やさしい春の遺言


シンドリアの位置する海域には、「南海生物」と呼ばれる超巨大な海獣が生息している。それが年に数度、沖の警戒網をくぐり抜けて島まで襲ってくる度に、撃退するのは圧倒的強さを誇る王とその配下の精鋭「八人将」の役目であった。

本来驚異でしかない南海生物の襲来だが、シンドバッドはこの撃退をパフォーマンス化することにより、国民たちの恐怖心を和らげ、国外からの客人たちを楽しませている。仕留めた南海生物は良質なタンパク源であり、国中で食べる。シンドリアのこの収穫祭を「謝肉宴マハラガーン」といった。

そして今宵も、盛大な宴が始まる。




シンドリア王宮から市街地を見下ろすアリババは、その熱気に気圧された。広場のあちこちで焚き火の炎があがり、見たことのない楽器を吹く男たちと、料理を運ぶ女たち、喜びに駆け回る子供たちで溢れている。

「シンドバッド王と南海の恵みに感謝を!」

杯を掲げて歓声をあげる島の人間の声が、大きな波となってアリババに迫りくる。呆気に取られたように呆然とするアリババの背をシンドバッドが押す。楽しんでくれという言葉と共に送り出されたアリババは、騒がしい喧騒の中を進んでいった。

興味を引かれるものが多く視線を彷徨わせていたアリババだったが、「おにいさん」と聞きなれた声に呼ばれ顔を向ける。そこには南海生物に似たお面を被った誰かが、アリババを驚かせるように立っていた。咄嗟に「おわっ」と声を上げたアリババに、お面を被っていた人物は笑声を零し、顔を見せる。

「へへへ、びっくりしたかい?」
「なんだ、アラジンかよ!」

照れを含んだ顔で笑ったアリババに、アラジンは手に持っていたもう一つのお面を手渡した。島の男たちはみな、「南海の神さま」と言われるお面を被る習わしがあるのだと語って。二人が揃ってお面を頭へ装着したあと、アラジンは突然表情を緩めてある場所を指差した。そこには踊り子のような衣装を身に纏い、美しく着飾った島の女性たちが集まっている。彼女たちもお面を被り、男たちに花の首飾りを配っているようだった。

「女の人たちも、今日は特別おめかしだねぇ」
「ほんとだな〜〜」

でれでれと頬を赤らめて女性に目を奪われていたアリババに、女性陣の集団の中から一人、小柄な少女が近付いてくる。少女は腕にかけていた花飾りを一つ、アリババの首へとかけていった。嬉しそうに笑みを零すアリババが、「そういえば、ハルとモルジアナは?」と周囲を見渡していると、くいっと腕を引かれる。

自然と顔を下に向けたアリババに、腕を引いた少女は被っていたお面を外す。下から現れた人物にアリババは、まるで時間が止まったかのように固まった。見知らぬ少女だと思っていた相手は、美しく着飾ったモルジアナだった。

「さっきからずっと目の前にいるじゃないですか」

アリババが驚きで言葉を失っている横で、アラジンは表情を輝かせて絶賛している。モルジアナは自分の格好にあまり関心がないのか、「そうですか?」と首を傾げていた。

そのやり取りを黙って見ていたアリババだったが、ハッとしたように口を開いた。あまりにも見慣れない格好と言葉を失うほどの衝撃で動けなかったが。

「スゲー似合ってるよ! キレイすぎて、誰かと思っちまったじゃねーか!」

その言葉にモルジアナは何も言わず、二人にぷいっと背中を向けてしまう。何か気に障ることを言っただろうか、と怯えるアリババに反し、モルジアナは緩みそうになる自分の頬を両の手で抑えている真っ最中だった。赤く火照った顔も、胸がきゅっと締め付けられる感覚にも覚えがなく一人で首を傾げている。

「ハルのやつ、どこ行ったんだろうな」
「もしかして、ハルさんもおめかししてるのかなぁ」

アラジンの言葉にアリババが目を見開く。ずっとだらしのない表情をしているアラジンの向かいで、アリババはモルジアナと同じ装束を着たハルを想像して雷に打たれたような顔をしていたが、そんな二人の前に遅れて現れたハルは普段の装いだった。部屋の中では普通の少女のような格好だというのに、一歩外に出たら肌を少しも見せない鉄壁のガードだ。

「そんな気はしてた」

それに加え、今回は「南海の神さま」のお面を兜の正面につけている。首元には三つ花飾りがぶら下がり、腕にはそれ以上の花飾りがひっかけてある。押し付けられたのだろうか。

(それ、前見えてんのか?)

「あれ、ハルさんもそのお面を貰ったの?」
「はい。男だと思われているようで……お返しした方がいいでしょうか」

悩んだ様子だったが、女性用の面をつけていれば花売りの格好をしなければならないとアラジンに言われ、大人しく男の振りをすることに決めたようだった。アラジンががっくりと肩を落としていると、平常心を取り戻したモルジアナがやってくる。ハルはそこで初めて着飾ったモルジアナを見たようで、鎧の下で目を丸めた。モルジアナの前へと歩み寄ったハルは、わずかに身を屈めてモルジアナの顔を覗き込む。

「―――花の精霊と錯覚してしまいました。あなたの燃えるような赤い髪に、シンドリアの青い花はよく似合っていますね。花売りの装束と金飾りも、あなたのために拵えたようだ。とても美しいです」
「! ありがとうございます……」
「普段のあなたも勿論可愛らしいですが、着飾ったあなたは一段と輝いていて、目を引かれてしまいます。悪い虫が近付いてこないよう、私がお守りしても?」

ハルの怒涛の褒め言葉に、モルジアナは再び赤面して口を閉じてしまった。その様子を見ていたアリババも閉口し、アラジンは驚いたように口を大きく開けている。

―――これがレーム帝国の騎士……。

モルジアナの片手を取って言ったハルの姿に、周囲で黄色い声があがる。その中に顔を覆って去っていった女性陣が数名いて、アリババは驚愕した。ハルに花飾りを渡した女性たちだろうか。

「ハルさん! は、はずかしいので」
「ふふ、すみません。モルジアナがとても可愛らしかったので、つい」

どこか楽しげなハルがモルジアナの手を引いてアラジンとアリババが座る席へとつく。手を取り合うハルとモルジアナが恋人だと勘違いしたのだろう、花飾りを手にしている若い女性は残念がるようにその様子を見て口惜しげに去っていった。まさかハルに気があったのだろうか。―――えっ。

「……なにか?」

アリババの鬱々とした視線に気付いたハルが首を傾げる。隙間から見える涼しげな青磁色の瞳に、アリババは今にも叫びだしそうになるのを必死で堪えた。ここが人の大勢いる広場ではなく、そして鎧の下にいるのが美女でなければ揺さぶっていたかもしれない。

(なにか? じゃねえよチクショー!!! 羨ましい!!)