愛してるは言わない



「アヤナミ様、朝ですよ。」


窓から降り注ぐ太陽の光を遮断しているカーテンを開けながら名前が起こしにきた。

名前の声は最初こそうるさいと感じていたが、最近は専ら良い目覚めにしてくれる。
絆されているなと思うがそれはそれでいいかと思っている自分も居て、そんな自分が嫌いではない。

心地よい存在を心地よくないと無理矢理嘘をついて誤魔化すくらいなら、いっそのこと心地よい存在だと認めてしまったほうが潔いではないか。

たとえそれが敵側が送ってきたスパイだとしても、何の特訓もしていない名前に秘密事項を漏らすことも見つかることもない。

むしろ上手く使ってやろうとさえ思う。
そしてメルモットから見放された時、手を差し伸べて完全に味方につけたい。

スパイとしては半人前以下、メイドとしては少し口うるさいぐらいだが手元に置いておきたい。

今はその時ではない。
名前はまだメルモット側。
機会は間違うべからず。


「アヤナミ様、朝食を召し上がる時間が少なくなってしまいますよ。」


もぞりと動きはするが起きないでいると名前は近づきながらまた声をかける。


「アヤナミ様、起きてくださ、ッ?!?!」


名前の声は途切れた。

私が近づいてきた名前の腕を引っ張ってベッドに引きずり込んだからだ。


「…アヤナミ様、」


今度の名前の声はくぐもっていた。
先程名前の声は気にならないと思ったが、寝起きはこれくらいがちょうどいいかもしれない。


「アヤナミ様、セクハラですか?」

「寝起きで寝ぼけただけの話だろう?」


瞼は閉じたまま、寝起き特有の少し低く掠れた声で言うと、名前は私の胸板を押して抵抗を見せた。

しかしひ弱な名前の抵抗は抵抗にさえならない。

腰にまわしている手を自分の方へ引くと、名前の体が少し硬くなるのが目を閉じていても分かった。


「わかりました、今度から近寄らずに高枝切りバサミで突いて起こして差し上げます。」

「それは最悪の目覚めになりそうだ。」


男の体とは違う柔らかい体を抱きしめればふわりと甘い香り。
女は、というか、名前はどうしてこうも良い香りがするのだろうか。


「アヤナミ様、本当にいい加減にしないと刺しますよ。」

「……」


何で刺すつもりだ、とさえ聞けないほど、声がやけに本気を孕んでいた。

名残惜しげに手を離してやると、名前はもぞもぞとベッドから這い出ていく。

やっと瞳を開いて上半身を起こせば名前はベッドの脇に立ってこちらを睨んでいた。


「おそようございます、アヤナミ様。」


それはそれは赤い顔で。


無機質な声とは裏腹に表情だけは素直なようだ。

笑う顔も怒る顔も好きだが、何よりこの恥ずかしそうに顔を赤くしている表情が好きだ。
そう言ったら彼女はどんな顔をするのだろうか。
怒って部屋をでていくのか、それとも冗談でしょうと笑い飛ばすのか、あぁでも何より顔を更に赤くしそうだ。


「アヤナミ様、法廷に立つ準備は整っておいでですか?」

「ちょっと寝ぼけていただけだろう?」

「あれのどこが寝ぼけていらっしゃったと??大体私が酔っ払って寝てしまった日以来セクハラが過ぎますが。」

「スキンシップという言葉を知っているか?」

「アヤナミ様の口からスキンシップだなんて…不気味気持ち悪いです。一番縁がなさそうじゃないですか。」

「朝からお前は元気だな。」

「アヤナミ様が一気に覚醒させてくれたんです。どうもありがとうございました。」


投げやりに言う名前は「もう遅刻されても知りませんから」と寝室を出て行った。


そんな様子を眺め見ながら満足げに口の端を吊り上げる。


良い目覚めだ。





「上司のセクハラをどう思われますか。」


その声にあいつは何をしているんだ、と執務室へと視線を向ける。
すると、名前は起きたばかりのクロユリに至極真面目に問うていた。

クロユリは少し眠たそうに目を擦って首を傾げる。

しかし何故クロユリだ。
どう見ても人選ミスではないか。

どうせならカツラギやハルセにしたらいいものを。
ヒュウガを選ばなかった所は褒めてやるが。


「何?名前セクハラされてるの?」

「はい。」

「それってヒュウガ?」

「クロたん、オレはセクハラなんてしないよ☆スキンシップならするけど♪」


そういってヒュウガは今日のカツラギのデザートを食べようとしていた名前の腰に手を回した。


鞭を打ちに行こうと腰を上げようとする前に、名前は素早く持っていたフォークでそのヒュウガの手を刺した。

ぎゃぁ!と床をのた打ち回るヒュウガを満足そうに見下ろしている名前は少しばかり怖い。


「ヒュウガ様ではないんですけれど、その方も同じようにスキンシップと言ってベッドに引きずり込んだりするんです。」

「セクハラ上司か〜それは最低だね。」

「さすがクロユリ様。お話が分かる。」


クロユリはそれが私だと微塵も思っていないようでハッキリキッパリと『最低』と言ってのけた。


「でも名前、嫌じゃないんでしょ?」

「……はい?」

「だってそういう顔してる。」

「そ、そういう顔…でございますか?」

「うん。好きって書いてある。」


次の瞬間、名前はフォークを机の上に置いて執務室を飛び出していった。


そしてクロユリを除く皆の視線が一気に私のほうへ集まった。

床に這いつくばったままのヒュウガさえこちらを見ている。


まるで『追ってあげて!(ください!)』と言っているようだ。
目は口ほどに語るというがあいつらは語りすぎだ。


数秒、間を置いてからため息を吐くと腰を上げた。





「名前、」


気配を追っていくと、名前は自室に篭っていた。
一度名前を呼んで中に入ると、椅子の上で丸くなっている物体があった。


「ノックも無しに入ってこないで下さい。何ですか、コーヒーですか?お茶ですか?残念ながら私ただいま休憩中で、」

「クロユリの言うことくらい毒舌で『そんなことはありえない』とでも言って誤魔化しておけばよかっただろうが。」

「…」


名前はずっと顔を伏せたままだ。


「それとも、誤魔化すのも嫌なほど好いていてくれたか?」

「自惚れはいつか身を滅ぼしますよ、アヤナミ様。」

「自惚れか…。そういう言葉はその赤い顔をどうにかしてから言うんだな。」


名前の前で片膝をついて名前の顔を上げさせる。
すると、名前は抵抗こそしなかったが目だけは逸らした。

それが私を煽る行動だとは気付かずに。


抱きしめたい衝動、口づけてしまいたい衝動に駆り立てられる。
無性に、どうしようもないくらいの激しい衝動。


「名前のそういう表情はなかなかそそられるな。」


するりと頬を撫でる。


「名前、好きだ。」


名前はまるで時間が止まったかのように瞬きさえ忘れて目を大きく開いた。
まるで信じられないものを見ているかのように。


だが多少確信はあった。
想いを寄せているのは私だけではないと。

だが名前は口を固く結び、目だけではなく顔までも逸らした。


「アヤナミ様、お気持ちはありがたいのですが…、私には身に余ります。私は…確かに貴方の駒ですが、本来メルモット様の駒でもあるのです。」

「お前がメルモットの味方でも構わない。」

「駄目です。私はアヤナミ様の敵だから…アヤナミ様とはずっと一緒にはいられません。だからもし、私がアヤナミ様をお慕いしていても、愛してるは言いません。」


(違う、言えない。)

- 9 -

back next
index
ALICE+