この苦労を君は知っているのか
「あれ?あだ名たんは?」
一人で執務室に出仕すると、久しぶりにヒュウガが朝から林檎飴を舐めながら首を傾げた。
ヒュウガに先日の戦場で捕らえた暗殺者から情報を聞き出すように言ったのが間違いだったのか、4日ほどそれを理由にサボって執務室へ顔を出してさえいなかった。
コナツに聞けば捕らえた暗殺者の中の1人の女に夢中だとか何とか。
どうでもいいが、朝からそんなものを食べようという気が起きるこいつが不思議でたまらない。
だがいくら部下でヒュウガといえど、人の食にまで口出ししようとは思わないが……それでもやはり、こちらが見ているだけで胃もたれしてくる。
「あれはまだ寝ている。」
昨晩は少しやりすぎてしまったらしい。
名前が朝になっても起きないほどに熟睡していた。
起こすのが忍びなく、一人で出仕してはみたものの、ヒュウガはニマニマと笑って「へぇ♪」と意味深に頷いた。
「2週間ぶりだったもんねぇ☆」
私は林檎飴のことに何も言わなかったのに、ヒュウガは人の情事にまで口を出してきた。
ザイフォンでその甘ったるい香りを出している林檎飴を粉々に消してやる。
「オレの林檎飴ー!」
「カツラギ、調査の方はどうだ。」
朝から馬鹿に付き合うのは疲れる。
仕事はこれからなのだから疲れる前に無視を決め込む。
「えぇ、案外あっさりと。」
「では報告してもらおうか。」
執務室のソファに座り、足を組む。
座ってから気付いたが、そういえばこの席は名前が3時のおやつを食べるときによく座っている場所だった。
参謀長官室から見るここの景色と、ここから見える景色。
思っていたよりも随分とよく参謀長官室が見えた。
「まず先に、この投げつけられたナイフは確かにメルモット殿が裏で手を引いている暗殺集団のものでした。」
手渡された黒い柄のナイフを手の中で転がす。
軽くもなく重くもないそれは容易く手から手へと移り、使い勝手も良さそうだ。
黒い柄、というのも暗闇によく馴染むことだろう。
「そうか。それは名前から聞いていた。他には?」
「アヤナミ様、このナイフを持てるのは暗殺集団の人間のみ、そして、このナイフの存在を知っているのも暗殺集団とメルモット殿のみなのです。」
何だか、急に持っていたナイフが重くなった気がした。
カツラギが言う事が正しければ、このナイフの存在を知っていた名前は暗殺集団の人間ということになる。
「…ナイフの存在をメイドが知ることは不可能なのか?」
「はい。訓練場とメルモット殿の邸は区も違いますし、恐らく邸のメイドが知ることはないかと。それに…、」
カツラギは一瞬口ごもった後、深く息を吐いた。
「ヒュウガくんが捉えた暗殺集団の一人が口を割りまして。名前さんは確かに暗殺集団の人間だと。」
「見えないけどね。」
また何処から取り出してきたのか、ヒュウガは本日2個目の林檎飴を舐めていた。
「ボクも暗殺者には見えないけどなぁ。」
ヒュウガの意見にクロユリも頷いてみせた。
しかし、いくら二人がどう言おうとも真実は変わらないのだ。
名前は大人しくしているようで大人しくしていないようだな。
「それともう一つ、暗殺集団は全員暗示をかけられるらしいのです。人を殺す人形と化すらしいのですが、口を割った暗殺者は暗示が解けかかっていたようで。」
「…なるほどな。」
これであの暗殺者への奇妙な感じも頷ける。
メルモットの駒にしてはよく出来すぎていたはずだ。
「ヒュウガ、メルモットを連れて来い。」
「りょーかい♪」
「おはようございます。」
静寂を破るように、いつもより1時間遅く起きた名前が執務室の扉を開けた。
「おはよ、あだ名たん☆」
「おはようございます、ヒュウガ様。お久しぶりですね。サボりは楽しかったですか?」
「うん♪」
毒舌を物ともせず、ヒュウガと淡々と話している名前を横目で見やった。
「名前。先日は邪魔されたが、メルモットを殺そうと思う。」
大人しくしていないようなら、それを暴き、大人しくさせるまでだ。
名前の瞳は一瞬揺れ動いたが、すぐに軽く睨んできた。
というより、目が据わっていた。
「そうですか。それよりアヤナミ様、どうして起こしてくださらなかったのですか。」
「疲れているだろうと思ってな。」
「大きなお世話です。」
「お前を想ってのことだ。そう怒るな。」
「怒ります!大体、好き勝手抱いて、……ゴホン、皆さん、コーヒーなどいかがですか?」
周りに皆がいたことを思い出したようで、名前は咳払いをし、皆の返事を待たずしてコーヒーを淹れにいった。
今朝のコーヒーは砂糖の代わりに塩が入っていた。
「……」
「………」
「…」
「…」
コーヒーを飲み終わり、名前はいつになくそわそわとして話しかけたそうに口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していた。
参謀長官室には二人きり。
その空気はやけに落ち着かない。
「…名前、言いたいことがあるのなら言え。」
書類から目線をあげることなく促してやると、名前はおずおずと机の側までやってくるなり、やっと声を発した。
「いつ頃メルモットを殺すおつもりなのですか?」
「……気になるか?」
「…昔遣えていた方なので、それなりには。」
「そうか。いつがいいと思う?」
ペンを置いて机に肘をつく。
「…やはり夜、でしょうか。」
「あの黒い柄が見えにくくなるからか?」
「………アヤナミ様が何を仰りたいのか存じ上げませんが、殺す時は闇に紛れたほうがよろしいかと。」
闇はすべて覆い隠してくれる。
名前はそれを知っているのだ。
「そうだな。だがそうもいかない。今ヒュウガがメルモットを連れてきている頃だろう。」
名前が息を飲んだのが気配でわかった。
「どこに…ですか?」
「ここ以外あるまい。」
「アーヤたん♪連れてきたよ☆」
タイミング良くヒュウガがつれて来た、縄で縛られているメルモットの瞳は恐怖と屈辱の色をしていた。
「アヤナミ様、貴方、」
「何か問題でもあるか?」
名前の顔が強張っている。
あぁ、その表情は初めて見たな。と理性的な頭で思った。
「私にこんなことをしてただで済むとでも思っているのか?!」
3流役者が使うようなセリフを使い回すメルモットに冷たく目線をやり、手をかざしたその瞬間、
「動かないで下さい。」
名前によって首筋にナイフが押し付けれられた。
名前の白く華奢な手には黒い柄にトカゲの紋章が刻み込まれたナイフ。
それはひどくアンバランスで不協和音のようだったが、同じくらい似合ってもいた。
だが面白くないのも事実。
「ザイフォンを発動させないで下さい。できれば傷一つつけたくないんです。」
(そう言った名前の声は珍しく震えていた)
- 21 -
back next
index