どれくらい走っただろうか。
普段あまり走ることがないため息は荒くなり、足元がふらつく。
彼は立ち止ると、掴んでいた私の腕を離した。
「おい、大丈夫か」
唇の動きでそう言っていたのがわかった。
私は首を縦に振った。すぐ近くにあった公園のベンチに腰をかけ息を整える。
彼は近くの自販機からスポーツドリンクを買うと無言で差し出してきた。
ぐいっと突き出され押し付けられたペットボトルを受け取り、声を出せないかわりに手で【ありがとう】と伝えた。
その意味が分かったのか彼は「別に」と自分のペットボトルの水を飲んだ。
落ち着いたところでふと彼と学校でぶつかったときのことを思い出した。
鞄から携帯を取り出し、文字を打った。
隣に座る彼の肩を叩き打ち出した文字を見せた。
「あ?《助けてくれてありがとう。さっきはぶつかってごめんなさい。謝りもせずに逃げちゃってごめんなさい。声の出し方忘れちゃってどうしていいかわからなくなって逃げてしまいました》って…お前もしかして喋れないのか?」
彼が何かを問いかけてきたのは分かった。だけれどその問いかけは私には聞こえなくて、首をかしげた。
もう一度携帯に文字を素早く打ち込み画面を見せた。
《すみません。私、耳が聞こえなくて言ってることが分からないんです》
恐る恐る彼を見た。
聞こえない、喋れないめんどくさい奴だと思われただろうか。
少し震えた手から携帯を取り上げられ、同じように文字を打ち込むと携帯を返された。画面に彼が打ち込んだ文字が映っている。
「悪かった。ぶつかったのは気にしてない。いちいち謝るな」
読み終えて顔をあげると彼はこちらを見ていた。私は手でまた【ありがとう】と彼に伝えた。
すると彼は自分の携帯を取り出し文字を売って見せた。
「それさっきもやってたが何?」
《手話です。さっきのは、ありがとうって意味です》
文字を打ち返し、もう一度【ありがとう】と手話をやってみせた。
「いつも会話それでやってんのか」
その問に私は少し悩んだが首を横に振った。
《手話できる人ほとんどいないから使うこと滅多にないです》
自分が手話を覚えたのもごく最近のことだったし、周りに話せる友達すらいなかったため使っても簡単な挨拶ぐらいだった。
「ふーん。つーか、タメ口で喋れや。敬語で話されるの気色悪い」
私は縦に首を振った。
日は沈み辺りは暗くなってきていた。
街灯がチラホラつきはじめた。
彼と別れる前にもう一度頭をさげた。
《今日は助けてくれてありがとう》
「…別に。たまたま通りかかっただけだ」
《それでもありがとう。それじゃあまたね、爆豪くん》
最後に驚いた顔をしたように見えたが、私はそのまま彼に背を向けて家へ帰っていった。
たぶん、彼と関わることはもうないだろう。ヒーロー科と普通科ではまず関わることなんてないだろうし、ましてや雄英でも知らない人はいないぐらいの有名人な彼。
今日画面越しで会話できたのが奇跡なくらいだ。
(爆豪くん…かっこよかったな…)
助けてくれた時の彼を思い出しながら、私は目を閉じた。