黒い髪


 夜が明けた。テントを畳み、移動を始める。これから暫く、街や村が見つかるまで歩き続けることになる。道中ではモンスターが現れる。その度にオウエンが凪払い、アネットは相変わらず怯えるだけだった。オウエンはその事については特に何も思っていない。けれど、アネットは守られてばかりで何も出来ないでいることを気に病んでいた。
 日が高くなって暫くした頃、もう何度目かもわからないモンスターの断末魔が響いた。アネットは思わず目を背けてしまう。せめて見届けなければと思う反面、どうしても慣れることが出来ない。

「ふう、やったか」

 オウエンは剣を振り、魔物の血を払った。額の汗を拭って剣を鞘に収めながらアネットの無事を確認する。

「幸い、このあたりの魔物は小物ばかりで大したことはない。だが、すぐに暗くなる。早く街を見つけたいのだが、今日も野宿になりそうだな」

 今日は1日、川沿いに歩いて来た。だが、辺り一面見渡す限り、ただ草原が広がっているだけのようだ。街はおろか、村らしいものすら見当たらない。
 アネットのこれまでの人生で間違いなく、最もたくさん歩いた日だった。もうクタクタで足が怠い。それに、あちこち草木に引っ掛けて細かい傷がたくさんできている。歩きすぎて踵の皮が剥けてしまっている部分もあった。痛いが、だからといって座り込むわけにもいかない。ただただ、黙って耐えていた。
 再びテントを張り、火をおこす。手頃な丸太を見つけ出して、二人はようやく腰を下ろした。アネットがほっと息をついていると、オウエンがアネットの側へ寄ってくる。どうしたのかとアネットが聞く前に、オウエンはアネットの足をつかみ上げた。アネットは驚いて、座っていた丸太から転げ落ちた。

「あ、あ、あの。オウエン?何を……? 」
「見せて見ろ。足、傷だらけだろう」

 そう言ってオウエンは、アネットの傷だらけの足に魔法をかけた。擦りむいた傷も、皮が剥けた踵も、打ち身すらもみるみる治っていく。

「ありがとう、オウエン。魔法が使えるのね。知らなかったわ」
「少しだけな。本職ではないから、この程度が限度だが」
「それでもすごいわ。わたし、また助けてもらってしまったわね」

 アネットは申し訳なさとふがいなさでいっばいだった。思わずうつむいて、唇を噛む。オウエンは大きな手をぽんと可ネットの肩に置くと、優しい瞳で補は円だ。

「そう気に病むな。私も他の皆も、子供の頃から何らかの訓練を受けて来ている。急にできるようなことではないのだから」
「……ここの子供たちは、みんな戦い方を学ぶの? 」
「皆ではないが、多いだろうな。あちこちにモンスターが蔓延っている以上、自分で守らなければならないこともある」

 オウエンの黒髪が、風に靡いてさらさら流れていく。その目はどこか遠くを見ているようだ。

「一般的には、黒い髪や瞳の者は魔力に恵まれていると言われている。それで私は魔法も少し学んだ。だから剣士になった今でも、簡単な回復魔法だけは少し使えるんだ」
「魔導師になろうとは思わなかったの? 」
「思わなかったな。剣を扱う方が得意だし、魔法剣という使い方もあるからな」

 アネットにとって、新しい言葉が出てきた。
 この世界は当たり前に魔法が存在している。それだけでも十分不思議だった。だがつい先日、自分でも無自覚のまま大岩を破壊したところだ。もう何でもありだと、アネットはこの数日でようやく腹を括ったところだった。

「魔法剣? 」

 アネットが尋ねると、オウエンは鞘から剣を抜く。刀身を立てて彼が魔力を込めると、剣から炎が現れた。
 アネットには、剣が燃えているというよりも、剣から炎が溢れているように見えた。これで斬りつけられたら、ひとたまりもないだろう。他にも氷や雷、水、さらには目潰しに光を放つなど、多彩に使い分ける事が出来るとオウエンは説明した。

「魔法は精神を消耗する。だから滅多な敵には使わない。しかし、こういう応用の仕方もあるのだ。アネット、君は髪も瞳も黒い。きちんと訓練を受ければ、今からでも凄い使い手になれるかもしれない」
「……本当に? わたしが? 」

 俄には信じられない気持ちで、アネットはオウエンを見た。けれどオウエンは至極まじめで、冗談を言う雰囲気ではない。

「力は申し分ない。あんな大岩を砕いたんだ、自信を持って良い。だが、全くコントロールが出来ていない。訓練が必要だな」
「わたしがいた世界では、黒い瞳と髪を持った人なんていくらでもいるの。その人たちがここへ来れば、みんな魔法使いになれるの? 」
「さあ、どうだろう。私のように得手不得手もあるから『みんな』とはいかないかもしれない。けれど、君は選ばれてここに召還されたのだ。その意味を考えると、たとえ容姿が似ていようとも他の者の事など関係はあるまい」

 ともかく訓練はすぐにでも始めた方がいいだろう、とオウエンは言った。アネットは、役に立てるものならがんばろうと心に決めた。


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