澄んでいて綺麗なのだろう。
もう想像することしかできないけれど。
自室に戻ってきて上着をソファの上にぞんざいに放る。
この場に名前が居たなら、絶対に『上着ぐらいかけてくださいよ』と言いながらかけてくれるのだろう。
だが、放った上着は明日の朝もソファの上に置きっぱなしに違いない。
「女々しいな。」
放り出された軍服の上着を眺め見ながら、自嘲気味にポツリと呟いて前髪をかきあげ、シャワーを浴びに浴室へ向かった。
いっそのことなら、名前へのこの想いも水に流されてくれるといい。
そう、思いながら。
シャワーを浴び終わり、部屋に戻るとソファに放った軍服を名前がいつものようにハンガーに掛けていた。
あまりにもいつもの光景にその場に突っ立ってしまった。
「アヤナミ様、上着ぐらいご自分で掛けてくださいといつも言っていますでしょう?」
そして小言も変わりない。
名前はハンガーを掛けてこちらを振り向いた。
「ちょ、髪濡れたままじゃないですか!床に滴ってるんですけど!誰が床拭くと思って、」
ギョッとしたように名前は目を開き、タオルを差し出してきた。
ふわふわのタオル。
名前のようにいい匂いがするタオル。
心が熱くなった。
それを自分の中で誤魔化すことが出来ず、思い切り名前の腕を握ると差し出されていたタオルが濡れた床に落ちた。
じんわりと水を吸い込んでいくタオル。
「何故ここにいる。」
「アヤナミ様?何故と言われましても…。」
「メルモットの元へ帰ったんじゃないのか?」
「はい。少し野暮用で。」
「では何故、」
「アヤナミ様、」
私の会話を途中で止めた名前。
今までそんなこと一度もなかった。
小さく苦笑しながら私を見上げる名前。
「私、アヤナミ様のことが好きです。」
まっすぐに見つめてくる名前の瞳をしっかりと見つめ返す。
「断る理由は先程捨ててきました。」
今度は純粋にニコリと名前が笑った。
黒くもない、真っ白い笑みだ。
断る理由を捨ててきたということは、メルモットを裏切ったということだろう。
メルモットの手先だったことが、名前の断る理由だったのだから。
「まだアヤナミ様が私の事を好きでいてくださっているのなら、ずっと側にいさせてくださ、」
掴んでいた腕を引っ張ってきつく抱きしめると、名前は一瞬驚いたように息を呑んだが、すぐに背中に細く白い腕が回った。
「アヤナミ様…」
首筋に顔を埋めると名前の微かに震えている声を耳のすぐ側で聞こえた。
「何故泣く。」
泣いている名前を始めて見た。
泣く名前も見てみていと思っていたが、やはり名前は笑顔が似合うのではないだろうか。
名前の頬を伝っている涙を人差し指の背で拭ってやると、名前は少し恥ずかしそうに笑った。
「嬉しくて。」
胸いっぱいに広がる名前の香り。
全身で感じることができるほど触れ合っており、その言葉も声もひどく愛おしい。
「名前…愛している。」
さらに抱きしめる腕を強めると名前は少し苦しそうに苦笑して身じろいだ。
それさえも愛おしくて、歯止めが利かなくなりそうになる。
白い首筋に唇を押し当てて吸い上げ、残った赤い痕を舐めあげたい。
「アヤナミ様…、水滴が冷たいです…。」
「どうせすぐ乾く。」
「風邪を召されますよ?」
「そしたら名前が看病してくれ。」
そういって名前の唇に口づけを落とした。
柔らかいそれに唇を重ねただけで必死に押さえていたそれがはじけ飛ぶ。
そっと唇を離し、先程渋った白い首筋に舌を這わせて赤い痕をつけると、名前はその赤い痕よりも顔を赤くしていた。
「ア、アヤナミ様…その、その…まだ、そういうことに対して心の準備が、」
おどおどとする名前は至極珍しい。
もっと見て見たいとさえ思う。
自分の手によって身を捩る姿も、聞いた事のない高い嬌声も、甘い吐息も、全部、全部。
だが私の欲望とは裏腹に、名前は私の胸板に手を当てて小さく小刻みに震えていた。
怖さ故か、
恥ずかしさ故か。
どちらにしろそれすらも愛おしく、可愛いと思ってしまうのだからもうどうしようもない。
今の自分の欲望を押さえつけてまで、名前の準備が整うまで待っていてあげてもいいとさえ思う。
名前にわからないように小さく小さくため息を吐いた。
それは落胆のため息ではなく、ただ心と体を擽っている熱を逃がそうとする足掻きだ。
「次までには覚悟しておけ。」
耳元で低く囁いてやると、名前は耳まで真っ赤にして俯いた。
(これくらいの意地悪なら許されるだろう)
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