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 ユリエル、とシルヴィーが、僕を呼び止める。僕が振り向くと、シルヴィーは軽く手を上げた。イザヤールさまとの修行はどうだ? と訊かれて、僕は少しの間を空ける。
 優秀な守護天使であるイザヤールさまの弟子になって、数ヶ月。イザヤールさまは厳しくて、毎日ついていくのがやっとだ。そんないっぱいいっぱいの僕とは違って、シルヴィーはいつも余裕そうだ。もっとも、余裕そうなだけで、本当に余裕なのかはわからないけれど。

「やっぱり噂に聞いてた通り、厳しいよ。でも、厳しいだけじゃなくて……うん、やりがいがあるよ」

 そっか、とシルヴィーは言う。シルヴィーは僕がイザヤールさまに弟子入りする少し前に、とある上級天使さまに弟子入りしている。イザヤールさまとは違い、穏やかで優しいそのお師匠さまを、シルヴィーは尊敬し、信頼しているようだった。

「僕、よく失敗しちゃうから、怒られてばっかりだけどね。でも、次に失敗しないためにはどうしたらいいか、って一緒に考えてくれるんだ。優しい人だよ、イザヤールさまは」

 いい師匠に出会えて、よかったな。としみじみとシルヴィーは呟いた。
 うん、と深く頷いて、僕はじゃあね、とシルヴィーに手を振る。イザヤールさまのところに行かなくちゃ。遅刻なんてしたら、また怒られてしまう。

***

 いつの間にか、眠っていたようだった。目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。ここはどこだろう。天使界にこんな部屋があったのだろうか。起き上がり、あたりを見回す。
 混乱していると、扉の向こうから物音がした。誰かの足音だろうか。トントントン、とリズムよく音が聞こえて、それに聞き惚れていると、扉が開いた。人間の少女がそこにいて、あれ、この子見覚えあるなあ、と思っている間に、彼女は僕に駆け寄ってきた。

「よかった、目が覚めたのね!」

 彼女は間違いなく僕に話しかけていて、さらに混乱してしまう。この部屋に、彼女と僕以外には何もいなくて、でも僕は人間には見えないはずなのに、彼女は確かに僕の目を見て、話している。

「……大丈夫? 何があったか覚えてない?」
「う、うん……」

 ここは天使界ではなくて、人間界みたいだけど、いったいどうして僕は人間界の民家で、ベッドに横たわっていたのだろうか。彼女は心配そうに僕の顔を覗き込む。

「あなた、この村の滝に落ちたのよ。びっくりしたわ、人が落ちてくるんだもの。なかなか目を覚まさないし、心配してたのよ。目が覚めて、本当によかった……」

 彼女の言葉で、少しずつ思い出してきた。そうだ、僕は世界樹に星のオーラを捧げて、女神の果実が実って、天の箱舟もすぐそこまで来て、それで……何か邪悪な力が天使界を襲った。その衝撃で、僕は天使界から落ちたんだ。
 そういえば、と背中に触れてみる。そこにあるはずのものは、あとかたもなくなくなっていて、背筋が冷える。僕が人間たちの目に映るようになったのは、翼がなくなったから?
 それよりも、翼がないということは、空を飛べないということだ。それじゃあ僕は、いったいどうやって天使界に帰ればいい? 僕はまだ、天使なのだろうか? わからない、でも、翼をなくした天使なんて見たことも聞いたこともない。どうすれば……。

「そうだ、お腹とか空いてない?」
「……? うーん……、わからない」
「そう……。目が覚めたばかりだものね。それならせめて、お茶でも飲んだ方がいいわ。持ってくるわね」

 ぱたぱたと、彼女が部屋から出ていく。

 あ、あの子……確かおじいさんと一緒にウォルロ村に向かっていた子だ。ということは、ここはウォルロ村? そうだ、さっき滝に落ちた、と言っていた。たぶん、間違いない。まったく知らない土地ではないことに、少し安堵した。

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