素敵な人(切島)
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「切島って“いい人”だけど恋愛対象ではないよねー」
中学生の頃、何度か聞いたことのある会話。
その日も放課後の教室で女子たちが話しているのを偶然耳にしてしまった。
「超わかる!優しいけどなんか見た目とか地味なんだよねー」
「漢気がって言ってるとこもちょっと暑苦しくて苦手だわー」
聞かない方が絶対にいいはずなのに物陰から立ち去ることができなかった。
会話をしている女子たちのなかには、俺が少し気になっていた女子もいた。
他の女子たちと一緒になって同調していた。
(マジか…またそんな風に思われてたのか…)
小学生の頃にも好きになった女の子に言われたことがあった。
“いい人”だけど好きじゃない。
まさか中学3年になっても同じことを言われるとは思わなかった。それも複数の女子に。
「如月さんもそう思わない?」
ずっと話していた女子は、少し離れたところで黙って座っていた女子に話をふった。
『別に思わないけど』
きっぱりと答えた。周囲の空気に合わせるでもなく。
一瞬、周囲の空気が止まった。けれどその様子に動揺することなく彼女はみんなの視線を浴びていた。
「じゃあもし切島が告ってきたら付き合うの?」
『ううん。付き合わないよ』
「へ?だってさっき…」
『だって私、切島って人と喋ったことないし。どういう人か知らないのに決めつけはよくないでしょ』
もしかしたら気が合うかもしれないし合わないかもしれないし、と付け加えた彼女の言葉には何の含みもなかった。
喋ったことのない女子にも言われてきた言葉を彼女はあっさりと否定した。
少しだけ空いた扉の隙間から教室を覗いてみると、声の主と思われる彼女は、ちょうど顔が見える位置に座っていた。
彼女を見た瞬間、胸の鼓動が高鳴った。
言葉ひとつで単純かもしれないが、俺の心は彼女に奪われた。
あの日から何度か話しかけてみようと思ったが、初対面でいきなり何を話せばいいか分からずすれ違っても目で追うことしかできなかった。
唯一進展があったといえば、彼女の名前が如月葵ということを人づてに知ったことだった。
それ以上の進展はないまま、気づけば時間だけが過ぎて行き季節は冬になっていた。
吐く息が白くなるぐらいの寒さの放課後、ほとんどの生徒が帰った後で校内は静まり返っていた。
提出物を職員室まで出した後、下駄箱へ向かうため自分の学年の教室の前を通りかかったときだった。
「さっむいなぁ…ん?」
廊下に置かれた掃除用具入れから何かが挟まっていた。
用具入れの扉を開けて取り出すと、その何かはボロボロになった1冊のノートだった。
表紙に書かれた“数学”という文字と持ち主であろう人の名前がかろうじて読めた。
「如月…葵…って」
その名前は俺が心を奪われた彼女の名前だった。
もういないだろうと思いながらも彼女の教室へ向かった。
ガサガサと教室から音が聞こえた。
開いていた扉から中を覗くと、静まり返った教室の後ろで無表情のままゴミ箱を漁っている彼女がいた。
彼女の足元には拾ったノートと同じようにボロボロになったペンケースやシャーペンが落ちていた。
鈍い俺でも流石に状況が分かった。
俺はノートを手に彼女に近づいた。
「あ、あの、これ…」
俺の事に気づいた彼女は漁っている手を止めた。
差し出されたノートを見て一瞬驚いたように目を大きく開いたが、笑顔でノートを受け取った。
『ありがとう』
「えっと…大丈夫か?」
『大丈夫だよ。慣れてるから』
「慣れてるって…いつもこんな目にあってるのかよ」
表情を変えることなく淡々と答え、再びゴミ箱を漁る手を動かし始めた。
『私、空気が読めないみたいで、自分の思ったことずばずば言っちゃうから人を怒らせやすいみたい』
ゴミ箱からは折れたシャープペンシルやキャップの空いたペンが出てきた。
埃のついたそれらを手で払い落とし床にあったペンケースに入れていく。
よく見れば彼女の履いていた上履きも酷く汚れていた。
「だからって、こんなことしていいわけないだろ!?」
『…!』
「あ、わりぃ。つい声が大きくなっちまった」
『フフッ』
彼女は小さく笑った。
彼女の笑みにドキっとした。
『変な人。他人のことで怒ってくれる人初めてかもしれない』
「そ、そうか?」
『うん。ありがとう、怒ってくれて。えっと…名前なんだっけ』
「切島!1組の切島鋭児郎!」
俺の名前を聞いた彼女の目がまた一瞬だけ大きく開いた。
あ、と小さく呟いて俺は何か変なことを言ったのかと首をかしげた。
『あなたが切島くん。この間クラスの子が言ってた“いい人”』
「ははは…そ、そっか」
あの時の女子の会話がよみがえる。
“「切島って“いい人”だけど恋愛対象ではないよねー」”
その会話だけを思い出すと胸が痛む。
『じゃあね、切島くん』
彼女はボロボロになったペンケースや受け取ったノートを鞄の中につっこむと、教室を出て行った。
***
数日後の昼休み、なんとなく彼女のことが気になって教室を覗いてみた。
けれど教室の中には彼女の姿はなかった。
どこかに行っているのかと思い、次の授業の体育が行われる体育館へ向かおうとした。
「ふざけんなよ!」
体育館に向かう途中にある渡り廊下の近くで女子生徒の怒鳴り声が聞こえた。
気になって声のした方まで近づくと、校舎の陰から覗いた。
「人の男に何吹き込んだんだよ!」
『別に…あなたが他の男の子と手繋いで歩いてたの見たって本当の事言っただけ』
「何勝手にチクッてんだよ!」
そこにいたのは如月と、スカートを短くし、リボンもつけずシャツを第2ボタンまで外した派手な感じの女子生徒だった。
派手目の女子生徒は怒りで周りが見えていないのか、声がだんだんと大きくなっていた。
『聞かれたから答えた』
「は?何それ。聞かれたらなんでも正直に答えんのかよ」
『うん』
女子生徒は如月の胸倉をつかみ思いっきり殴りかかろうとした。
思わず俺は飛出し如月と女子生徒の間に割り込んだ。
頬がじんじんと痛む。
「なっ…なんだよお前…」
『切島君…?』
「いってぇ…流石に殴るのはよくないぞ。つーか声大きくて先生にも聞こえてるんじゃねぇの?」
流石に先生にこのことがバレるのはマズイのか、女子生徒は舌打ちをしたあとその場から去った。
頬が痛み、口の中が血の味がした。
「大丈夫か?如月」
『何で殴られたの…?私が勝手に怒らせたのに…ほっとけばよかったのに』
「ほっとけねぇよ。目の前でこんな風に殴られそうになってるのにさ」
彼女をよく見ると制服や上履きは以前見たときよりも随分とボロボロになっていた。
俺は来ていたジャージを脱ぐと彼女に羽織らせた。
『え…?何やってるの?風邪ひくよ?』
「俺は丈夫だからいいんだよ。如月こそ寒いのに薄着だと風邪ひくぞ」
『…ありがとう。切島くんはいい人だね』
“いい人”
また胸がズキッと痛んだ。
決して悪気のある言葉ではない。けれど俺にとってはその言葉は鋭く突き刺さった。
やっぱり彼女も他の人と同じように俺の事はいい人止まりと思ったのか。
『でも…』
如月が何かを言おうとしたとき、ちょうど次の授業の始まるチャイムが鳴った。
『行かなきゃ。じゃあね切島くん。あ、私のことはもうほっといてくれていいからね!』
上から羽織ったぶかぶかのジャージを両手で押さえながら、彼女は教室へ向かって走って行った。
最後に何をいいかけたのか気になったが、結局言葉の続きを聞くことはできず体育館へと向かった。
***
そのあと彼女に会うこともなく、帰り際に教室を覗いてみたがやはり姿はなかった。
会うのを諦めて帰ろうとしたときだった。
「ホントむかつくわ。調子のりすぎ」
「空気マジで読めないよね、アイツ」
下駄箱で昼間に聞いた女子の声が聞こえた。
足を進めると案の定、昼間に如月といた女子生徒とその友人らしき女子生徒が下駄箱の前で話していた。
手には靴を持っていたが、彼女は既に上履きから履き替えており彼女のものではない。
「ちょっと反省させなきゃダメだよね、あれ」
靴を持っていた手と逆の手がキラっと光った。
それを靴の中に入れると下駄箱の中へと靴を戻した。
会話の流れと動作でなんとなく彼女たちが何をしたのか分かった。
「何やってんの」
周りに他の生徒はおらず、俺の声に女子生徒たちはびっくりしてか肩をあげた。
「…またお前かよ」
「何やってんだって聞いてんだ。そこ、如月の下駄箱なんじゃねぇの」
「お前には関係ねぇだろ。つーかなんだよ昼間っから。正義のヒーロー気取りかよ」
女子と揉めることは漢としてはあまりしたくなかったが、さすがにほっておくことはできなかった。
昼間に殴られた頬がまだ少し痛む。
「気取りで悪いかよ。どんな理由があってもお前らのやってることは許されることじゃねぇ」
「はぁ?マジお前何様だよ。何?アイツの事好きなわけ??マジうけるわ」
「だったら何だよ。好きな女1人守れねぇで漢なんて言えるかよ!」
手は出さないとなんとか拳を握りしめるだけで押さえた。
あまりに俺がうるさいからか、それとも面倒くさくなったからか彼女たちは呆れた顔をしてそれ以上何かをすることはなく帰って行った。
俺の一言で如月に対する嫌がらせを辞めるとは思えなかったが、少しでも無くなってくれればと思った。
『切島…くん』
声に振り返ると如月がスクールバックを肩にかけ立っていた。
『…私の事ほっといてって言った』
「ほっとけないよ」
『なんで?だって関係ないじゃん」
「…さっきアイツらにも言ったけど、漢としても見逃せないし…それが好きな女の子がそんな目にあってたら尚更見逃せない」
我慢をしていたのか如月の目が赤くなっていた。
次第に涙が溜まっていき、一粒、また一粒と頬を伝って地面に落ちた。
一度溢れてこぼれ出した涙は止まらなかった。
『…私…好かれるようなこと…してない。…空気読めないし…言わなくて良いことまで言ってる…』
「こないだ、如月は俺の事“いい人”って言った」
『??』
「喋ったことない人も“いい人”って俺の事言うけど、俺はそんなに“いい人”じゃない。漢として見逃せないってのも、ほっとけないのも本当だけど、ちょっとでも如月にいいところ見せたいっていう気持ちもあるんだよ」
汚い奴だろ、と苦笑いしながら言ってみせた。
唇をぎゅっと噛みしめ、必死で涙をこらえようと俯いた如月は首を横に振った。
『私が何か言うと…皆嫌な顔するんだ…だから切島くんもいつか嫌になる…』
「ならないよ」
『なんでそんな事…』
「俺嘘のない真っ直ぐな如月の言葉ですごい励まされたし…単純だからそれだけで好きになっちまったんだよ」
何カ月も前のあの日、如月の嘘をつかない言葉で俺は如月を好きになった。
何度か会話して、“いい人”ってやっぱり思われたことはショックだったけれど、なぜだか如月は他の女子と違って諦められなかった。
「俺、嘘もつかず思ったことをちゃんと言えるありのままの如月葵が好きです。俺と付き合ってください」
きっと今の俺は耳まで真っ赤だろう。
顔に熱が集中して夏でもないのに熱い。
心臓が今までにないくらい大きな音を立てている気がする。
如月の頬も気のせいか少し赤く見えた。
『フフッ』
「?」
『この間、切島くんのこと“いい人”って言ったけどなんかしっくりきてなかったんだけど…今やっとわかった』
「もしかしてこないだ言いかけてたのって…」
『うん。切島くんは“いい人”じゃなくて“素敵な人”だね』
嘘をつかない彼女のその言葉は俺には十分すぎた。
初めて言われた“いい人”以外の言葉だった。
如月は少し照れながら一歩近づいた。
『私も切島くんが好きです』
「っっっ!?」
『ははは。切島くんまた顔真っ赤だ』
「…っ、如月も真っ赤だからお相子だろ」
昔からずっと言われてきた“いい人”は、今日から“素敵な人”に変わった―
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