掌で潰した夢の欠片たち
黒秤塔へと場所を移したアリババ、アラジン、ハルの三名の前に立っているのは、澄み渡った空と同じ色の瞳と髪色の美しい女性だった。
ヤムライハ、と名乗ったシンドリアの官服を纏った女性は、柔らかく慈愛に満ちた表情でアラジンを見ている。
「私などがマギ様のお役に立てるか不安ですが、なんなりとお聞きくださいね」
ふわりと笑いかけたヤムライハに対し、自然とアリババの表情がだらしなく崩れる。綺麗で優しそうな人だな、と同意を求めて横に立つアラジンを見やると、そこに居たはずのアラジンはいつのまにか移動していた。引き寄せられるようにフラフラと近付くアラジンに、ヤムライハが不思議そうに少年を見る。
その足元まで迫ったアラジンは、突然、飛びつくようにヤムライハの胸部に顔を埋めた。
「おねいさん!」
「きゃあああ!!」
無遠慮に胸元をまさぐり、柔肌に顔を押し付けるアラジンの暴挙に、ヤムライハが身を捩って逃れようとする。「マギ」への敬意。そして抑えられなくなりつつある羞恥と、それを飛び越えて余りある怒りの激情に、とうとう杖へ魔力を集中させていくヤムライハだったが、ふいに胸元の不快感が消え、閉じていた目を開いた。
ヤムライハの眼前に立つのは、鎧を全身に纏った騎士。
そしてその片腕に襟元を掴まれ、ぶらりと空中に揺れるアラジンの姿だった。
「アラジンの非礼をお詫びします。ヤムライハ殿」
部屋へ入って初めて聞いた騎士の声に、ヤムライハは答えることも出来ず、ただ乱れた官服を直した。その顔は未だに怒りで赤く染まっている。
「そしてアラジン、あなたの行いは女性に対する侮辱です。性別に関係なく、相手の同意も得ずに身体へ触れることは決して許されることではありません」
「……うう」
「信頼関係のある友人同士であれば、ある程度の触れ合いは好ましいことなのでしょうが、ヤムライハ殿は、初めて顔を合わせる方なのですよ」
ヤムライハから引き離すようにしてアラジンを離すと、ハルはしわくちゃになった表情のアラジンに構うことなく説教を続けた。それを見守るアリババの表情が固く厳しいものへと変わって行く。
(ハルのガチ説教、初めて見たな)
「あなたは幼い子供ではありますが、だからといって見過ごすわけにはいきません。幼少期の悪い慣習はその後も長く続いていくものです。取り返しのつかない悪癖となってしまう前に、今、ここで、改めるように」
「……はい」
淡々と話し続けるハルの様子に、ヤムライハの荒れ狂う大波のようになっていた精神状態が落ち着いていく。そして、自身を庇うようにして立つ騎士の後頭部を見た。無骨な兜に覆われたその中から、凛とした声が聞こえる。
「相手が一人の意志を持つ人間であることを、忘れてはいけません」
一度は引いていった頬の熱が、ゆっくりと戻ってくる。そんな自分に疑問を隠せず、頬を抑え狼狽えるヤムライハの前では、気を持ち直したアラジンが俯きがちだった顔を上げてハルを見た。
「それじゃあ、許可を貰えばいいのかい?」
「……そう、ですね。相手の承諾を得たのなら、その後は当人同士の問題ですから」
「分かったよ、ハルさん」
「良かった。では、アラジン」
ハルは体を傾けて、アラジンの視界にヤムライハが映るように動いた。視界になびく真紅の外套をぼおっと見ていたヤムライハは、改めて目の前に立ったアラジンの姿に体を強ばらせる。思わず身を守るように抱きしめたヤムライハに対して、アラジンは小さな頭を下げて言った。
「ヤムライハおねいさん、ごめんなさい」
顔をあげ、真剣な表情でこちらを見るアラジンの姿に、ヤムライハは固くなっていた体の力を抜いて小さく息を吐いた。
―――伝説の「マギ」。偉大な人物に会うからと緊張していた自分がバカバカしくなってきた。ただのエロガキじゃないか。
「……今回は許してあげる。
―――けど、次やったら、身体ごと蒸発させるわよ」
じっとりした鋭い眼差しでアラジンを見たヤムライハに対し、関係のないアリババが身を震わせてそれを見ていた。