09 ひみつ

***

週明けの月曜日の朝。
セットしていたアラームの時間よりも早くに目が覚めて、いつもよりほんの少し早くに家を出た。

(あ…)

あと数分で学校に着く頃、目の前にシャンパンゴールドのツンツンした髪が目に入った。
後ろ姿でもすぐに分かる。爆豪くんだ。
音楽を聴いているのか耳にはイヤホンをつけていた。
ひさびさに爆豪くんの姿を見ただけで心臓がドクンドクンと音を立てる。
挨拶をしてもいいのだろうか。
クラスも違えば友達といってもいいのかわからない関係。
ましてや他の人と違って私は喋ることも聞くこともできない。
頭の中でごちゃごちゃと考えている間にも前を歩いていた爆豪くんはどんどん進んでいく。
それに対して私の足はどんどんと重くなって遅くなる。
俯いていると後ろから肩を叩かれた。

「おはよ、願野」

後ろに立っていたのは切島くんだった。
私にわかるようにゆっくり大きな口で“おはよう”ともう一度言ってくれた。
急いで鞄にいれていたスマホを取り出し文字を打って挨拶をかえすと、切島くんもポケットからスマホを取り出した。

「困ってるみたいな顔してたけど、なんかあったか?」
《えっと…爆豪くんに挨拶してもいいのかなって考えてたの》
「爆豪?」

私が前を指さすと切島くんはつられて顔を前に向けた。
だいぶ遠くなった爆豪くんの背中が小さく見えた。
音楽を聞いているせいか後ろに私たちがいることには気づいていないようだった。

《迷惑じゃないかなって…》
「迷惑なんかじゃねぇって絶対。俺も普通に願野に声かけてるし迷惑だったか?」

私は思いっきり首を横に振った。
迷惑だなんて思わない。むしろ声をかけてくれただけですごく嬉しかった。
首を振った私を見て切島くんは二カッと笑った。

「だろ!だから大丈夫だって」

切島くんは左手にスマホを握ると、右手で私の左手を握った。
そのまま私を引っ張るように走って行く。
引っ張られるがままに走った。
小さく見えた爆豪くんの背中がだんだんと大きくなっていく。
同時に私の心臓の音も大きくなっていく。

「爆豪ー!」

切島くんの呼び声が大きかったからか、何か気配を感じ取ったのか、爆豪くんは足を止め振り返った。
走ってくる私たちを見て爆豪くんは一瞬、少しだけ目を大きく開いた気がした。
耳につけていたイヤホンを外し、ポケットにつっこむと私たちが追いつくのを待っていた。

「はよ!爆豪!」

少しの距離とはいえ一切息を切らさない切島くん。
私はといえば日頃あまり運動していないせいで息をきらしてしまっていた。

「…ンでクソ髪と願野が一緒にいんだよ」
「そこでたまたま会ったんだよ」

横に立っていた切島くんは目で合図を送ってきた。
せっかく切島くんがくれたチャンス。
さっきまでごちゃごちゃと考えていたことを忘れるかのように、私は爆豪くんの目をみて手を動かした。

《おはよう》
「…おう」

私の手話のあとに爆豪くんも同じように返してくれた。
たったそれだけのことなのに、すごく嬉しくて自然と笑顔になる。

「あ!数学の課題やってくんの忘れた!今日当たるのに…爆豪…」
「見せねぇぞ」
「まだ何も言ってないだろ!」
「いつものことだろ」

揃って歩き始めると2人が何かを話し出した。
おそらくなんの変哲もない普通の会話をしているのだろう。
けれど私にはその光景が特別で輝いているように見えて羨ましかった。
私には会話が聞こえないし、返すことすらできない。
手話で会話するにも相手が意味を知っていないとできないし、文字を打つにしても時間がかかってテンポが悪い。
なにより文字や手話よりも声に出して言葉にする方が気持ちを伝えられる。
私にはできないことが辛いと思ってしまう。

ー昔に戻れたら…







「またせたな願野」

放課後、いつもひとりで昼食をとる中庭に私は切島くんを呼び出した。
横長のベンチに並んで腰をかけた。

「で、俺になんか用?」
《切島くんに頼みたいことがあって…》
「頼みたいこと?」
《声を出す練習に付き合ってほしいの…》

画面の文字をみて切島くんは驚いたようだったけれど、すぐに新しい文字を打っていた。

「もしかして爆豪のため?」

“爆豪”という文字を見ただけでも私の心臓はドキドキしていた。
声を聴くことが叶わなくても、声を出すことはできる。
ただうまく声が出ているのか、言葉になっているのかはわからない。
それでも私は爆豪くんにたった一言でも声に出して伝えたかった。
私を助けてくれて、声をかけてくれて、ペアを組んでくれて、手話を覚えてくれて
“ありがとう”と。

小さく縦に頷くと切島くんは朝と同じように二カッと笑った。

「勿論いいぜ。俺でよかったら付き合うよ」
《ほんとに!?ありがとう!》


その日から時間の合う放課後と早朝に約束をして、
爆豪くんに驚かせたいという気持ちもあって、こっそりと場所を変えながら練習を続けた。
自分で上手く声を出せているのかは分からないけれど、だいぶ言葉として聞き取れるようになったと切島くんに言われた。

(爆豪くんびっくりするかな…私が喋ったら)

いつものように切島くんと練習するために中庭へ向かっていると、ベンチの近くに人影があった。

(ば…爆豪くん!?)

ポケットに手をつっこんで立っていたのは爆豪くんだった。
こちらに気づくと、ゆっくり近づいてきた。

「…最近会わないな」
《そ、そうだね。やっぱり普通科とヒーロー科じゃ時間が合わないから…》
「でもクソ髪…切島とは会ってるだろ」

ドキッとした。
爆豪くんには内緒でこっそり会って練習しているつもりだった。
けれど爆豪くんにはバレてしまっていた。

「俺避けるようにして会ってんだろ」
《そ、そんなことないよ。たまたま…だよ》

何をしているかはまだバレていないようだった。
私は必至で誤魔化そうとした。
まだちゃんと言葉として喋ることができない。せっかくここまで練習してきたのだ。ちゃんと喋れるようになって伝えたい。

「…そうかよ。わかった」
《え?》
「もう会いにこねぇから安心しろ…邪魔はしねぇ」

爆豪くんは悲しそうな顔をしていた。
それ以上深くは聞かずに私に背を向けた。

(私…悪いことしちゃった…?)

追いかけようとしたけれど爆豪くんの歩くスピードには追いつけず、私は1人その場に取り残された。
最後の言葉は手話もなく、何を言ったのかはっきりとは分からなかった。
けれど私が爆豪くんを傷つけてしまったことは分かる。
でなければあんな顔はしない。
どうしていいのかわからなくなって、私は崩れ落ちるように地面に膝をついた。
涙が込み上げてきて切島くんが来てからも涙はしばらく止まらなかった。