形勢逆転の意地悪



「ア、アヤナミ様っ!!」


彼女にしてはとても珍しく、少し慌てて困惑したような声が自室に響き渡った。

また新たな一面が見れたな、と内心ほくそ笑む。
多少なりとも意地の悪いことをしたと理解しているが、それでも笑わずにはいられなかった。


事の発端は数時間前まで遡る。




「あの…なんですか、これは。」

「酒だ。」


名前の勤務時間の終わるちょうど3分前、20時57分。
食事の片付けが終わった頃を見計らって酒をテーブルの上に置いておくと、リビングから出てきた名前は開口一番そう言ってのけた。


「晩酌なさるのですか?でしたら早めに言っておいていただかないと…おつまみ作っていませんよ。」

「いらぬ。少しでいい、付き合え。」

「いえ、勤務中ですから。」

「そういうと思っていた。だが後3分で終わる。グラスを用意してコルクを開けていればあっという間だ。ほら、あと2分だ。」

「アヤナミ様…もっと別の方と飲まれていかがですか?このワインは確か世界に数十本しか生産されないという稀少なワインですよね?」


だからこそだ。
だからこそ…、味のわかるものと飲みたい。


「ワインは嫌いか?」

「いえ、そういうわけでは…。」

「なら飲むぞ。飾っているだけでは宝の持ち腐れだからな。それに飲みたそうな顔をあれほどしていたメイドに飲まれるのならこのワインも本望だろう。」

「……気付いていらっしゃったんですか…。」

「あれだけ凝視していたら馬鹿でも分かる。」


数日間、貰ったばかりで適当に部屋に置いていたワインの存在に気付いた名前は、それはそれは飲みたそうに見つめていたのだ。


「飲むだろう?」

「………いただきます。」

「そうかしこまるな。ちょっとしたボーナスだと思えばいい。」

「どれだけ高いボーナスですか。一本を二人で割ったとしても………」


急に遠い目をした名前はため息を吐いた。



「どうした。」

「考えたくなくなりました。値段など気にせずおいしくいただくことにします。」

「あぁ、そうしてくれ。」

「グラスを取って参ります。」

「いや、私が取りに行こう。」

「はい?いえ、私の仕事ですから。」

「勤務時間は終わったが?」


10時を2分ほど過ぎた時計を指差すが、名前は首を横に振った。


「この希少価値を知っているからこそ。ボーナス分にはとんと及びませんがそれくらいはさせてください。」

「いいから座れ。」


椅子を引いてやると名前はさらに躊躇った。


「主がメイド風情に椅子を引くなんてありえません!」

「うるさい。今の時間はメイドではないだろうが。座れ。」


挙動不審になる名前にピシャリというと、おずおずと頷いた。
名前の座る仕草に合わせて椅子を動かしてやり座らせると、グラスを取りにキッチンへ向かう。

その際も名前は落ち着かないように目をあちこちへと動かし、そわそわしていた。


グラスを持ってテーブルに近づき、ワインに手をかける。

すると名前はハッとしたように私の手に触れた。


「アヤナミ様、コルクくらい私が。」

「お前はどれだけメイド根性が身に滲みているんだ。」


問答無用でコルクを開け、ワインをグラスへと注ぐ。
葡萄の芳醇な香りが部屋に立ち込めはじめた。


「数年もメイドをやっていたら自ずと。落ち着かないのです。」

「では逆にそのメイド根性で落ち着け。」


グラスを少しだけ傾けて名前の目の前に突き出すと、名前も自分の分のグラスを手に掴んで軽く合わせた。

チンッ、と高い音が鳴り、お互いにワインを口に含む。


「…おいしい…」

「あぁ。」

「アヤナミ様もワインをお好きなのですか?」

「そうだな。」

「分けていただいてありがとうございます。」


小さく頷いてグラスを空にすると、名前はすかさずグラスにワインを注いでくれた。

名前もあっさりとグラスを空にしているので、ボトルを持ち注ごうとすると手でストップをかけられた。


「遠慮するな。」

「いえ…そうではなくて…。私、お酒は好きなんですが弱いのです。なので、」

「せっかくだ、せめてもう一杯だけでも飲んだらどうだ?」

「……」


黙り込んだ名前はまるで、自分の中の自分と葛藤しているようだ。


主人が進めるから飲まなくてはいけない、というような律儀な性格はしていないので、恐らく本当に飲みたい自分との葛藤に違いない。

数秒悩んだ名前は、「それでは…あと一杯だけいただきます。」とグラスを傾けた。

透明なグラスに注がれゆくワインを眺め見ながら、名前は瞼を半分ほど下ろしていた。

呼吸もやけに深くゆっくりだ。

嫌な予感にワインを注ぐ手をピタリと止め、名前の名前を呼ぶがすでに返事はない。


ボトルを机に置いた時にはすでに名前の瞼は下りきっていた。


「名前、起きろ。」


いくら名前を呼ぼうが起きない。

さすがの名前も毒舌は吐けど無視だけはしないので本当に眠っているのだろう。
それも名前を呼ばれても起きないほどかなり深く。


どれだけ酒に弱いんだ、こいつは。


さて、どうするか。


腕を組んで机の上で器用に眠っている名前を眺める。


部屋に運ぶも良し、このまま寝かせておくのも良し。


しかし、無防備に寝ている名前にいつもの毒舌のお返しというものをしたくもなった。


一口ワインを流し込み、眠っている名前を抱き上げると寝室のベッドへと運んだ。



……自分の、寝室のベッドへと。



そして今に至るというわけだ。


「アヤナミ様、どういう状況ですか、これは。」


シーツを握り締めて唖然としている名前はとても見ものだ。

日頃決して見れないような表情を見ることができてやり切った感がある。


「ワイン一杯で眠りこけた名前を運んでやっただけだが?」


「放っておいてくださって結構だったんです!」

「あのまま放っておいて風邪をひかれるほうが迷惑だ。」


心にもないことを並べると名前がジトリと睨んできた。


「ではせめて私の自室で、」

「名前、朝食の時間をいつもより30分も過ぎている。二人揃って遅れるつもりか?」

「起こしてくださればよかったでしょう?!?!」


珍しく叫んだ名前はやはり内心焦っているようで、ついには喉の奥で笑ってしまった。


「アヤナミ様、私で遊ばれましたね。」

「何もなかったかとは聞かないのか?大人の男と女が同じ寝具で一晩を過ごしたんだぞ?」

「何もなかった。そうですよね?」


着衣の乱れがないことに少しの確信を孕んだ声。
しかしその瞳は見えない確証を探している。


「さぁな。」


くつり、と笑うと名前が枕を投げてきた。


「カツラギ様の今日のおやつ、アヤナミ様の分は私がいただきますから。」

「ほぅ?運んでやって礼は言われど、文句を言われるとは思っていなかった。」


枕を片手で受け止め、名前の頭の上に乗せてやれば名前はムスッとした。


「毒舌のスキルがあがったんじゃないですか?」

「名前ほどではない。それより名前、先程から顔が赤いな。」


スルリと頬を撫でてやると、名前は次の瞬間、無慈悲にも朝食抜きを言い渡した。



(う、うるさいです!!)

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