出発の時間はキスで数えて



「忘れ物はありませんか?」


アヤナミ様に軍帽を手渡しながら、上司が忘れ物をするだなんて下に示しがつかないからと本日で3度目のセリフを口にする。

私の思いを知ってか知らずか、アヤナミ様は律儀に「ない」と答えて軍帽を被り、唇を寄せてきた。


今日からアヤナミ様は遠征に行ってしまわれるのだが、私は一メイド。
ついて行くわけにもいかず、軍でお留守番だ。

よくよく考えてみると、アヤナミ様のメイドになってから長期間離れるのは初めてだ。


鬼の居ぬ間に何とやら。
日頃できない箇所を掃除して、そしてのんびりとしていようと思う。

自分のベッドで、一人で眠るのも久しぶりだ。


「メルモットを殺してはくるが、一応気をつけろ。」

「大丈夫です。ヒュウガ様とコナツ様が私と一緒にお留守番なさるのでしょう?」


お留守番という名の、私の警護だ。
まだ、いつどこで命を狙われているのかわからないからといってアヤナミ様がこの二人を残すことにしてくれた。

職権乱用とも思ったが、急ぎの書類が来るかもしれないからと元々お留守番を二人ほど残していく予定だったらしいので、今回は甘えさせてもらうことにしたのだ。


「その予定だったが変更だ。ヒュウガとコナツは連れて行く。」

「では…お留守番の方は…??」

「ハルセとクロユリを残していく。」


ふむ…。

ハルセ様はともかく。


「…クロユリ様のお守りをさせるおつもりですか?」


中佐というだけあって強いのだろうけれど…、戦闘以外で役に立っているところを見たことがない。

…癒しとしての役割もあるか。


「そう言ってやるな。クロユリも強い。」


その言葉、本人の前で言ってあげたら、さぞ目を輝かせて喜ぶことでしょう。
アヤナミ様を崇拝していらっしゃるから、クロユリ様は。


「わかっております。さ、もうお時間ですよ。」


会話の間、何度も啄ばむようにキスをされ続けていたが、時計の針は出発の時間を刺しつつある。


「もう少しくらいいいだろう。」


そういってアヤナミ様は私の頬に手を添えてまた口づけを落とした。


「…、何度したら気が済むんですか。」

「しばらくできないのだ、今のうちに充電しておかなければな。」

「昨晩たくさんなさったでしょう?」


いっそのこと充電のし過ぎでパンクしたらいいのに。


「昨日は昨日、今日は今日だ。」


なんて唯我独尊を地で行く人だ。

ため息を吐きたいのに、次いで降ってくるキスのせいで吐けないでいると、口内に舌が入ってきた。


「ッ…、ん、ふ、ぁ…」

「あまり誘うな。止まらなくなる。」


勝手に深いキスをしてきた挙句、勝手に止まらなくなったって知ったことではない。


「誘ってなんていません。」


唇が離されると同時に新鮮な空気を吸いながら眉を顰めて見上げると、アヤナミ様は喉の奥で笑いながらそこに唇を落とした。


「では行ってくる。」

「いってらっしゃいませ。リビドザイルの自室ではぜひご自分で上着をかけてくださいませね。」



皮肉たっぷりで見送って扉を閉め、自分しかいない部屋を見渡すと、何だか少しだけ…少しだけ、寂しさを感じた。






いけないいけない。
参謀長官室の大掃除にすっかり夢中になっていたせいで、気がつけば15時を少し過ぎていた。

いつもだったらカツラギ様お手製のおやつをいただきに行くついでに、皆様にコーヒーを淹れている時間だ。


「少々遅くなりましたが、コーヒーでも淹れましょうか。」


参謀長官室から執務室の扉を開けて声をかけると、いつもみんなでおやつを食べていたテーブルにケーキが置いてあった。


カツラギ様が作って行ってくださったんだろうか…。


「名前遅いよー。」

「申し訳ありません、掃除に夢中になっていてしまって。」

「ちょうど呼びに行こうかと思っていたところなんです。」

「あのハルセ様、このケーキはカツラギ様が??」


層になっているパイの間に生クリームとカスタードにイチゴ。
そのまた上にイチゴがちょこんと可愛らしく乗っている。

えらく気合の入っている一品だ。


「それともどこかで買われたのですか??とても可愛らしいですけれど…。」


私がそういうと、ハルセ様はクロユリ様に聞こえないようにそっと耳元で小さく囁いた。


「クロユリ様が、アヤナミ様が遠征に行ってしまわれたので名前さんが悲しんでいるのではないかと仰って。元気付けるためにケーキを作るように言われたんですよ。」


アヤナミ様、お守りというのは撤回させていただいます。

顔に出さないようにしていたのですが…、どうやらむしろ私の方が心配させてしまったようです。


提案してくれたクロユリ様。
作ってくれたハルセ様。

ほっこり、心が温かくなった。


「とびきりの紅茶を淹れさせていただきますね。」


その日食べたイチゴのミルフィーユはとてもおいしかった。


「カツラギ大佐から、名前さんは甘いものが苦手だとお聞きしたので少し糖分を控えめにしてみたんですが…どうですか?」

「とても美味しいです。ハルセさんがケーキを作るのがお上手だなんて知りませんでした。」


こんなに可愛くて美味しいミルフィーユに、横でドバドバと青空ソースをかけているクロユリ様をこの時ばかりは視界に入れないようにする。


「ハルセのケーキはコレかけるともっと美味しくなるよ。」

「丁重に遠慮させてください。」


視界に入れないようにしていたのに、勧められてしまった。


「いる時は言ってね。」

「……はい。」


多分その時は来ないと思います、永遠に。


「名前、今日一人で寝るの寂しい?」

「いえ、大丈夫ですよ。」


そんな、子供じゃないんですから。


「今日はボクが一緒に寝てあげるね。」

「いえ、それも結構です。」


子供相手に即答してしまった。
なんて大人気ない私…。


「夜はボクだけが名前を護衛するようにアヤナミ様に言われてるんだ。」


フォークを空になったお皿の中に置きながら、何故ヒュウガ様やコナツ様ではなく、クロユリ様を留守番にさせたのかが何となくわかってしまった。


ヒュウガ様やコナツ様、それにハルセ様では駄目な理由。

それは彼らが大人だからだ。

夜の護衛は万が一という問題も起こらないような人間でなければ。


「……馬鹿な人。」


アヤナミ様が信頼している人達と何かあるわけない。

それでも、アヤナミ様はクロユリ様を選んだ。


「…ホント、馬鹿な人。」


(私には貴方しか見えていないというのに…。)

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