5
アリババの腹を貫いた槍から伝わるように、白い光がカシムへと流れ込んでいく。腕を通り、それが体の中心を巡る頃には、意図せずに涙が零れ落ちていた。
それはアリババの感情だった。
ルフの言葉が、カシムに偽りなく届けられる。
―――悔しい、情けねー
―――カシムがそんなこと思ってたことに……俺は気づかずに……。
アリババはいや、と首を振る。もしかしたら自分は気付いていたのかもしれない。「違う」ということをカシムに指摘されるのが怖くて、ずっと逃げ回っていただけかもしれない。
人の数だけ“違い”はあるのかもしれない。
―――でも、俺はそれが……
―――「悲しい」
―――でも、それでも。みんな幸せに生きるにはどうすれば……。
カシムはアリババの言葉に動きを止めた。アリババは考え始めたのだ。このどうしようもない「違い」を、どうにかしようと。
必死に考えを巡らせ、涙を流し続けるアリババを見ているうちに、止まっていた涙が再び溢れ出す。「悲しい」と、アリババのように受け入れれば良かったのだろうか、とカシムは考えた。
思い出すのは幼い頃のスラムでの日々。
二人で駆け回り、笑って、その日を懸命に生きていた輝かしい記憶。
―――どんなに手を伸ばしても、
こいつとは別々の他人なんだ。同じになることはできないんだ。
カシムを包んでいた黒い光が消えていく。
違うことを受け入れ、別々の場所でも、それぞれの一生を全うしていれば……
「それを俺は、無理矢理お前と同じ場所へ昇ろうとしていた……!」
ジンが崩れる音が聞こえる。カシムの体は足元から消えていき、光の粒が周囲に散った。アリババがカシムの名を叫ぶ。
「大丈夫だ。どうやら俺はジンと一緒にくたばる他ねえが……お前は生きて元に戻れる!」
「……!? 何言ってんだ。俺はお前を助けに来たんだ!」
アリババの言葉にカシムはそれならもう十分だと言った。巻き添えにした者たちに償いが出来ないことが申し訳ないと口にして、カシムは切り替えるように笑う。
「とにかく、ま、お前とも、これまでだ……」
「カシム!」
「……いざとなると何も出てこねーな
―――もっとお前と、ちゃんと話をしておけばよかったな……」
カシムの消失を止める術をアリババは持たない。為す術もなく手を伸ばすアリババへ背を向け、カシムが言った。
「なぁ、アリババよ」
「……!?」
「俺らさぁ……」
その言葉を最後にカシムの形が眩い光に包まれた。
朧げになったその光に、食い下がるようにアリババはカシムの名を呼ぶ。
言葉の続きを求めるアリババにカシムは振り返った。
―――悪い、もう言葉で伝える時間がねえ。
カシムのルフは真っ直ぐにアリババの胸へと吸い込まれる。体を通り抜けるその瞬間、アリババはカシムの人生を追体験した。
カシムがこれまで生きてきた日々、その時感じた悲しみ、絶望の全てを。
それにはアリババの知らない出来事も混ざっていた。
ある日スラムに、カシムの憎んでいた父親が帰ってきたこと。
はずみで父親を殺してしまったこと。
そして、最愛の妹の死を看取ったこと。
悲痛の中で差し伸べられた手を取り、運命へ復讐することを誓ったこと。
カシムの中にある記憶はどれもつらいことばかりだった。
その中でいつも、こちらを照らしている光がある。
―――あの優しい記憶はなんだ。
父親の血を必死で洗い落とし、カシムは家へと帰る。
それを出迎えたのはアリババだった。仕事を手伝うというアリババの提案を跳ね除け、カシムは口にした。
あの言葉を。
思い出したアリババがハッと顔を上げる。バカ野郎と叫んで、自分の体を通り抜けていったカシムのルフを追いかける。
「なんでまたそんなこと聞くんだよ!!? あたりまえだろうが!!」
白い光の中、カシムの影が気付いたようにアリババを見た。
「俺たちは……
―――友達だろ!!」
両腕でカシムの光を強く抱きしめる。
一瞬の内に脳裏に浮かんでいったのはカシムとの思い出。
もう戻れない、美しくおだやかな日々。
すぐそこにあった温もりが消えていく。
アリババはこれ以上失いたくないと抱きしめる力を強くした。
ふいに地面が消え、その体が落ちる。
黒いジンの体が崩れ、アリババの視界に地上の光景が映った。青い空から降り注ぐ眩い日の光。地面へと落ちていく自分たちを受け止めようと、剣を捨てて駆け寄るハルの姿を見つけて、アリババは目を閉じた。柔らかな二本の腕に抱きとめられる。
アリババはカシムのルフを抱きしめる直前に見た光景を、思い出す。
―――カシムは笑っていた。
幸せそうに、穏やかな笑顔を浮かべてアリババに手を差し伸べていた。
「おかえり、アリババくん」
アラジンの優しい声が降り注ぐ。
ハルがアリババの背を支えた。
アリババは咆哮するように泣き、変わり果てた友人の亡骸を抱きしめる。
炭のように黒く染まった亡骸を胸に抱え、ただ、泣き続けた。