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前から聞こえた言葉にマーカーを持つ手が大げさに揺れる。俯いていた顔をおそるおそる上げ前を見ると、左を向いている瀬呂くん。
そして固まった卯依ちゃんがいた。
それからゆっくりと瀬呂くんに顔を向ける卯依ちゃん。表情はいつもと変わらないのに、その赤い瞳が酷く無機質なものにみえて意味もなく息を呑む。
「継がない」
淡々と言った卯依ちゃんに瀬呂くんは「そっか」と平然と返す。ただのクラスメイト同士の会話だ。焦燥にかられているのはきっと僕だけだろう。
飯田くんが前へ出て、「天哉」と書かれたボードを掲げた。入れ替わるように、卯依ちゃんが静かに立ち上がる。見えるように教卓に置かれたボードにはカタカナで短く、“ミクリ”と書かれていた。
「ミクリって……苗字でいいの?」
「はい」
ミッドナイトの問いに小さく頷く卯依ちゃん。葉隠さんが「名前にしないの?」とすかさず尋ねると、卯依ちゃんは口の端をぎゅっと結んでから呟くようにして言った。苦虫を噛み潰したような、珍しい表情だった。
「よく知らない人に名前で呼ばれると、鳥肌立つ」
―――僕、初対面で卯依ちゃんって呼んでた……!!
そういえばあの時の卯依ちゃん。
思いっきり顔を歪めてた!!!
口元を抑えて震えていると、席に戻っていた卯依ちゃんが不思議そうに僕を見る。
「ご、ご、ごめん卯依ちゃん。僕、名前……最初から……」
「……ああ」
思い出すように視線を流した卯依ちゃんに、僕はもう一度謝罪の言葉を口にする。あの時は苗字を知らなかったからとはいえ、オールマイトと同じように名前で呼んでしまっていた。そもそも苗字を知ったのは雄英入学後だった。
「いいよ。もう知らない人じゃないんだし、それに―――」
横向きで席に座った卯依ちゃんは、視線を一定の場所で止めて僅かに目を見開くと、口角をあげて右手を高く上げた。ピースの形になったそれは誰かへ向けられたものだ。
「クラスメイトは大歓迎!」
笑顔で言った卯依ちゃんの視線の先を見ると、廊下側の列に座る蛙吹さんと麗日さんが安心したように笑っていた。そういえば、二人は卯依ちゃんのことを名前で呼んでいたっけ。そんなことを考えながら視線を正面に戻した僕の前で、卯依ちゃんは首を傾げて微笑んでいる。
「出久もね」
「―――は、はい」
思わず敬語で返事をした僕に、卯依ちゃんは満足気に体を前へと戻した。とくとくと早い心臓を落ち着かせようと一度深く息を吐いて、マーカーを握る。
将来自分がどうなるのか。
『名は体を表す』
僕の、ヒーロー名は。
▲ ▽
「緑谷、いいのかそれェ!?」
「うん、今まで好きじゃなかった。けど、ある人に“意味”を変えられて……僕にはけっこうな衝撃で……嬉しかったんだ」
デク
そう書かれたボードを、出久は包帯でグルグルの両手でしっかりと支えていた。
「―――これが、僕のヒーロー名です」
陽の光が差し込む明るい教室で、出久の晴れやかな表情が目に焼き付く。頑張れって感じのデク、いつだったか出久が話してくれたことを思い出し、そっと目を伏せる。
捉え方は人それぞれだから。
出久が良い方向に考えられたのなら、良かった。
浜辺で名前の呼び方を聞いたときの、俯いていた少年とは別人のようだった。
―――良かった。
その後爆豪が再考案として「爆殺卿」と叫んでいたがミッドナイトにダメ出しされていた。あれは笑うなという方が無理な話だ。
「職場体験は一週間。肝心の現場だが、指名のあった者は個別にリストを渡すからその中から自分で選択しろ」
相澤先生に手渡された紙束を受け取る。話を聞き流しながら一番上から目を通していくと、上のほうにあった一つのヒーロー事務所に目が止まる。
エンデヴァーヒーロー事務所。
数秒固まってから何事もなかったように視線を下へ流す。見覚えのあるヒーロー名がちらほらいて、ほとんどが知らない事務所だ。あ行、か行とペラペラと捲っていき、さ行のヒーロー事務所で手を止める。
「……」
はあ、とため息を吐いて、紙束を机に置く。
後見人の名は、そこには無かった。
机に肘をついて、ぼーっと紙を見下ろす。
―――やっぱり、まだ、認めてくれてないんだな。ナイトアイは。
一気に脱力してしまい、だらしない格好のまま紙をめくる。さ行の終わり、最後の行に“ゼファーヒーロー事務所”の文字を見つけ、時間が止まった。