ほんの少しの浄化
ハルは人目を避けるように広場を離れ、アジトの空き部屋へと入っていく。
埃の溜まった空箱に手をつき、それからゆっくりと身につけた鎧を外していった。最後に鎖帷子を脱いだハルは、襟を引っ張り、覗き込むようにしてジュダルの攻撃を受けた箇所を確認する。
暗い室内でもすぐに判断できるほど青黒く変色した肌を数秒見下ろし、そっと襟を正した。
服の上から脇腹を二度摩る。強く触れれば僅かな痛みは走るが動けない程ではない。戦闘に支障が出ることはないだろう。
―――破損した鎧を直したいところだが、今のバルバッドでは不可能だ。ハルはここに来る前に回収した赤い外套に装備を包み、立ち上がる。今頃、広場では怪我人が集められているはず。自分も救助に回らなければ。だが戸を開けようとしたハルの動きが止まる。
しばらく停止したあと、ハルは肩にかけていた布をぐるりと顔に巻きつけると部屋を出て行った。
怪我人を部屋まで運び、広場へと戻ろうとしたモルジアナがハルの背中を見つける。何度もホテルの部屋で見た軽装と後ろ姿。布を巻きつけて顔を隠しているが、目立つ金の髪が背に揺れている。自然と駆け出していたモルジアナの足音でハルが振り返った。
「ハルさん! 傷の具合は……」
「私は大丈夫。問題ありません」
ハルの言葉を聞いてもモルジアナの曇った顔が晴れることはない。ジュダルの攻撃を受けた直後、動けなくなっていたハルを間近で見ていたからだろう。脇腹の部分に視線を向けるモルジアナの気を逸らすように、ハルがアリババの様子を見てきてほしいと口にした。頷いたモルジアナに踵を返し、ハルは真っ直ぐに広場へと向かっていく。その姿を不安げに見つめていたモルジアナだったが、すぐに水と包帯を取りに向かった。
アリババが居る部屋を訪ね、下半身を露出しているアリババの姿を目撃したモルジアナが悲鳴をあげている頃、ハルは広場に蹲る男たちを担ぎ上げて部屋へと運んでいた。黙々と働くその背中に、シンドバッドの視線が刺さる。
(聞きたいことは山程ある。)
金属器使いであることは予想していた。それはいい。マギであるアラジンと行動を共にしていたのだ。マギが複数の王候補を選んでいても不思議ではない。それよりも気になるのは、ハルがジュダルと旧知の仲であったということだろう。
ジュダルの知り合いだと分かったとき、「ハルが奴らの仲間なのではないか」という疑いを抱いたのはシンドバッドだけではない。彼の部下である二人も、ハルに向けて厳しい視線を一瞬向けていた。
(だが、ハルとジュダルは本気で戦っていたように見えた。ジンの攻撃からジュダルを助けてはいたが……煌帝国の姫君に剣を向けてでもアラジンを守ろうとしたのだ。ハルがアラジンの味方であることは揺らぐことのない事実だろう。)
「……」
―――いや、それよりも、
そんなことよりも、あの素顔は……。
「……シン。……シン!」
「!」
悩ましげな表情のジャーファルがシンドバッドの名を呼ぶ。気付けば広場には数人しか残っていない。自力で動けない程の深い傷を負った者は皆、中へと運ばれていったようだ。
ハルは広場には居なかった。
本国へ応援を呼ぶよう指示を出してから、二人は通路を進む。作戦の立て直しを思考するシンドバッドの耳に、多数の人のざわめく声が入った。焦りを含んだそれに、思わず「なんの騒ぎだ?」と声をかける。焦ったように振り返った男の先には、倒れるアラジンを抱えるアリババとモルジアナの姿があった。
アラジンの胸元で光る金属器の笛は異様な光を帯びている。
「その笛を外せ!」
シンドバッドの叫びに驚いたアリババとモルジアナの体が硬直する。二人が動き出すよりも先に白い手がのばされ、静かにアラジンの手から笛が抜き取られた。
顔をあげた二人が見たのは、アラジンの胸元をじっと見ているハルの姿。笛を取り上げてから数秒、ゆっくりと呼吸に合わせて薄い胸が上下するのを見て、ハルが小さく息を吐く。シンドバッドに促され笛を手渡すと、アラジンの体をそっと抱きかかえ、アリババの案内でアジトの一室に向かった。