不眠症の花びらたち


迷宮に挑むために装備を整えていたアリババとアラジンは、とある少女とぶつかってしまった。その足には頑丈な足枷が嵌められており、彼女の身分を示している。


―――奴隷

アリババが何も言えずにその背を見ていると、アラジンがその少女へと近づいていった。そして笛を鎖に近付けてふっと吹く。

バキッ、と大きな音を立ててその鎖は叩き切られたように壊れた。

「これでおねえさん、きれいな足を隠さずに歩けるね!」

奴隷の少女は地面に座り込んだまま、アラジンを見上げる。まるで全てを照らすおひさまのような笑みを見せる少年から差し伸べられた手を、少女は―――モルジアナは取ることができなかった。





矢を補充していたハルが妙な騒ぎを聞きつけて大通りへと向かうと、そこには昨日会ったブドウ酒商人のブーデルが居た。ブーデルと対立するように立っているのはアリババとアラジン。その間には赤髪の少女が転んでいる。騒ぎの原因よりも何よりも、少女が転んだままの状態だということが見過ごせないハルは馬を引いて近付く。

ハルがたどり着くより先にブーデルの太い腕が乱暴に少女の髪と腕に伸ばされたことで、ハルは駆け出した。



「奴隷はツラいぞ〜ん〜!? こ〜んなことをされても文句は言えんからなァ〜!」

自身の髪を引っ張る男の蛮行を、モルジアナはただ耐えていた。恥ずかしい、情けない。―――悔しい。ただなにも出来ない状況を耐えて、堪えていたモルジアナは、ふっと自分の髪にかかっていた力が消えたことに気付いた。閉じていた瞳を開いて、横を見る。そこにいたのは生まれて初めて見る、鋼鉄の鎧。その手はブーデルの太い腕を鷲掴み、モルジアナから遠ざけていた。

「なァ!? 貴様!!」

ブーデルが手を振り払おうともがくが、鎧に包まれた手は微動だにしない。取り巻きの男が止めさせようと一歩踏み出すが、ハルが腕を強めたことでブーデルの呻き声が大きくなり、動きを止めざるをえなかった。

「このワシを誰だと思っている!! 豪商ブッ」

ハルが腕を払うようにして吹き飛ばされたブーデルは、建物の壁に叩きつけられた。屈辱と怒りでぷるぷる震えだすブーデルが叫ぶ。奴隷泥棒、と叫んだのを聞いて、ハルは少女の足元に壊れた鎖があることにようやく気付いた。

警吏が駆けつけてくる足音を聞いてハルはモルジアナを抱えて馬に乗せる。ついでに彼女の持ち物であろう籠を手渡した。

「えっ、あの」
「大丈夫。振り落としはしません。安全な場所で降りたら、馬は放してあげてください」

ハルの言葉を聞き終えると、馬は一目散に駆けていった。モルジアナは籠と手綱を慌てて掴み、揺れに耐える。振り向いた先にいた騎士はじっとこちらを見ていたけれど、すぐに背を向けて駆けていった。

―――どうして、助けてくれたのだろう。

ふと馬の横で揺れる自分の足首に視線を落とす。そこには冷たい足枷がついていて、心がずっしりと重くなる。少年が鎖を壊したとしても、モルジアナの心は捕らわれたままだ。このあとだって、馬から降りたら自分は領主の元へと戻るしかないのだから―――


―――優しい人だった。自分を縛る足枷と同じ、冷たい金属の筈なのに、私の肩を支えてくれたあの鋼鉄の鎧はとても暖かかった。

モルジアナはぐっと目元に力を入れて、馬の背に揺られ続ける。恩を返せぬまま、これから自分がする行動に嫌悪感すら抱いていた。どうかこのままこの町を離れて欲しい。だって、あんな風に優しくしてくれた人と戦いたくないもの。


それからしばらくして人気のない場所でモルジアナは馬を降りる。馬の茶色い瞳はモルジアナを心配するように見ていた。飼い主に似て心根が優しいのだろう。モルジアナは恐る恐るその背を撫でて、小さくお礼を言ってから領主の元へと向かった。何度も何度も、暖かい鉄の感触を思い出しながら。