気持ちに嘘はつけない



腕の中で眠っている名前が寒そうに身じろいだことによって、ふと目を覚ました。

名前の体温を直に感じ、香りを側に感じながら、その幸せを噛みしめるようにゆっくりと瞼を開く。


カーテンの隙間からは朝日がこぼれており、昨夜の土砂降りの雨もすっかり止んでいるようで太陽の光が差し込んでいた。

その眩しさに慣れない瞳をもう一度閉じて、名前をぴったりと抱き寄せるとまた瞳を開いた。

昨夜、指や唇で感じた滑らかな肌は自分に寄り添うようにぴったりくっついていて、体温を分け合う。


名前の寝顔は幾度となく見たことがあるが、それはすべて夜のことで、朝に名前の寝顔を見るのは初めてだった。

名前は毎日私より先に起きて食事の準備を始めるから、決まって起きた時に名前は横に居ない。
それが少し寂しくもあったが、今日はいつもと違った朝だった。

すぐ側に温かい体温があって、名前の香りを嗅ぎながら目覚める、そんな朝。

少し冷えている名前の肩に掛け布を掛けてやる。

昨晩狂ってしまいそうなほど愛おしさを感じたのにも関わらず、また愛おしさが募り、白いシーツに映える黒い髪を撫でた。

指に絡め、そして梳いて…、そのくり返し。
ただ繰り返しているだけなのにどうしてこんなにも心が満たされるのだろうか。


「…ん……」


小さく身じろいで瞳を開けた名前はまだ寝ぼけているのか、ボーっとした目でこちらを見ている。

そんな様子一つ一つも愛おしくて抱き寄せるが、名前は抵抗も見せずにされるがまま。

少しくらいは恥ずかしいと嫌がるかと思っていたが、たった一晩で大した成長を見せたな…、と思っていると、名前は急に息を飲んで私の腕の中から逃げようと体を捩った。


「何故逃げる。」

「朝食の準備ができておりません!」


……メイド根性は夜だろうと朝だろうと、関係ないらしい。


「今日くらいいいだろう。もう少し寝るぞ。」


逃がすまいと、名前をさらに抱き寄せる。


「お仕事に遅れてしまいますよ。」

「今日は休みだ。」

「休みの日でもいつもはお仕事に行かれてるじゃないですか。」


文句を言う名前の唇に小さくキスを落とす。


「あまりうるさいともう一度塞ぐ。」


脅しにも似た言葉を吐くと、名前はピッタリと口をつぐんだ。

正直面白くない。

だがこれでもう一度名前の体温を素肌で感じながら眠れると、名前の頭を撫でてやりながらまどろみの中へと踏み込んだ。





結局、二人が起きたのは11時近くになった頃だった。


朝昼兼用で簡単に食事を済ませ、ソファに座って本を読む。
名前は「シーツを取り代えます」と言って、ベッドに新しいシーツを敷いた後、洗濯したシーツをベランダに干している。


「アヤナミ様、虹が出ていますよ。」


ベランダの方から名前の声が聞こえて、つられるようにして窓越しに空を見上げると見事なほど大きな虹が掛かっていた。


「見ましたか?」


ベランダから戻ってきた名前がソファに畳んで置いていた軍服を手に取りながら問いかけてきた。


「あぁ。」

「虹なんて久しぶりに見ました。」

「そうだな。」


空を眺める余裕なんてこと、日頃はしない。
きっと、窓から見えるこの虹にも、名前が教えてくれなかったら気付かないままだっただろう。


「少し座ったらどうだ?」


名前の手を取って引き寄せる。


「体もきつくないか?」


労わってそう言うと、名前は少しだけ頬を赤くした。
その様子に内心微笑む。

平和だ、と思える瞬間だ。


「…ちょっと、だけ…」

「では少しぐらい座れ。」

「…はい。」


隣に座った名前は、私の軍服を広げて裁縫をし始めた。


座っていても仕事をする気らしい。


「今日くらいメイド業は休んだらどうだ。」

「いえ、何かしていないと落ち着かないですから。それにこのほつれも気になっていましたし。」


針を取り出して糸を通し、袖口を器用に縫っていく名前の白い手を眺め見る。
本は閉じてテーブルの上に置いた。

本より名前だ。


「器用だな。」

「慣れでございます。」


謙遜する名前の腰に手を回して、名前が針で手を刺さないように気をつけながらゆっくり引き寄せる。


「アヤナミ様、邪魔すると刺しますよ。」

「それは怖いな。」


喉の奥で笑って、それでもしっかりと引き寄せた。

すると、ふわりと名前の香りに交じって洗濯物の匂いがした。


「名前、」


名前を囁きながら名前の耳たぶに唇をくっつけて軽く食むと、名前は顔を赤くして針をこちらに向けてきた。


「その口を縫って差し上げましょうか?」

「それは困るな。名前にキスできなくなる。」


そう言って顔を傾けて名前の唇にキスを……落とそうとしたところで殺気を感じ、そのまま名前をソファの上に押し倒した。

それと同時に窓ガラスが割れる音と、先程名前の頭があった位置を黒いナイフが通り過ぎる。


ナイフを投げつけてきた男がベランダに姿を現すと、今度は指一本動かす暇など与えずにザイフォンで攻撃した。

とっさにザイフォンで防御壁を張った男は衝撃を殺すことはできずに、ベランダから落ちてコンクリートの地面に叩きつけられて死んだ。


「……短い平和でしたね。」

「そうだな。」


名前がメルモットを裏切った時点で名前の命を狙ってくることはわかっていたが、せめてキスが終わるまで待つという選択肢もあっただろう。

何だか気がすっかり逸れてしまって、ソファに座りなおした。


「今まで何もなかった方が不思議だからな。それにしてもどうやってメルモットを裏切ったんだ、お前は。」


名前は少し前にメルモットのところに野望用で行っていた。と言っていたが、よくよく考えると無傷でこの場にいるのがおかしいような気もする。


「『メルモット様の傍若無人さにはほとほと愛想が尽きました。元々メルモット様のことは常々夢で殺したくなるほど嫌いでしたし、アヤナミ様を好きになってしまいましたし、これを機会に退職願います。』と一言一句同じ事を言いました。」

「……本人にか。」

「はい。ヒュウガ様も護衛をしてくださいましたし、無傷で帰ってくることが出来ました。」

「よくもまぁ、ストレートで言ったものだな。」

「少しは自分に素直になろうと思いまして。…自分に嘘をついて、人に嘘をついて、もう大切な人を傷つけたくはありませんから。」


身なりを整えながらソファから起き上がる名前を、またソファに押し倒した。


「それは私のことを言っているのか?」

「さぁ、どうでしょうか。」


組み敷かれているにも関わらずシラッとする名前の髪を一房掬い、口付ける。

この状況でどちらが優勢か、名前にはしっかり教え込む必要があるようだ。


「アヤナミ様、割れた窓ガラスを片付けたいのですが。」

「そんなものあとで業者を呼べばいい。」

「ナイフの刺さった壁も業者を呼ばなくては。」

「あぁ、いくらでも呼べ。だがそれは終わってからな。」


額、頬、鼻の先、順々にキスを落としていっていると、名前は机に置いていた本に手を伸ばし、あろう事かその本の角で私の頭部側面を殴った。


「片付けないと気が済みませんので退いてください」

「……っ、なら最初からそう言え。」

「どうせ言ってもきかないのでしたら無駄です。私も仕方なければ武力行使ですのでお忘れなきよう。」


なんて慇懃無礼なメイドだ。

殴られた頭部に手をやりながら身を起こすと、名前はソファから立ち上がって窓ガラスを見下ろした。


「見事にやってくれましたね…。一体誰が片付けると思っているんでしょうか。」


ぶつぶつと文句を言いながらしゃがみこみ、ガラスの破片を一箇所に集めている名前は少し怒っているようにも見えたが、逆に動揺しているようにも見えた。


それもそうだ。
自分の命が狙われていると知って平然としていられる人間なんてそうそういない。

余程腕っ節に自信があり、強靭な精神的を持ち合わせている人間でないと、平然としてはいられないだろう。


「名前、怪我するからそのままにしておけ。業者を呼ぶ。」


自分もソファから立ち上がり、名前の腕を握って立ち上がらせた。

すると名前は今度はナイフが刺さっている壁の方へと歩き、立ち止まった。
その後を追って壁際に立ち、ナイフを壁から引き抜く。


黒い柄のナイフだ。
持ち手のところにはシルバーの紋章。


「見たことのない紋章だな。」


メルモット家の家紋ではない。
メルモットの刺客ではないのか??


「……それは、メルモット様が裏で作り上げている組織の紋章です。その組織の人は皆、その紋章の入ったナイフを持ってるんです。」

「組織?」

「組織というととても大きなものに聞こえますが、」


トカゲの紋章の入ったナイフを名前はジッと見つめて、静かに言った。


「簡単に言ってしまえば暗殺集団です。」


(何故か名前の瞳に、深い闇が垣間見えた気がした。)

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