おなじ道を往く、我儘なひと


ハルがシンドリア沖で目を覚ました直後、船医から告げられたのは「シンドリアに到着後、魔道士による治療を受けるように」という指示だった。到着し次第シンドリアを発つつもりだと口にしたハルに、船長が「シンドバッド王の許可が無ければそれは承諾できない」と首を振る。なにより、これ以上の行動は命に関わる、と船医はハルを引き止めたのだった。

目を覚ましてからずっと布で顔を覆い隠しているハルを、船員たちは不審がることもなく受け入れていた。甲板へやってきたハルを見て、一人の船員は「どうか安静にしてください」と眉を下げる。甲板にアラジンらの姿はない。ハルはバルバッドの港でアリババに担がれたあとの記憶がない。船医曰く、出血による貧血だろうということだった。

船員へ問いただすと、アラジンやアリババ、モルジアナはジャーファルと共に船室で待機しているという。シンドバッドはマスルールと共にバルバッドに残っていた。同乗していれば直接交渉しようと考えていたハルのあては外れる。布の下、ハルは必死で考えを巡らせた。

―――煌帝国との交渉の為に残ったのだ、数日は会えないだろう。

ハルはどうしてもシンドリアへの訪問を避けたかった。
数日なら良い。だが、怪我が治り出国の許可が下りるまでにどれくらいかかる。
長期間滞在すればその分、正体を知られる可能性が増すだろう。

―――陛下やシェヘラザード様にご迷惑をかける訳にはいかない。
―――やはりすぐにでも船を降りるべきだろうか。

ちらりと船外へと視線を落としたハルだったが、医務室から居なくなったハルを探していたジャーファルの手で半ば強引に寝台へと引き戻されたのだった。


シーツを胸元までかけられ、「大人しくしているように」ときつく言いつけられたハルは言われた通り寝台に横たわっていた。ジャーファルの指示で見張りが配置されたようで出歩くこともできない。どうしようかと考え込むハルの耳に、扉を叩く音が入る。隣室ではなく、音はハルがいる部屋の入り口から聞こえた。

「ハル、起きてるか」

聞こえたのはアリババの声で、ハルは「はい」とだけ答える。ゆっくりと扉を開け部屋に入ってきたのはあちこちに包帯を巻いたアリババの姿だった。乗船してからアリババも治療を受けたのだろう。友人を失ったことや国を逃げた負い目からかその表情は暗く、深い影を作っている。

寝台に手をついて起き上がろうとしたハルをアリババは慌てて止める。アリババは脇に置かれた椅子に腰掛け、俯きがちだった顔をあげて口を開いた。
ハルは静かにその言葉を待つ。

「大丈夫か? かなり怪我が酷いって、ジャーファルさんに聞いたけど」
「動けない程ではありませんから、大丈夫です。それよりもあなたの方が」

ハルの言葉にアリババは再び顔を下げた。アリババが思い浮かべていたのは残していったバルバッドの国民たちの姿だ。
煌帝国の旗が目に焼きついて、消えない。

「アリババ、顔色が」
「……俺は、いいんだ。それより強引に船に乗せて悪かった」

アリババの言葉にハルが僅かに目を丸める。「どうしてあんなことを」と呟くハルの声色は平淡としていて、怒りや呆れという感情は読み取れない。

「その怪我で帝国軍の包囲を抜けられるとは思わなかった」

ハルが視線を天井へと巡らせる。(煌帝国の金属器使いが相手だったら厳しかったかもしれない)と考え込んでいると、アリババは自嘲するように続けた。

「っていうのは、多分……建前で」
「?」
「俺が……行って欲しくなかった、だけだ」

深く項垂れたアリババの低い発言に、ハルは黙り込む。
わりぃ、と落とされた言葉にハルは「いえ……」と返す。

「お前にも事情があるのに、俺の個人的な我儘に付き合わせてごめんな」
「……」
「シンドリアに行きたくない理由があったんだろ?」
「……はい」

ずっと暗い表情のアリババは今にも倒れそうな顔色で、ハルは口を噤んだ。

「見張りは外に?」
「いや、外してもらった。俺が見てるからいいって」

そうですか、とハルは続ける。本当に部屋の周囲に気配がないことを確認してから、ハルはゆっくりと話し始めた。

「シンドリアには、レーム帝国と親交の深い国の王族や貴族たちが多く滞在しているんです」
「……」
「もしかしたら兄と面識のある者がいるかもしれない。……私は死んだ兄によく似ているので、そこから素性が知られてしまう」

死んだ兄、という言葉にアリババが過剰に反応を示した。ハルはアリババが言葉を失っていることに気付くこともない。ただ淡々と事実を述べただけのように、その声には一切の揺らぎがなかった。

「私が国を出ていることは、レームでも僅かな者しか知らないんです。数年前の戦争で負傷し、現在も療養しているのだと国民は聞かされている」
「そう、なのか」
「陛下にさえ、私は真実を告げずに国を出た。だから、私がここにいることは誰にも知られたくないのです。アリババ、どうか……このことは」
「分かった。誰にも言わねーよ」

即答したアリババの真っ直ぐな眼差しに、ハルは「ありがとう」と呟き、「それから」と続けた。

「私は怒ってませんから、気にしないでください」

ばつが悪そうに口の端を結んだアリババに、ハルは穏やかな声色で言った。

「過ぎたことです。……もう国外へ出ることに固執もしない。シンドリアで、私は自分に出来ることをします」
「……剣探しか?」
「それもありますが。―――友人の支えになりたいんです。少しでもあなたの心の痛みが和らぐように、私も力を尽くします」

ハルの言葉にアリババが目を見開く。それから僅かに喉を震わせ、顔を伏せた。「ありがとう」と囁くように耳に届く言葉にハルは小さく微笑む。
オレンジの瞳が潤み歪んでいたことには気付かない振りをした。