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ナイトアイとのサイドキック契約が解除されてからも、私の日々は変わらなかった。痛みを堪え、笑顔を絶やさず人前に立ち続ける。一日の活動を終えて家に辿り付き、壁に体を預けるようにして廊下を進む。今にも気絶してしまいそうな体を引き摺りリビングへの扉に手をかけたところで、私はとうとう意識を失った。


「……」

目を開けると見慣れた寝室の天井が見えた。廊下で意識を失ったように思っていたが、かろうじてベッドまで辿りついたのだろうか。

ぼやけた視界のまま考えていた私は、同じ部屋に人の気配がして慌てて上体を起こす。しまった、反応が遅れて―――

「熱があるんだから大人しく寝てて!」

聞き覚えのある声が聞こえるのと同時に、額からぼとりと濡れたタオルが落ちてくる。脳に走った激痛ではっきりした視界に映ったのは、ここに居るはずがない卯依だった。

「どうしてここに、鍵は」
「……ちょうどいいや。起きたなら薬飲んで」

手渡された錠剤と水の入ったコップに戸惑いつつも、言われるがまま薬を飲む。卯依に背を支えられながら体を横たえてから同じ質問をすると、「“個性”使った」と淡々と告げられた。

額に冷たいタオルが乗せられる。卯依はベッドの横に椅子を持ってきて座り、じっと赤い瞳を私に向けていた。今気づいたが服もパジャマに着替えさせられている。頭の中には何故どうしてと疑問ばかりが浮かんでくるのに、痛みと熱のせいか言葉にならない。

「着替えはグラントリノがやってくれた。私は“個性”で体を浮かせてただけ」
「……そう、か」
「もういいから眠って。明日話そうよ」
「……ああ」

気絶するように再び意識を落とした私が翌朝目覚めたとき、視界に入ったのは椅子に座ったまま眠りこけている卯依の姿だった。あれは夢じゃなかったのかと驚きつつ、額から温くなったタオルを取りベッドサイドの皿の上に置く。その音で起きた卯依は寝ぼけ眼のまま体温計を私に手渡すとそそくさと部屋を出て行ってしまった。熱を計ってから服を着替え外へ出る。物音が聞こえるリビングへと足を踏み入れると、卯依が台所に立って料理をしていた。

「ああ、卯依、その……食事は」
「お医者さんから聞いた。メニューは先生に言われたとおりに作るから安心して」

ぽかんと立っていた私の膝裏を、グラントリノが杖でつつく。

「いいから座っとけ。飯食った後に嬢ちゃんから話があるんだと」
「は、はい」

それから卯依が作ってくれた料理をグラントリノと卯依にじっと見られながら完食し(思えばあの戦いからまともに食事を摂っていなかった)卯依はスマホとファイルを手にして私の正面へと座った。

「いろいろ質問があるだろうけど、先に聞かせて」
「ああ」
「体調はどう? 傷の具合は?」
「……卯依の看病のお陰で熱もすっかり下がった。傷もたいしたことはないさ。心配はいらない」

私の言葉に卯依はうんざりしたよう息を吐いてから隣に座るグラントリノへ視線を移した。グラントリノはいつものしかめっ面で私を見ている。怖い。

「さっき渡した体温計、記録が私のスマホに自動で転送されるようになってるの」
「……」
「スマホには、あんたが今発熱状態だって表示されてる。傷の具合も寝ている間に確認したけど、さっきの言葉は信じられない。ヒーロー活動のせいで悪化してるってことぐらい医者じゃない私にも分かる」
「……えっと」

卯依の言葉にグラントリノがはあああっと長いため息を吐く。条件反射で肩を跳ね上げた私に、卯依は一枚の紙を見せた。

「これにサインしてほしい」
「? これは……?」
「私がここに住む承諾書」
「!?」

衝撃で動けなくなっている私の右手に卯依が無理やりボールペンを握らせる。

「ま、待ってくれ。どうしてそうなったんだ? 話が読めないんだが」
「嘘ばっか吐いて無茶するあんたのお目付け役が居てほしいんだって」

卯依の言葉で浮かんだのはナイトアイだった。最後に見た彼の表情が脳裏に蘇る。

「ここに居るグラントリノと、あんたの担当医、それと私の後見人。あとよく知らないけど、根津って人とリカバリーガールからもお願いされた」
「……」
「みんな心配なんだよ」

催促するように卯依が「サインして」と言う。私は開いた口を塞ぐことが出来ずに、混乱した頭のまま口を開いた。

「ここに住むって学校はどうするんだ。ここからじゃ遠いだろう」
「学校は近いところに転校する」
「友達が」
「友達は居ない」

グラントリノが初めて卯依へと視線を移したが卯依は気にせず私を見ていた。

「……寝る場所だって」
「寝袋持ってきたから気にしないで」
「……」
「言うことがなくなったならサインして。それ今日中に公安へ持っていかなきゃいけないの」

グラントリノが「諦めろ。この嬢ちゃんは絶対に折れんぞ」と厳しい表情のまま言った。ここに来るまでになにかあったのだろうか。それでもサインは出来ない。死に向かって走り続ける私の傍に居させるつもりはなかった。

「卯依が私のために時間を費やす必要はない」
「必要かどうかは私が決める」
「……」
「気配はするのにインターフォンを押しても応答がなくて、電話もダメで“個性”を使って部屋に入ったらあんたは廊下で倒れてた。一人でも平気だなんて絶対に言わせない」
「……」
「いいからサインして、ヒーロー名じゃなく本名で」

初めて卯依が視線を彷徨わせ、震えた息を吐いた。私は何故か卯依の表情を見ていられなくなって、書類へと視線を落とす。紙には既に後見人であるナイトアイの署名があった。その下に空いた署名欄がある。

私は右手にあったボールペンを強く握り、欄に名前を書いた。急に痛み出した傷を左手で抑え、ボールペンと一緒に書類を卯依へと渡す。

卯依は書類に視線を落としてから「これなんて読むの」と呟いた。こみ上げるなにかが胸のすぐ上にまで迫り、振り絞るように言った。

「やぎとしのりだ」
「やぎ、としのり……」

繰り返した卯依は書類から顔を上げてまっすぐに私を見た。

宝石のように輝いていた赤い瞳は、潤んではいたが卯依は泣いていなかった。初めて見る表情をしていた。

「これからよろしく、俊典さん」

どこかすっきりしたように言った卯依に、私は言葉を返すことができなかった。
その日から、私達の同居生活が始まった。