川下の街へ


 アネットが目を覚ました時、辺りは薄暗くなっていた。風に揺れる木々のざわめきや、動物の鳴き声が遠くに聞こえる。他に聞こえるのは虫の声くらいのもだ。分厚く丈夫そうな布と骨組みに囲まれているので、外の様子は見えない。恐らくここはテントの中だろう。少なくとも町ではないらしいことは伺えた。
 アネットが体を起こすと、厚手の布がはらりと落ちる。暗い中で目を凝らしてよくみると、上質で厚みのある生地だった。薄汚れてはいるが、鮮やかな赤い色をしている。
 これは何だろう。アネットは思案を巡らせる。まだあまり回転しない頭に、ふと赤い兜を脱ぐオウエンの姿が過ぎった。
(そうだ、これはオウエンのマントだわ)
 アネットがぼんやりとしている間にも、辺りはどんどん暗くなっていく。どうやら、世間は夜を迎えようとしているらしい。
 アネットは、もう一度ぐるりを見渡した。テントの中はどう見ても大人一人分の広さだ。そして、そこにいるのも自分一人だった。自分の意識や記憶と現実のギャップを埋めようと、アネットは必死で頭を回転させようと努めた。

(……オウエンはどこにいるのかしら)

 そこまで考えた時、外で枝がパチパチと燃えるような音がしていることに気づいた。火の光がテントにゆらゆらと映り、なんとも幻想的だった。
 アネットがテントの外に出てみると、オウエンがテントのすぐ近くに座っていた。何処で拾ったのか大きな丸太に寄りかかり、剣を抱えたまま眠っている。アネットが彼のマントを持ってそっと近づいた瞬間、オウエンは剣を抜いていた。
 オウエンは恐ろしい程の鋭い目でアネットを見据え、剣を持っていない方の手でアネットの胸ぐらを掴んでいる。そして、剣の刃先はアネットの首筋に向いていた。アネットは思わず呼吸も恐怖も忘れて、彼の刃先だけを見て固まった。
 たが、オウエンは寸手のところでアネットだと認識した。慌てて彼女を掴んでいた手を離し、剣を下ろした。そのままじっと動かず、立ち尽くしている。オウエンはひどく動揺し、戸惑いと驚きを隠せずにいた。
 アネットもぴくりとも動けなかった。驚きと恐怖と、彼から放たれる剣気にあてられた。解放されたはずなのに、未だに自由が利かなかい。
 オウエンが剣を納めると、周りの空気がすっと軽くなった。同時にアネットの手から、マントが流れるように滑り落ちる。そして、アネットはそのまま腰を抜かして座り込んでしまった。

「……済まなかった、アネット。怪我は、ないか」

 オウエンはうろうろと視線を彷徨わせながら聞いた。

「う、ううん。大丈夫……」
「本当に、すまなかった。いつ、魔物やアーツに襲われるともしれないと、警戒していた。だが、君を手に掛けるつもりはない」

 オウエンは申し訳なさそうな顔で、再度頭を下げた。アネットも慌てて頭をさげて謝った。

「わたしこそ、ごめんなさい。あなたがそんなに気を張っているのに、不用意だったわ」
「いや……私の落ち度だ。しかし、目が覚めて良かった。なかなか気が付かないから心配していた」

 オウエンは顔を上げ、アネットを心配そうに見た。まだ少し、申し訳なさそうな色も残っている。

「わたし、どのくらい眠っていたの? 」

 オウエンによると、アネットは丸1日気を失っていたらしい。それに、かなりの距離を流されてしまい、目的の街からは離れてしまった。この川は支流が幾つも分かれている。本流をまっすぐ下るだけの予定だったのだが、支流の一つ来てしまったようだった。

「とりあえず、近くの街を探そう。食料や道具も一通り用意はしてきたが、殆どをこのリケユ川に流されてしまった。この簡易テントだけでも残っていたのは幸運だった」
「マントとテント、ありがとう。それと、ずっと見張っててくれたのも」
「気にするな。それより、もう少し休んだ方がいい」

 オウエンはそれほどのことではないと言わんばかりだが、アネットも寝てばかりいるわけにはいかないと思っている。

「オウエンも、疲れているでしょう? 」
「私は君よりも丈夫だ。それに、君は狙われている。気持ちだけもらっておこう。マントもまだ使っていてくれ。明日の朝、返してくれればいい」

 そう言って、オウエンは元の切株に戻る。再び剣を抱えて座り、じっと目を瞑った。アネットは申し訳ないと思いつつ、彼の申し出をありがたく受けることにした。オウエンに従い、大人しくテントに戻った。



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