明日の約束




「ドラコ、走るなと何度言えば……」


やれやれとため息をつきながら入って来たのはシシーの夫であり、ドラコの父、ルシウスだ。
プラチナブロンドをかき上げるその仕草には気品があった。

ふと、視線をドラコの頭を撫でている人物へ目を向け、ルシウスは石化呪文でもかけられてしまったかのように固まる。


「……ッ、」

「ルシウス、久しぶりね。元気だった?」


ナルシッサとドラコに気付かれない様に僅かに威圧を込めてにこりと微笑んだジルにルシウスは取り繕うように挨拶をする。


「あ、あぁ、久しぶりだな。ドラコ、荷物を片付けてきなさい。シシー、ドラコを見てやってくれ」

「えぇ。ドラコ、行きましょうか」

「はい!ジル叔母様、またあとで!」


ナルシッサとドラコが中庭を去った後、ルシウスは杖を振って防音呪文かける。ジルの正体もこれから話すことは家族にすら聞かれては困る。
にこりと微笑んだままのジルは透き通る紅い瞳をルシウスに向けた。


「ジル様、お久しぶりです。先程は愚息がとんだ無礼を」


そう言ってルシウスは膝を折って頭を下げる。
語尾は僅かに震えてしまった。

―――ナルシッサとドラコはジルの素性を、本当の意味で知らない。

本来であれば、ジルと気軽く呼び捨てにしたり、まして“叔母様”などと呼べる相手ではない。

近くに死喰い人がいればすぐにでもリンチされそうなことを、しかもドラコに至ってはいきなり飛びついている。

ジルがどういう存在なのかマルフォイ一家の中で唯一知るルシウスがジルを恐れるのも無理は無い。

むしろジルにあんなことをして生きているナルシッサとドラコが例外なのだ。


「構わないわ。それよりも、元気そうで何よりね」

「ありがとうございます」


あっさりと許され、かけられた言葉は自身を気にかけるものだったことにほっと安堵してルシウスは頭を上げた。

ジルは椅子に腰かけると、すっかり冷めてしまった紅茶に向かって杖を振り、中身を消し去ると自分好みの紅茶を注いだ。

少し甘めに淹れた紅茶を口に含み、今だに跪いたままのルシウスに席に着くように促し、また杖を振りティーカップにダージリンを淹れる。


「そう言えば、今年はルーマニアの方に行っていたのだけれど、そこで面白いもの見つけたわ」

「面白いもの、ですか?」

「えぇ、あそこにね、いたのよ」


ジルの言葉に首を傾げる。“いた”とは何が?と視線で問いかければ、新しいおもちゃを見つけた子供の様に笑ってジルは言った。


「闇の帝王と言われ、調子に乗った挙句、たった1歳にも満たない子供に滅ぼされかけた哀れな愚弟よ」


背筋が凍りつく。闇の帝王が生きていた、そう言っている彼女の言葉が信じられなかった。


「我が君が?本当に?」

「えぇ、ちょうど体を手に入れようとしていたようだから手助けしてきたの」

「それでそのあとは?我が君はどこへ?」

「賢者の石を狙ってるらしいわ。だからちょっと“お願い”して取って来てもらうことにしたわ」

「…………」

「今あの子が取り憑いてるのはホグワーツの教師なの。"お使い"が失敗してもあそこにはセブルスがいるし、とーっても楽しみ。ね?」


言外に同意を求められ、ルシウスはなんとか頷く。
うふふ、と笑う彼女はまるで少女のようで純粋に見えた。


彼女はヴォルデモート卿の姉だ。

けれど彼女は闇の陣営にいながら弟であるヴォルデモートに協力するでもなく、敵対するでもなく、ただ傍観を貫いていた。

何を思ってそうしていたのか真意は不明だが、昔一度だけ愚かな死喰い人が彼女に突っかかったことがあった。

曰く「我が君に従わないのは不敬だ」と喧嘩を吹っ掛けた結果、その死喰い人は彼女に殺されたのだ。……ヴォルデモートに殺されるよりも残酷な方法で。

それ以来暗黙の了解が出来上がり、彼女に媚を売る者はいても、逆らう者はいなくなった。

そして、目の前の彼女はヴォルデモートとより年上だというのに、ルシウスの知る限り一切外見が変わってないのだ。

あのヴォルデモートですら、老いには勝てず、死を克服する方法を探していたというのに。




少しして、ホグワーツ入学に必要な学用品の整理が終わったのかドラコとナルシッサはまたジルとルシウスがいる中庭へと戻ってきた。

ちょうど席を立とうとしていたジルにしょんぼりとした表情を浮かべたドラコ。


「ジル叔母様、今日はもうお帰りになるのですか?」

「そうね。ドラコの顔を見たくて仕事からそのまま来てしまったから」

「そうですか……」


見るからに肩を落とし落ち込むドラコの父親似のブロンドを撫でてジルは笑った。


「明日また来るわ」

「!本当ですか?」

「えぇ、私がドラコとの約束破ったことあった?」

「ありません!」

「でしょ?」

「こら、ドラコ。ジルをあまり困らせてはいけませんよ」


そう窘めるナルシッサも明日またジルに会えるとわかり、嬉しそうである。
ルシウスは家族がジルに粗相をしないか内心冷や汗をかいているのだが、賢明にも口を閉じていた。
ジルが許しているのだから、これでナルシッサとドラコを罰することはないだろう。


「じゃあ明日、お土産を持ってくるわ。何がいい?」

「……、僕、お土産はいりません!ジル叔母様に早く会いたいです」


ドラコの言葉に一瞬目を瞠ったジルだったが、こちらを必死に見るアイスブルーの瞳に笑いかけて言った。


「分かったわ。明日は9時ごろこちらへ来るわね?」

「はい、お待ちしてます!」


ジルはドラコの小さな額にそっとキスを送り、別れの挨拶をする。


「それじゃあ、ルシウス、今日はありがとう。また明日お邪魔させてもらうわね」


マルフォイ家の門まで見送られ、ジルは杖を振るとバチンと鋭い音を残して姿をくらました。