閑話



朝起きるとすでにアヤナミ様はいなかった。

いつもならしつこいくらいに抱きしめられ、離してくれないというにも関わらずだ。

アヤナミ様の眠っていた場所のシーツはすでに冷たく、随分前にいなくなったのがわかる。


ふと、寂しくなった。


時計を見て出仕の時間を過ぎていることに驚愕し、何故起こしてくれなかったのかと不貞腐れながらベッドから飛び起きる。

何も身に纏っていない身体にシーツを巻きつけて浴室に飛び込んでシャワーを浴び、急いで服に着替えて出仕した。

出仕すると、いつもと執務室の雰囲気が少し違っていた。

挨拶をしてきたヒュウガ様に挨拶を返すと、アヤナミ様が放った言葉。


『メルモットを殺そうと思う。』


またいつか言い出すとわかっていた。

だけど動き出すのが早すぎて予測していなかった言葉に、ポケットの中に入れているナイフが重くなった。

アヤナミ様を傷つけるつもりなんてない。
できることならアヤナミ様もブラックホークの皆も傷一つつけず、メルモット様も命だけは助けてやりたかったのだ。

且つて、メルモット様が私の命を救ってくれたように…




あの日は雨が降っていた。
バケツをひっくり返したような土砂降りの雨。

その当時私はまだ8歳だった。

暮らしは裕福とはかけ離れていて、父は病でとうの昔に死んでおり、私は小さな身体で衰弱死した母の痩せ細った亡骸を道の隅っこで抱きしめていた。

きっと私も母のように死んでいくのだろう。

何てちっぽけな人生で、何てちっぽけな世界なのだろうと、瞳を開けることのない母を見下ろしていた。

世界に絶望し、人生に絶望していた私に手を差し伸べてくれた大きく優しい手。

たまたま通りがかった男の手。


それがメルモット様だった。


私を拾い、まずお風呂に入れてくれた。
それから食べきれない程の食事を与えられた。

ふかふかのベッド、綺麗な服、そして雨風を遮れる部屋を与えられ、そればかりかマナーや文字の読み書き、勉強を教えてくれた。

私が15歳になった頃には、自らメルモット様のお役に立ちたいとメイドになった。

そして偶然見かけたトカゲの紋章の入ったナイフ。

聞けば「お前は知らなくていいんだよ」と諭された。

けれど私は掃除をする時に見つけてしまったのだ。

メルモット様がこれから創ろうとしている暗殺組織の書類を。

今思えば、ちょうどこの頃だった。
優しかったメルモット様が強面の人達と付き合うようになり、優しくなくなってしまったのは。


でも私はその組織に入りたいと自ら志願した。

もっともっと、役に立ちたかった。
もっともっと、ご恩に報いたかった。

18歳になったその日から私は暗殺者の教育を受け始めた。

だが。

私は暗殺者に向いていなかった。


数ヶ月が経ち、数年が経ち、やっとナイフが手にしっくりくるようになった頃。

私に暗殺者は向いていないとただのメイドに戻された。

この頃のメルモット様はもう昔の優しい面影さえ残っていなかった。

その事実とメイドに戻された事実は私にはショック過ぎた。

気分が悪くなり、笑顔が消えたちょうどその頃のパーティーでのこと。

アヤナミ様だけが私の体調が悪いことに気づいてくれた。
弱っている私には、その不器用でぎこちない態度と言葉も、最上級の優しさに見えた。

少しだけ、優しかった頃のメルモット様に見えた。


大切なメルモット様。
大好きなアヤナミ様。

2人の間に挟まれる日々は苦しかったけれど、とても幸せだった。

もちろん、このままでいられるはずがないことなどわかっていた。


柔らかい肉をナイフ越しに感じる。


「動かないで下さい。」


アヤナミ様、私は貴方を傷つけたくないんです。

ただ、私は2人とも傷つけたくなかった。

メルモット様を殺して欲しくなかった。

この人は誰よりも優しくて、人に唆されて悪の道に入ってしまうくらいお人好しで弱いから。


アヤナミ様、裏切りたくて裏切っているわけではないんです。

お願いだから、私の貴方を想う気持ちだけは疑わないで下さい。


大好きです、アヤナミ様。

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