最果てまで彼の天
霧の深い夜。アラジン、ハル、モルジアナの三人はジャーファル、国軍と共に豪商の屋敷の警備についていた。もう一つの貴族の屋敷にはシンドバッドとマスルールの二名のみが警備にあたっている。
一人で屋敷周辺を見回っていたハルは、だんだんと霧が濃くなっていくことに気付いた。自然発生したとは考えられないほどの霧。伝令兵からシンドバッドが警備についていた屋敷が襲われたと聞いても拭えない違和感に、ハルは駆け出した。
入口付近に居たアラジンの元へ戻るも、その場には誰もいない。アラジンだけではない。国軍も、持ち場から消えていた。
―――微かに赤い霧、鼻につくような匂い。毒……。 魔法道具によって発生させられたものか。
その後見えない幻影に怯える国軍の兵士や、一人で喋っているアラジンの姿を見つけると、ハルは冷静に周囲を見渡し、ある方向へと駆け出していった。
魔法道具によって強固な壁に穴が開けられ、盗賊が屋敷の敷地へと突入する。それを食い止めたジャーファルだったが、新たにやってきた盗賊団の男の持つ魔法武器によってそれは阻まれてしまった。
黒い霧のようなものが体に纏わりついた途端、耐えられない重量となって身に伸しかかる。ジャーファルが膝をつき攻撃の手が止んだ瞬間に、鏢に捕らわれていた盗賊が逃げ出した。
攻撃をしている男に向かってモルジアナが駆け出す。即座に魔法武器を向けると、黒い霧は同じようにモルジアナの体を包んだ。それはファナリスの力を以てしても抜け出せない重さで、抵抗も虚しく追撃を受けたモルジアナの体が地面に打ち付けられる。
「こいつらは俺が押さえる。お前らは奪ってずらかれ!」
「おいっ……なんだあいつ」
「そっちへ行ったぞ!!」
黒い霧を出す男の背後から血気迫る叫びを聞き、男は振り返った。視界に入ったのは自身が引き連れていた霧の団の本隊を次々剣で倒していく一人の鎧騎士。ハルの姿にジャーファルとモルジアナが驚く。同じようにハルの存在に驚き顔を隠す布を強く握り締めた人物も居たが、その動揺に気付く者は居なかった。
「国軍じゃねえな……なにっ!?」
「カシム!!」
周囲の盗賊を粗方片付けたハルが一直線にカシムと呼ばれた男へ駆け出す。背中を向けているカシムを守ろうと、間に女性の盗賊が飛び出した。赤い霧によって国軍に幻覚を見せていた盗賊だ。
ハルの振り下ろされた剣を魔法道具で受け止めるも、剣の重さに耐え切れずにバランスを崩す。体格の良い盗賊が助けようと駆け出すも間に合わず、ハルの剣が追撃を―――することはなく、空いた手で手刀を首に叩き込んだ。女性はそのまま意識を失うが、地面に倒れるよりも先にハルが受け止め、そっと地に横たえる。
「てめぇ、よくもザイナブを!!」
盗賊団の中でも抜きん出て体格の良い男が怒りのままハルの背中に剣を振り下ろす。ハルは片手でそれを難なく受け止めると、今度は一切の加減も無しに左の拳を目の前の腹部へと叩き込んだ。
鈍く重い音が周囲に聞こえ、腹を殴られた男は地面に倒れる。ハルは地面に倒れる二人に一瞥もせずその視線をカシムへと向ける。盗賊団でもトップの実力だった二人がいとも容易く倒されたという事実に盗賊達の足が竦む。だがすぐに足を踏み出し、ハルの前へと立ちはだかった。屋敷の壁が開いているというのに、盗賊は全員がハルを囲むように集まりだす。
―――略奪より仇討ちが優先なのか。好都合だな。
赤い外套を潮風に靡かせ、ハルが赤い剣を握りなおす。雄叫びとともに向かってくる多数の盗賊を相手にしつつ、ハルは思考を働かせる。自分を追いかける黒い霧の攻撃を避け、進行方向上に立つ盗賊の意識を沈めながら。
―――シンドバッド王とマスルール殿が居る屋敷を襲ったのは霧の団の別働隊だったのだろうか。ここに居るだけでもかなりの数だが・・・・・・予想以上の規模だ。
ハルの拳によって男の体が数メートル吹き飛ばされていくのを、カシムが青褪めた顔で見る。時には顔を鷲掴みにされて地面に叩きつけられる男も居た。次々と無力化されていく盗賊の中で、女性を相手にしたハルはザイナブと同じように手刀で意識を奪うとそっと地に下ろす。仲間が倒れていくのをカシムは歯を食いしばり睨みつける。
「気取った野郎だな……ッ!」
カシムの黒い霧は何故かハルを捕らえることが出来ずにいた。それもこれも、騎士の姿が一瞬視界から消えるせいだ。見失う筈がない特徴の鎧と外套が確かに存在している筈なのに、霧が騎士を捕らえたと思った次の瞬間、瞬きのうちに消え少し離れた地点へと移動している。視界に残るのは空気を走る赤い閃光だけだ。
―――アイツと同じ力か……?
クソッ、と吐き出すカシムに、顔を布で覆い隠した男が覚悟を決めたように腰の剣に手を伸ばす。それと同時に敷地の外から叫ぶ声が聞こえ、誰もが動きを止めた。
「国軍だ!!」
「!!!」
「チッ、仕方ねえ、ずらかるぞ!! 動ける奴は仲間を運べ!!」
カシムの指示を聞き、腰の引けかけていた盗賊が動き出す。ハルは行く手を阻もうと入口を目指すが、その正面にカシムが立ちはだかった。
「これ以上仲間をやられてたまるかよ!!」
「……仲間を想う気持ちを、何故他者へと向けられないのですか」
「なんだと?」
「盗賊団の存在で国が荒れ、多くの人間が傷付いている。霧の団が守りたいのは盗賊団の仲間だけですか? それともバルバッドの国民ですか?」
「……何が言いたい」
「この国で居場所を失った者が、国境で奴隷狩りの被害に遭っている。彼らはあなた方の庇護対象にはならないのですね」
「……」
「義侠心とは正義を重んじ、弱きを助け強きを挫く心を言うのです。救うべき命を排斥している霧の団は義賊ではない」
ハルの吐き捨てた言葉にカシムが強い殺意を持って一歩を踏み出す。向けられた殺気に呼応するようにハルの周囲の雰囲気が一変した。それを目撃したことがあるただ唯一の人間が、カシムの肩を掴んだ。
「なんでだ相棒! なぜ止める!」
「……っ」
「……」
ハルの視線が一直線にカシムの後ろの男に向けられる中、屋敷の入口を塞ぐように青い巨体が出現する。ウーゴの声によって、アラジンが幻覚から目覚めた証だった。ハルがそちらへ視線を向けた瞬間、カシムの腕を引いて男が駆け出す。
ハルは、それを追わなかった。