おいでませ、ここは誰かが望んだ■■■の国
薔薇園は入り組んだ迷路だった。無数の垣根道は中央に建てられた東屋から広がり、訪い人を楽し気に誘い込む。咲き乱れた赤い花々も、伸び伸びと生い茂った枝葉も、何かを隠しているような姿だった。
男と少女。
大人と、大人に一歩手前の子ども。
甘い香りに溺れそうなほどの薔薇園に佇むのは、そんな二人だけであった。
東屋のテーブルに、迷い子をもてなす準備はされていない。ティーカップもなく、焼き菓子もなく、もちろんティーポットのなかのハリネズミなんてものは以ての外だ。お茶会の席は無人、ただ誰も座らない椅子が並んでいる。寂しさを紛らわすよう申し訳程度に、真白のテーブルクロスがはためいている。
――mi..?
――A.. ..e.
――.nd... wn
――M..s . ..
――. . .a
ふたつの唇から溢れ出る言葉は聞き取り難く、音の羅列であるかのような印象を受ける言語は、古くから伝わる詠唱に、意味持つ音を新に掛け合わせたものだった。不可能を可能に、虚構を現実に。この世に“あり得ない”ことは“ない”のだと証明するための手段は、綿密に練られた方程式によって構成されている。幾度とない試行錯誤の末に生まれたそれは、今日この日のためだけにあった。
複雑な魔法式。
高度な魔力調整。
禁術とは叡智の結晶の果てであり、会得した技術と積み上げられた経験によって展開される。もしもそれが覆されるのだとしたら、よほどの天才であるか、あるいは魂を悪魔に売った対価であるのだろう。
しかしながら、この場において生粋の天才はおらず、また人非ざるモノとの契約者もいない。
当然男は天才ではなく、少女もまた同じだった。
不才というにはセンスが過ぎ、凡才というには覚えが良く。秀才というには要領が悪く、異才というには凡庸が過ぎた。
それでも、為さねばならぬことがあるのだ、と歯を食いしばり歩み続け足跡があった。知識の海に没頭し、実践の波に揉まれ、そうして――辿り着いた、悲願と約束を果たすための魔法式。
声が止んだ。
トン、と踵を鳴らし、杖を振り上げた。
不可視の譜面を這いずるように輝いた一線は、魔法陣となって宙に浮かび上がる。
光が瞬いた。
影が蠢いた。
水面の煌めきをそのままに切り取った景色が、鏡に映り込む。
やがて鏡面に、曖昧な像が揺らいだ。ゆっくりと形になっていくそれは、どうやら人影のようだった。
いっそう大きく震えた鏡から、現れた血の通った身体は
「……っ、――……」
それはいったい、誰の言葉だったか。
鏡の向こう側から現れた人間の名を、男と少女――父と子は、もうずっと前から知っていた。