似て非なるもの
「お疲れ様です。」
ブラックホークメンバーの机の上にそれぞれ飲み物を置いていくあだ名たん。
せっかくオレが手伝ってあげてアヤたんとあだ名たんがくっついたというのに、何の原状も変わっていないのはどういうことだろうか。
「…あだ名たん…」
「何でしょうか?」
「アヤたんと付き合い始めたんだよね?」
「はい、そうなりますね。」
「じゃぁさ…もうちょっと幸せオーラ振りまいてもいいんじゃないかな??何にも関係変わってないように見えるよ??」
「……しあわせ…オーラ、ですか??」
あだ名たんは訝しげに眉を顰めた。
全く理解できない。そう顔に書いてあるのがありありとわかる。
「例えば何ですか?」
「こう毎日ニコニコしとくとか、ついつい浮かれちゃってドジるとか…、」
「面白くもないのに何故笑わないといけないのでしょう。」
…うん、そうだよね。
あだ名たんってそういう子だったよね。
知ってたけどね、知ってたけど、
嬉しいことがあったときくらい浮かれてもいいと思うんだ、オレは。
「それにヒュウガ様は私に失敗して欲しいのですか?」
「失敗っていうか…、」
「例えばコーヒーをヒュウガ様の未処理の書類に溢してしまう…などですか?」
「あーうん、それいいね。」
でも何か違う。
言葉に出されると何か違うんだよあだ名たん…。
「コーヒーをヒュウガの上に溢すって言うのもいいと思うよ!」
「まぁクロユリ様、素敵なアイディアですね。」
棒読み身表情は相変わらずだ。
恋する乙女は変わるというけれど、あだ名たんのどこが変わっているのか全くもってわからない。
誰か教えて欲しい。
「クロたん、もしかしたら青空ソースも溢されちゃうかもよ??」
「ヒュウガ、死にたいの?」
にっこり笑顔で毒を吐くクロたん。
「オレじゃないよ?!?!あだ名たんがだよ!!」
あ…そういえば、毒を吐くと言えば、
「ねぇ、あだ名たんって最近毒吐かなくなったよね。」
「そうですね。言葉に出すのも疲れたので。」
「それって前は頑張って毒吐いてたってコト?」
「いえ、吐くことが多すぎて疲れるので吐かないというだけでございますよ。」
「……あ、そう。」
現に吐いているじゃないか。
「もう宜しいでしょうか?コーヒーをアヤナミ様にも持って行かなくてはならないのですが。」
「ん、いいよ♪」
話してても何か話し進まないしね。
軽く手を振ると、あだ名たんは隣の参謀長官室に入っていった。
「アヤナミ様、コーヒーを持ってまいりました。」
「あぁ。この書類が終わったら飲む。」
アヤナミ様は顔を上げずに書類に筆を滑らせている。
そのいつもと変わらない様子を見ていてふと思った。
例えばだ。
例えば、先程ヒュウガ様が仰られた『コーヒーを溢す』というドジを今ここで踏んだらアヤナミ様は一体どういう顔をするのだろうか。
もし溢してしまったら、今書かれている書類はもちろんその両端に積まれている未処理の書類も、処理済の書類もコーヒーに浸り、色を変えてしまうだろう。
被害は甚大だ。
そんな状況でアヤナミ様は私を怒るのだろうか。
それともわざとしたわけではないからと怒らないでいてくれるのだろうか。
呆れて文句も言えないという状況もありえるか。
そういえば少し前に紅茶をアヤナミ様の机の上に溢したのを思い出した。
あの時はわざとではなく、躓いて溢してしまったのだっけ。
その後アヤナミ様は『珍しいな』と言われて毒舌の吐き合いになった覚えがある。
でもあれは付き合う前の話だ。
それにその時書類は横に除けていて汚れてはいない。
では…今は??
人のことを自分に問いかけても答えなんて返ってこない。
だから無性に気になって、まだ書類と向き合っているアヤナミ様に問いかけた。
「もしこの状況で私が書類にコーヒーを溢してしまったらどうしますか?」
「…なんだそれは。」
訝しげに思ったのか、アヤナミ様はふいに手を止めると顔を上げた。
「いえ、ちょっとした疑問です。」
「唐突だな。」
「質問などそんなものです。」
「…それはわざとと仮定してか?」
「そうですね。」
小さく頷くと、アヤナミ様は書類の端にサインだけをして処理済の書類の山にそれを乗せた。
「怒るな。」
「そうですよね。」
わざとした人間に怒らない人間などいないだろう。
「ではわざとでなかったら?」
「また毒舌の吐き合いでもするか?」
喉の奥で笑うアヤナミ様に、私は何のことでしょう??とわざとらしく首を傾げてみせた。
「ご冗談を。しがないメイドが毒舌を吐くわけがありませんわ。」
「よくも抜けぬけと…。」
つと目を細めたアヤナミ様に私は「冗談です」と小さく笑って、持っていたコーヒーをアヤナミ様の机の上に置いた。
「では、もう一つ。」
アヤナミ様は『まだあるのか』、と少し面倒臭そうにカップを持ち上げた。
「もし私がアヤナミ様と付き合えることが嬉しくて『幸せオーラ』を振りまきながら、浮かれて失敗をしてしまったのなら…、どうなさいますか?」
カップを持っているアヤナミ様の手が止まり、それは飲まれることなくソーサーに戻された。
机に向けられていたアヤナミ様の目線が私に向けられる。
「そうだな……お仕置きだな。」
小さく口の端を吊り上げたアヤナミ様は何だか楽しそうに見えた。
「それは怒るとどう違うのですか?」
「怒るというのは叱るだけだが、お仕置きは、」
ふとアヤナミ様の手が伸びてきて、私の後頭部に添えられるとそのまま引っ張られた。
私の唇にアヤナミ様の唇が触れていると気付いたのは数回瞬いてからだった。
「こういうことだ。」
唇を離し、そう言うアヤナミ様はやはり楽しそうだった。
きっと私の見間違いではないだろう。
ヒュウガ様、貴方は私とアヤナミ様の関係が変わっていないように見えると仰りますけれど、そうではないんですよ。
人の見ていないところではキスだってするし、夜は一緒にだって眠っている。
掃除をするのも、食事を作るのも、コーヒーを淹れるのも、今までとは違った気分なのです。
変わっていないようで、実は変わっているんですよ。
それはとても似て非なるもの。
でも教えてさしあげるつもりは全くありません。
私の心の奥までわかっていいのはアヤナミ様、ただお一人だから。
「失敗した度合いにもよるが、基本キスだけでは済まないと思え。」
これでも、浮かれているんです。
一人、給湯室でコーヒーを溢してしまうくらいには。
「肝に銘じておきますね。」
(確実に変わった私達の関係)
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