罠を仕掛けて獲物を待つ
「これはこれは…。」
私の自室に案内してやると、名前は口元に手を当ててため息を吐いた。
この部屋のどこに文句があるのかぜひとも教えて欲しいものだ。
塵一つない床、埃の積もっていない家具、滲み一つないソファに真っ白いシーツのベッド。
本当ならばメイドなど不要の存在なのだと小さく鼻で笑ってやると、名前はスカートの裾を翻すことなく上品にくるりと体を動かして私を見上げてきた。
「何とも掃除しがいのない部屋ですね。早速いじめですか?新人いびりには負けませんよ。」
何をどう思ったらそうなる。
このセリフをヒュウガが言っていたのなら速攻で鞭を撓らせていたのだが、内心でつっこむだけに止めておく。
「なんて冗談です。」
真顔で冗談を言われても冗談に聞こえない。
冗談なんて言うような性格に見えなかったので小さく瞠目すると、名前はそんなこと気にすることもなく棚の上に指を滑らせて埃の確認をした。
どうやら埃はなかったようで、名前は指を擦り合わせてまたため息を吐いた。
「アヤナミ様、あまり潔癖ですと将来の奥様に嫌われてしまいますよ。」
「いらぬ助言だな。」
「主人想いのメイドとしての言葉でございます。」
「ほぅ。お前が私想いとは始めて知ったな。」
「私も今知りました。私、心にも思っていないことを言ってしまう癖がありますので。」
それはどういう意味だ。
先程の言葉が嘘だと言いたいのか。
よく毒舌ばかり吐ける口だ。
いっそのこと唇を縫い付けてしゃべれないようにしてやりたい。
何故やってきたのがこのメイドなんだと、初日から頭が痛い。
ついでに目の下も痙攣しっ放しだ。
目障りだと思っていたメルモット上級大将は、さらに面倒なものを押し付けてくれたと即行で殺しに行きたくなった。
しかし、まだだ。
まだ、殺す時ではないと思いとどまる。
そうすると、ちょうど一週間前の出来事が頭に浮かんできた。
『アヤナミ参謀長官。』
不愉快な声に引き止められる。
会議は終了したばかりでもうここに用事はないとばかりに席を立ったのだが、空気の読めない男もいたものだ。
『少し小耳に挟んだのですが、参謀殿は小間使いを一人も雇っていないとか。』
『必要ありませんので。』
『だが参謀長官という責務につく人間には必要かと。ステータスですよ。』
侍女を雇うことでステータスになるというのなら、なんと低いステータスだ。
『よければ一人、私のほうから小間使いを差し上げましょう。』
『…ほぅ。』
あからさまに胡散臭い。
絶対にメルモット上級大将が寄越してくる小間使いが密偵だと悟った私は、小さく頷いた。
罠にかかったと見せかけて、罠にかけてやる。
「アヤナミ様?聞いていらっしゃいますか?」
「…あぁ。」
名前はメルモットのスパイ。
触れたくなるような艶のある黒髪に、甘く誘うような淡いピンクの唇。
肉付きはそれなり。
ついていないといけないところにはしっかりとついており、つかなくていいところはついていない。
メルモットが何を企んでいるのか丸分かりだ。
こんな愛想の欠片もない女に欲情などするはずがない。
「せっかくですので、ご契約内容をご確認いたしましょうか。」
名前は我が物顔でソファに座った。
一体誰がこの部屋の主かわかったものではない。
「勤務時間は7時から21時まで。休憩時間は10時から11時までと2時から4時までの3時間。まぁ…労働基準の8時間を超えていますが、手当てがでるので良しとします。」
何だ、この上から目線は。
「お休みはアヤナミ様のお仕事がお休みの日と同じ日で週2日。……因みに有給はつきますか?」
「どこまで図太いんだお前は。」
「契約内容ははっきりさせておきませんと。後々何かありましても面倒でしょう?」
「……有給は月い、」
「二日ですか?いいんですか?とても嬉しいです。」
「……。」
いち、と最後まで言うことなく、流されるようにして2日となった。
この女の流れはイマイチ掴みにくい。
「住み込み3食付きと聞いていますが…、私はどこで寝たらいいのでしょう。」
「隣の部屋が空いている。そこを使え。」
「ありがとうございます。それでは本題のお給料のお話ですが、」
「そのことについてはメルモット上級大将を通して話がついているはずだろう?」
「では変更はないですね。」
「ない。」
「かしこまりました。それでは、これからよろしくお願いいたします。」
ソファから立ち上がると、名前は深く頭を下げた。
やっとメイドらしい態度が見れたと、満足気に頬杖をついた。
(思う存分、こき使ってやる。)
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