名もなき羽化
控え室の椅子に座り机の上に上半身を倒してぐったりしていると、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。控え室に来てから十分も経っていないが、もしや試合終わった? 体を持ち上げ 「どうぞ」と、言葉を聞いて入ってきたのは俊典さんだった。
「轟少年と瀬呂少年の試合終わったよ。ステージを整えるから、もう少しかかるかな」
「分かった」
「……勝敗は気にならないのかい?」
「特には」
俊典さんはコホッと軽い咳をしてから部屋へと入ってきた。近い椅子に腰掛けた俊典さんは「そういえば」と口を開いた。
「障害物競走も騎馬戦も、どちらも素晴らしかった」
「…………ありがと」
「これまでの努力がよく伝わる。頑張ったな」
にっこり微笑んでいる俊典さんに、私はもごもごと口を動かす。なにを言えばいいか考えて、結局何も思いつかずに「どうも」と返した。
「クラスメイトとも打ち解けたようで良かった」
「? なにを見てそう思ったの」
「昼休憩終わりにA組のみんなでおそろいの服を着てたじゃないか」
俊典さんの言葉に、彼方へ押しやった羞恥がじわじわと蘇る。私は俯き目を強く瞑って、羞恥に耐えることしかできなかった。やっぱり見ていたか。見ていたか……。ばっと顔を上げると視線が合う。私の奇行に俊典さんはゴホゴホと咳き込んでいた。
「忘れて」
「え、でも」
「忘れて」
じっと俊典さんを見ながら、三度目の忘れてを口にすると、俊典さんは怯えながら頷いた。「似合ってたのに」という呟きは無視した。そろそろ行くと言って立ち上がると、俊典さんも続く。
「なんだかドキドキしてきちゃったな……」
「俊典さん関係ないじゃん」
「そうだけど、卯依が戦うところを見るのは慣れないよ」
「……」
心臓のあたりを抑えながら歩く俊典さんの横で、すっと視線を流す。思い出すのは六年前の記憶だ。公安の“個性”訓練を受けると言ったときの、俊典さんの表情。最終的に後見人が同意してくれたのに、俊典さんは最後まで反対していた。
怪我をする度に顔色を変えるこの人に、私はいつからか怪我を隠すようになった。訓練の後にリカバリーガールを訪ね、服に隠れない場所の傷を優先的に治してもらっていた。
「あんたも人のこと言えないよ……これじゃあ」
傷のことは俊典さんに言わないでほしいと頭を下げる私に、リカバリーガールが言った言葉は今も忘れられない。そうだ。私は同じことをしている。傷や痛みを隠す俊典さんのことを怒るくせに、私はこの人に怪我を見せないし痛いとも言わない。怪我を見なくなって俊典さんは安心したように笑っていたけれど……今も、反対しているのだろうか。
それは、私が弱いから? 力を使いこなせていないから? 見ていて危なっかしいから?
―――私には、どれが正解かは分からないけど……。
眉を下げてすっかり情けない表情をしているこの人が、No.1ヒーローだなんて、誰が気付くだろう。本当は弱い部分もあるこの人を、早く安心させてあげないと。早く、休ませてあげないと。
「必ず優勝するなんて私には言えないけど」
「……卯依」
「今出せる全力で戦うから」
「……」
「ちゃんと、見ててね」
▲ ▽
凍ったステージが元通りになり、もうすぐ俺の試合が始まる。相手は強力“個性”の実操。くじ引き後に瀬呂と「運ねえな」なんて肩を叩き合いもしたが、よくよく思い出せば騎馬戦のとき、俺の放電を防いでいたのは常闇だった。
―――つまり実操にとって俺は、天敵……?
ゼファーのバリアを使えば放電は防げる。なのに実操はバリアを使おうとする様子が無かった。作戦会議の時点で八百万が「上鳴さんの放電は、実操さんの“個性”で完封されてしまうのではありませんか」なんて言ってたけど、轟は「その心配はねぇ」と断言していた。もしかして実操、バリア使えねぇんじゃ……。
―――つまりこの試合俺の勝ちなんじゃね!?
「ステージを乾かして次の対決!!」
緩みそうになる口元を引き締め、ステージに立つ。正面に立つ実操の面は涼しげだ。今だけだぜそんな顔してられるのは……。
「今や時の人、サイキックガール 実操卯依! 対 スパーキングキリングボーイ 上鳴電気!!」
俺の、必勝法は一つ。
「START!!」
―――全力で放電!
「
「……は?」
「この勝負、一瞬で終わっから!」