12_近づく距離

朝、携帯のアラームが鳴り響き目が覚める。時刻は朝の7時丁度。
今日は土曜日で仕事も学校も休みで、ひさびさに何の予定もない日だった。

『買い物…でも行こうかな』

キッチンで食パンを焼き、冷蔵庫に入っていたいちごのジャムを塗って口に運びながら、ふと思いついた。
なにもせず家でゴロゴロする休日もいいかもしれない。
けれどせっかくできた休日、時間を気にせずショッピングに行けることも滅多にないし、これはいい機会だと思った。
簡単な朝食を終え、少しだけ化粧をする。
長い髪をブラシでといたあと、机の上に置いてあった黒い短髪のウィッグを手に取ると、頭にかぶった。

『んー…服はどうしようかな。これでいっか』

ひとりごとを呟きながら、先日撮影のときに気に入って購入した花の刺繍がワンポイントとして入ったシャツと、デニムの短パンを手に取った。
最後にいつもかけている伊達眼鏡をかけキャップをかぶり、鞄を手に取って外に出た。
時間が少し早いからか、道中人とすれ違うことはあまりなかった。

『ちょっと早く出過ぎちゃったかな』

車で何度も通る道を歩くのは新鮮で、辺りをみまわしながらゆっくり歩いていると、うしろから足音が聞こえてきてぴたりと止まった。

「あれ?来栖?」
『き、切島くん!?』

名前を呼ばれ振り返ると、白いタオルを頭に巻き、黒いシャツの袖を肩までまくり上げた切島くんが立っていた。
走っていたのか額や頬から汗が流れており、少しだけ息が乱れていた。

「……」
『えっと…切島くん?』
「えっ、あぁ…わりぃ。なんか私服の来栖って新鮮だなぁって」

立ち止まったまま何も言わずじっとこちらを見ていた切島くんに声をかけると、ハッとしたように答えた。

『そうだね。学校以外で会うことってないもんね』
「これからどっか行くのか?」
『うん。たまにはショッピングでも行こうかなって…切島くんはランニング?』
「最近もっと鍛えないとって思ってはじめたんだ」

わたしから見たら十分に鍛えられていると思えたが口にはしなかった。
きっと切島くんは現状には満足せず、もっと先を見ているような気がしたから。

『そ、それじゃあ行くね。ランニングの邪魔しちゃ悪いし…』
「あのさ!」
『え?』

まだ一緒にいたいと思ったが、せっかくの休日のトレーニングを邪魔してはいけないと思い、わたしはその場を去ろうとしたが切島くんに呼び止められた。
次の言葉を待つが、少し躊躇ったような雰囲気で切島くんはなかなか切り出してこない。

『どうしたの?』
「あー…あのさ、よかったらなんだけど、俺も一緒に行ってもいい…か?」
『えっ?』
「ダメならダメでいいんだ!俺もちょっと買い物行こうかと思っててさ」
『そんなことないよ!いこ!』

まだ一緒にいられる。
嬉しさと緊張で心臓がドクンドクンと音を立てる。
切島くんは一度着替えるために家に帰り、ショッピングモールで待ち合わせることになった。
もう少しお洒落してくればよかったな。ショーウィンドウのガラスに映った自分を見てそんなことを思った。
ショッピングモールは朝から人が多く訪れており、ふと視界に同い年ぐらいの男の子が柱にもたれかかって時計を見ていた。少し離れた先から聞こえた声に反応し、男の子が顔をあげると長い髪をしたかスカートをはいた可愛らしい女の子が近寄ってきた。

「おまたせ、のぶくん」
「全然待ってないよ。いこっか」

男の子は女の子の手を握ると、ショッピングモールの中へと消えて行った。
これからデートなんだなぁ。なんてのんきなことを思っていると、反対の方向から切島くんが走ってきた。

「わりぃ、待たせた!」
『ううん。全然待ってないから平気だよ』
「そっか。じゃあ…行こうか」

あれ。この会話さっきも…。
ついさっきの光景が頭をよぎる。手を握ったりはしないけれど、切島くんと2人きりで休日にショッピングなんて、まるでデートだ。
意識した途端顔が一気に熱くなる。

「来栖どうかした?」
『ううん!な、なんでもないよ!』
「じゃあまずどこから行く?」

切島くんも買い物をする予定で、たまたまわたしと会ったから一緒に行くことになっただけ。
気持ちを落ち着かせようと必死に自分に言い聞かせた。
赤く染まった顔がばれないように帽子を少し深くかぶった。

わたしは学校で使うノートや筆記用具を買ったあと、CM撮影で使って気になっていたリップを見つけて思わず買ってしまったりとショッピングを堪能していた。

『そういえば切島くんは何買うの?』
「あ、えーっとそうだな…」

ここに来てからずっとわたしの買い物に付き合ってくれていて、切島くんは自分の用事を済ませる気配がなかった。
何か買う予定があるから一緒に行くことになったけれど、切島くんは少し困ったように目を泳がせていた。
言葉を待っていると、ぐぅぅぅぅ…、と唸るような低い音がした。

『あ…』
「とりあえず飯食おうぜ!腹減ったし」
『そ、そうだね!』

気づけばお昼の時間になっていて、わたしたちは近くにあるファミレスに入った。
わたしはあっさりとした和風パスタを注文して、切島くんはハンバーグのセットを注文した。

「そういえば来栖はなんでヒーロー目指したんだ?」
『えーっと…それは…中学生のときに助けてもらったことがあってね、見ず知らずの人のために助けてくれたのがすごい嬉しくて…かっこよかったから…かな』
「へぇ!やっぱヒーローってかっけぇよな!俺もそういうきっかけ作れるようなヒーローになれるといいな…」

きっかけを作ってくれたのは切島くんだよ。なんて言うことはできなかったけれど。
注文していたパスタとハンバーグセットが運ばれてくると、食欲を誘う匂いが漂った。
いただきます、と2人そろって手を合わせた。

「でも、こうして来栖と外で2人でご飯食べるって少し前じゃ考えられなかったよな」
『そうだよね。あんまり喋ったことなかったし』

ほんの数か月前までのわたしにはきっと考えられないことだろう。
会話どころか挨拶すらちゃんとできなかったのに、今では休日に一緒に買い物をしている。

「てっきり来栖に嫌われてるのかと思ってた」
『そ、そんなことないよ!!むしろ…』

好きだよ。
思わず口に出してしまいそうになった。
慌ててその言葉を飲み込んだ。
切島くんは続く言葉を待っているように、俯いたわたしの顔を覗き込んだ。

『むしろ…友達になれたらいいな…って』

精一杯の誤魔化しだったけれど、“好き”という二文字が頭の中で渦巻き自然と顔に熱がこもる。
切島くんを見るとハンバーグを食べる手を止めニコッと笑っていた。

「おう!俺も来栖と友達になれたらいいなって思ってたぜ!」


そのあとわたしと切島くんはショッピングモールをぶらぶらと歩き回り、途中ゲームセンターに寄ったりして一緒に時間を過ごした。

『きょ、今日はありがとう、つきあってくれて』
「こっちこそありがとな!あ、そうだ」

切島くんが肩に下げていた小さな鞄から可愛らしくラッピングされた袋を取り出した。

「これ、来栖にやるよ」
『え?なに?』
「開けてみて」

差し出された袋を受け取り袋を開けた。
中に入っていたのはいくつもの星が連なった綺麗な髪留めだった。

『可愛い…これ貰っちゃってもいいの?』
「もちろん!たまたま店で目に入ってさ、来栖に似合うだろうなって思って買ったんだ」
『あ、ありがとう…うれしい!大切にする!!』

髪留めを両手で握りしめた。
自分のために切島くんが買ってくれた髪留め。すごく嬉しくて落ち着いていた鼓動が少し早くなる。
頬の筋肉がゆるむのが鏡をみなくてもわかった。

「あー…それでさ」

分かれ道の手前まできたとき、切島くんが足をとめた。
夕日のせいなのかはわからないが少し頬が赤くなっているように見えた。
いつもならはっきりと喋るはずなのに今は躊躇っているようになかなか言葉が出てこなかった。

「いや、やっぱいいや!じゃあまた明日な!」

言いかけた言葉を聞けないまま、切島くんは家の方へと走って行った。
何を言おうとしたのか気になったけれど、わたしは受け取った髪留めを手に自分の家へと足を進めた。
この幸せな気持ちが崩れる日が待ち受けているとは知らずにー…。