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「そのブローチは、レーム帝国の騎士が使える通行証のようなものだ」

シンドバッドの口から発せられた言葉に、再び目を剥いたのはハルだった。シンドリアの国王がブローチの存在を知っていることに、ハルは驚きを隠せずにいる。

「モルジアナでも使えるやつなんですか?」
「……その通行証の持ち主が、貸与された人物の身分を保証する、という意味もあるんだ。『この者は通しても問題ない』、とね。……勿論、全員が他の者へ貸し出すことを許されている訳ではないが」

アリババとモルジアナがなるほどと納得する横で、ハルはじっとシンドバッドの表情を見ていた。探ろうとしているのだろうか。痛いぐらいの視線を受けてシンドバッドがハルを見る。逸らすことなく視線をぶつけ合う二人にモルジアナは首を傾げる。真っ先に気付いたのはアリババだった。

シンドバッドはレーム騎士が持つブローチのことを知っていた。そして今、シンドバッドは、ハルがレーム帝国の人間であることを知ってしまったのだ。

シンドリアへ向かう船内でハルと交わした会話を思い出し、ダラダラと汗を流すアリババの横で、モルジアナは手の中のブローチを見つめる。

蘇るのはハルとファティマーの言葉だった。

騎士が持つブローチはレームでは通行証の意味がある。
月桂冠が刻まれた通行証を持つのは、レーム騎士の隊長や団長格のみ。
ハルが他人への譲渡を許されているのは、レーム騎士の中でも偉い身分だから。

モルジアナの頭の中で、シンドバッドの言葉が繰り返される。

(貸与された人物の身分を保証する、なんて……)

第7迷宮で、モルジアナはハルと敵対していた。だというのに。モルジアナが悪用するとは思わなかったのだろうか。

……いや、きっと、ハルは考えもしなかったのだろう。
ただ、道に迷う少女を見過ごせなかっただけだ。

(この人は心のやさしい人だから)

モルジアナはかつてのように、両手でブローチを包み込みぎゅっと弱い力で握り締める。大切にしているということが誰の目で見ても明らかだった。

「―――確かに」

沈黙を途切れさせたのは、ハルの静かな声だった。動向を気にするようにシンドバッドが見ている中で、ハルはひどく落ち着いた様子だった。柔らかい草色の瞳を、まっすぐにモルジアナに向けている。

「ブローチであれば、普段の動きに支障が出ることもないでしょう」
「……」
「それに私の国では、獅子は強さの象徴です。あなたによく似合う」

ハルの言葉を聞き入るように、モルジアナは真っ直ぐ立っていた。かつてその足元には枷と鎖があった。誰よりも早く動けるはずの身体は重くて仕方がなかった。
けれど、今、モルジアナを縛るものはなにもない。
手には故郷へ渡るための手段。自身に与えられた優しさが形となって残っている。

「なら、」とシンドバッドが口を開く。それを遮ったのはモルジアナだった。

「いいえ」

首を振ったモルジアナの肩に赤髪が散る。勢いよく持ち上がった表情は目元に力を入れているのかいくつかの溝ができていた。

「ハルさんは必要がなくなったら、売っても捨てても構わないと言ってくれたけれど」

受け取ったとき既に、「そんなことはしない」と思っていた。奴隷商人に奪われた際はなんとしてでも取り返さなくてはならないと思った。

通行証が故郷へ帰るための手段だったからではない。

「いつか、お返ししたいんです。―――必ず」

モルジアナは、シンドバッドから聞かされたアル・サーメンという組織のことを考える。シンドバッドが戦っている存在。世界の異変。頭から消えることのないバルバッドでの戦いを。

胸にあるのは、故郷へ帰るという願いだけではなくなっていた。

「時間はかかってしまうかもしれないけど、それでも」

その日が訪れるのは、ずっと先の未来かもしれない。何年もかかるかもしれない。けど、いつか故郷へ帰ることができたら。その時は、自分の手で―――。

「いくらでも、待ちますよ」
「……ハルさん」

ブローチを握りしめて硬くなった手を、ハルの鋼鉄の手が包む。温度なんて無いはずの鉄が、熱を持っている。

「その時はカタルゴを……あなたの故郷のことを、教えてくれますか?」

慈しむような声音と真綿のような言葉に、モルジアナは目元を赤くして何度も頷いた。いつか訪れる未来を想像してみる。その中で、自分の話を聞いてくれるハルは、かつて月光の下で目にしたように、優しく微笑んでいる。