▽前編
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「…た、ただいま」
夜の11時。ヒーロー活動を終え家に帰ると待っていたのは愛しい彼女だった。
「葵、先に寝てていいって言っただろ。俺の仕事いつ終わるかわかんねぇし」
『だって鋭ちゃんと会いたかったんだもん』
そんな可愛いことを笑顔で言われてしまっては、これ以上何も言えなかった。
靴を脱ぎ部屋に入ればいい匂いが漂っていて、テーブルの上にはラップのかけられたトンカツが置いてあった。
『ご飯まだ食べてない?』
「まだ食べてねぇ」
『よかったぁ。すぐ温めるから手洗って待っててね』
彼女はテーブルの上にあったトンカツののった皿をレンジへと入れた。
他にも冷蔵庫に入れてあった切った野菜を取り出しテーブルに並べていく。
温まったトンカツの匂いは俺の食欲をさらにそそった。
「ありがとな」
『えへへ』
彼女と一緒にいると仕事の疲れなど一気にふっとんでしまうから不思議なものだ。
「明日は夜遅くなるからご飯は作らなくていいぞ。高校の同級生と飲んでくるわ」
『もしかしてこの間言ってた爆心地…?』
「そうそう。久々に休み合ってさ、他にも何人かいるんだけどさ」
『そっか!久々に会うんだし楽しんできてね』
今やトップヒーローとなった爆心地こと爆豪は休みを取るのもやっとなほど忙しく、なかなか時間が合わず同窓会にすら顔を出せない程だった。
しかしたまたま休みが取れたということで、上鳴や瀬呂など同級生のときによく絡んでいたメンバーで飲み会をすることになったのだ。
『また紹介してね。あ、でも上鳴さんは一度会った事あったっけ』
「あー…あいつな。時々仕事一緒になるから今度また連れてくるわ」
『楽しみにしてるね』
彼女と出会ったのは高校を卒業してヒーロー活動を初めて間もない頃だった。
初仕事で敵と対峙し、崩壊した建物に閉じ込められていた彼女を助けたのが最初の出会いだった。
翌日助けてもらったお礼に彼女が俺を訪ねてきたときにお茶をして、そこから時々会う仲になった。
細かいことにも気が利いて、誰に対しても平等で優しい彼女にあっという間に惹かれた。
思い切って告白をすれば、彼女は照れながらも嬉しそうに受け入れてくれた。
それから数年後、俺は独立して小さいながらにも事務所を建てた。
事務所の2階の自宅で同棲を初めて2年と少しが経った。
これから先の事を考えていないわけではない。
「切島もそろそろ結婚だなぁ」
ビールのジョッキを片手にぽつりと上鳴が呟いた。
個室に入り、ビールとつまみが届くなり話は俺と彼女の話になった。
上鳴はたまたまデートしている最中に会ったことはあるし、瀬呂と爆豪には彼女ができたことは話していた。
「もう付き合って2年経ったんだろ。確かに結婚は考えだすよな」
1回会っただけだけどすっげぇ綺麗だし気は利くしいい子だった。あんないい子他にはぜってぇいねぇし、早いとこプロポーズしろよなお前」
「…俺だって考えてんだよ」
結婚を意識し始めたのは数か月前。
ヒーローになったばかりの頃に初めて入った事務所の先輩が結婚したと報告を受けてから、彼女との結婚を考えるようになった。
実を言えば結婚指輪も既に用意してある。
「じゃあなんで言わないんだよ。絶対オッケーしてくれるだろ」
「……葵の考えてることがわからねぇ…」
「なに、お前…マリッジブルーにでもなってんの?」
「ちげぇよ。葵ってさ、すっげぇ気は利くし可愛いし、飯も美味いし見てるだけで癒されんだけどさ」
「惚気かよ」
「…アイツ…怒らねぇんだよ」
彼女と出逢ってもうすぐ3年は経つ。
俺は一度も彼女の怒った姿を見たことがない。
「いいじゃん。心が広いって証拠じゃん」
「…でも普通怒るところも怒らねぇんだぜ?」
仕事終わりに飲みに行くことになり、連絡もせず日を超えた時間に帰宅したことがあった。
流石に怒られると思い、恐る恐る玄関のドアを開けて中に入れば彼女はエプロン姿のまま出迎えにきた。
頭を下げて謝った。怒られても仕方ないと覚悟していたのに、彼女は笑顔で「おかえり鋭ちゃん」と言ったのだ。
テーブルを見れば俺の分のご飯が用意されていた。
俺が帰ってくるのを彼女はずっと1人で待っていたのだ。
怒って当たり前のはずなのに、彼女は少し残念そうにご飯の片づけを始めた。
それだけではない。
彼女との久々のデートの約束を仕事が入ったとドタキャンしてしまったときも、彼女は怒ることなく許してくれた。
他にも怒る場面はいくらでもあった気がする。
けれども彼女はいつも笑って許してくれて、そのため今まで一度も喧嘩をしたことはなかった。
周りから見れば幸せなことなのかもしれないが、俺にはそれが不安だった。
もしかすると俺に言えずに溜め込んでいることがあるのではないか。
俺は彼女から頼られていないのではないか。
「本人に直接聞けばいいだろうが」
目の前の席に座ってずっと黙っていた爆豪が口を開いた。
既に2杯目のビールを飲みほした爆豪は新たに違う酒とつまみを注文していた。
「…まぁそうなんだけどさ」
「とりあえず今日はパーッと飲もうぜ!」
俺はジョッキに入っていたビールを一気に飲み干した。
***
夜中の12時を過ぎた頃、玄関のドアが開く音がした。
さっきまで寝ていたかのように髪の毛をぐしゃっとかきあげ、玄関へ向かった。
『おかえりなさい。鋭ちゃん』
「葵ー…起きてたのかー…」
『さっきまで寝てたけど目が覚めちゃったんだよ』
かなり酔っぱらっているのか彼の頬は赤くなっており、じっとしていれば今にも眠ってしまいそうなほど虚ろな目をしていた。
彼を支えるようにして寝室まで連れて行く。
「葵ー好きだぞー……」
『うん。私もだよ』
ベッドに横になった彼の頬にキスをする。
幸せそうな顔をして彼は夢の中へと入っていった。
時々、夢の中で私の名前を呼んでいた。
『もっと…もっと私に溺れてよ…鋭ちゃん…』
私は彼の髪を撫でた後、部屋を出た。
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