心臓にすら爪を立て
臨時休校が明け、満員電車を避けて朝早くに登校すると、既に何人かが教室に居て輪を作って話をしていた。何人かと挨拶を交わして自席へと座り鞄から荷物を取り出す。すると輪から外れた麗日が前にやってきた。
「おはよう、実操さん」
「おはよう麗日」
座ったまま見上げて言うと、麗日は隣の机の椅子を引いて腰掛ける。麗日が少し浮かない表情をしていたので、私は首を傾げてもう一度名前を呼んだ。
「一昨日、大丈夫だった? 先生たちが来たあと、実操さんと話せなかったから……」
その言葉に納得してああ、と呟く。先生や警察が来たあと、私はみんなと顔を合わせる前に施設を出たので誰とも話していなかったのだ。保健室のベッドで目を覚ましてから家に帰る途中の車の中で、麗日やクラスメイトからのメッセージには返信したけれど詳細は言わなかった。
「少し火傷したけど、リカバリーガールの治療で治ったよ」
「そっか……」
包帯が取れた手をひらひらと麗日に見せるも、その表情は暗いままだった。一体どうしたのだろう。
「敵の襲撃があった以上、学校のセキュリティも強化されると思う」
「……うん、そうやね」
「……麗日、大丈夫?」
麗日は私の言葉を聞いて目を丸めると、大げさに肩を揺らした。
「だっ、大丈夫! 怖がってるとかじゃないんだ。そりゃ、あの時は凄く怖かったんだけど……帰ってからもしばらく不安だったけど……そうじゃなくて」
「?」
「改めて、実操さんは凄いなあって思って」
「……?」
首を傾げる私に、麗日は表情を和らげてから言った。
「あの時、相澤先生の指示を聞いて実操さんはすぐに動けて、しかもちゃんと目的を成し遂げてたから」
「……」
「サイレンを聞いたときね、私ホッとして泣きそうになっちゃった」
「……そう」
「実操さんが無事だってことも分かったから、尚更安心しちゃって」
恥ずかしそうに笑う麗日からそっと視線を逸らす。
「次があったら、今度は私ももっと頑張るから!」
「……うん」
「実操さん一人に負担かけさせないって約束する!」
両の拳を強く握って笑う麗日の目を見つめ返して、自然と笑みが浮かんだ。麗日はハッと目を見開いて、照れくさそうに口を開いた。
「それで、あのね……実操さんにお願いがあるんだけど」
「なに?」
麗日は片手を後頭部まで持っていき、視線を不自然に背けていた。その頬は少しだけ赤い。
「う、卯依ちゃんって、呼んでもええ?」
その言葉に目を瞬いていると、麗日が続ける。逸らされていた視線が自分に向けられた。緊張が読み取れるその眼を、じっと見返す。
「私、もっと、実操さんと仲良くなりたい」
「……うん、私も」
「!」
花が咲いたように笑う麗日を見て、私もつられて笑った。「それじゃあ、お茶子って呼んでいい?」と聞くと食い気味に肯定される。二人で笑い合っていると登校してきた梅雨ちゃんがやってきて「仲良しさんね」と声をかけられた。
それから三人で会話をして、自然と担任である相澤先生の話題になる。私は敵の襲撃があった日指示を受けた後は彼の姿を見なかったのだけれど、相澤先生は異形敵によってかなりの深手を負わされたらしく、梅雨ちゃんはずっと心配そうにしていた。一日の休みで起き上がれる怪我じゃないと話す梅雨ちゃんに、顔をしかめる。そんな大怪我を負ったことも、相澤先生の“個性”が通用しない相手だったことにも驚きを隠せなかった。確かに俊典さんと同じ位のパワーを持っているのなら、誰が相手でも相手をするのは厳しいだろうが、抹消“個性”の相澤先生が手も足も出ないなんて……。
そもそも複数の“個性”を持ち合わせているなんて有り得ない。怪力、ショック吸収、再生。一つに体に、三つの“個性”。まるで……。
―――まあ、異形敵の身柄は警察が捕まえたのだから、調べればいずれ分かるだろう。
頭を振った私を、お茶子と梅雨ちゃんが不思議そうに見つめる。なんでもないと誤魔化してから教室に入ってきた緑髪に自然と目が引き付けられた。
ぱっと目が合った途端に、出久は顔をトマトのように赤く染めて視線を逸らすと、ロボットのような動きで教室の中へと入ってくる。
「どうしたのかしら、緑谷ちゃん」
「なんか変やね」
「……?」
「おおおおおおはよう、卯依ちゃん、麗日さん、蛙吹っ、ゆちゃん!」
汗を吹き出して言った出久に、二人は戸惑いつつも挨拶を返す。私も名前を呼んでおはようと言うと、肩を跳ね上げた出久はぎこちない動きのまま自分の席へとついた。
三人でじっと出久を見ていたけれど、予鈴間近となったことで二人は自分の席へと戻っていった。そっと後ろを振り返る。出久はやはり顔を赤くしていた。後ろの机に両腕を置いて顔を近付けると、顔を俯かせてしまう。
「あ、あんまり、見ないで」
「?」
「昨日のこと、思い出して、その」
昨日? と思い返す。助けてもらったお礼を言いたくて海浜公園に来てもらって、話をして……それから……それから、
「!」
出久の熱が伝染ったように頬が熱を帯びる。
あの後、全く動かなくなってしまった出久の腕を引いて家まで送り届けたあと、数日振りに俊典さんの家に顔を出したのだ。二人で食事を終えていつものように映画を見終えたところでさりげなく、「お礼でほっぺにキスをするのっておかしい?」と聞いてみると、俊典さんはきょとんとしてから「日本では珍しいね」と笑っていた。
もう二度と映画の真似なんてしないと一人羞恥に苦しんでいる私をよそに、俊典さんは「ああでも、夫婦とかカップルなら良いんじゃないかな」と続ける。追い打ちをかけられた私は必死で忘れようとしたのだ。
「……ごめん」
全力で視線を外しながら言うと、出久が顔をあげたようでこちらを見る気配がした。
「その、友達の距離感が分からなくて、映画の真似をしたの。ごめんね」
「あ、謝るようなことじゃないよ。ただ僕が……」
「……」
「僕が勝手に意識して、動揺してるだけ、だから」
若干潤んでいる瞳がまっすぐに向けられる。言葉を無くして固まっていた私は、飯田から名指しで注意され、慌てて体を正面へ向けた。
―――い、意識って、なにを?
妙な熱を帯びたままの頬を手で抑えて混乱していた私は、ドアから包帯でぐるぐる巻きにされた相澤先生がやってきたことで強制的に思考が正常に戻されるのだった。