いとしむたび下がる水位
王家に仕える騎士の一人。パルジファルがある日、娘を連れてきた。
妻のガラハッド伯爵とパルジファルの間に立つ可愛らしい少女は、父と同じ赤髪と母によく似た瞳をしている。
「殿下、娘のナマエです」
「やあ、きみは剣の腕が立つとフェリクスから聞いた。ぜひ、今度おれとも……―――?」
「……ナマエ?」
突然城へ連れられたこと、王と王子の前に引っ張り出されたこと。(後で聞いたがギュスタヴがいた事も要因の一つだったらしい。)
緊張の限界だったのだろう。ナマエは立ったまま気絶をしていた。
予想していない光景に言葉を失う俺。
慌てふためくナマエの両親。
以前からナマエを知っていたギュスタヴの呆れるようなため息。
そして城中に響き渡るほどの大きな声で笑う父とロドリグに、気付けば俺も笑っていた。
なんども顔を合わせているうちに緊張は薄れたのか、それ以降ナマエが気を失うことは一度も無かった。代わりに、ナマエはいつも泣いてばかりいた。フェリクスも些細なことで泣いていたが、ナマエが居る場所では何故か泣かなかった。(それが男の意地だったのかは分からない。)
「泣くな!」と大きな声を出すフェリクスに、ナマエはさらに声をあげて泣く。フェリクスから逃げるようにナマエはイングリットやグレンによく泣きついていた。グレンを取られたように思ったのか、フェリクスは更に怒り出す。
グレンに助けを求めるとフェリクスがいつもより怒ると、ナマエも気付いたのだろう。ナマエはある日からグレンではなくシルヴァンや俺の背に隠れるようになっていた。ぎゅっと服を掴んで泣くナマエは弱々しく、手足は俺が触っただけでぽきりと折れてしまいそうで、シルヴァンのようにその背を撫でて宥めることは憚られる。しゃくりあげながらぴったりと俺に額を押し付けるナマエに、俺は同い年であることなんてすっかり忘れていて(妹が出来たみたいだ)と喜んでいた。
「殿下……どうか、生きて……ファーガスを……」
ガラハッド伯爵が―――ナマエの母親が、俺を庇って地面に倒れた。その瞳は光を失っていながらも、手が力無く動いているのを見るにまだ息がある。
―――助けられるかもしれない。そう頭を過ぎるも、炎の中を近付いてくる敵の影が一瞬だけ見えた。その瞬間担がれて視界が上がり、その場を離れさせられる。
僅かに振り返って見ると、見慣れた赤髪がそこにはあった。
パルジファル、生きていたのか。
戻れ、ガラハッド伯が、お前の妻が、
ナマエの母親が―――。
痛みを堪えながら言うもパルジファルは答えなかった。遠く離れた先で、敵兵に囲まれたガラハッド伯が見える。悲鳴が聞こえ―――その頭部に斧が振り下ろされ―――
音が―――――――――。
それからしばらくして、パルジファルの足が止まる。その体が崩れるようにして倒れ、俺も地面へと転がった。起き上がろうとするパルジファルに慌てて顔を上げると、パルジファルは剣を持つ腕がちぎれかけていた。その腹からはどろりとした臓物が溢れている。
いつ死んだっておかしくはない。
未だに動けていることが信じられないほどの怪我だ。
だというのに、その瞳には未だに力強い光が灯っている。
遠く、離れたところからギュスタヴの叫ぶ声が聞こえた。俺を探している。俺の名を叫んでいる。だんだん大きくなるその声を、かろうじてパルジファルも聞いたのだろう。力を抜いたように、剣を持つ手に隙間が出来るのを、見た。
ギュスタヴが部下を連れ林の中から現れる。
血塗れの俺とパルジファルを見て、その顔を蒼白に変えていく。
パルジファルは最期にギュスタヴに俺を託すと、その瞳から静かに光を消した。
パルジファルは灯火のように明るい男だった。
ガラハッド伯は厳格ながらも、母親らしい優しさを備えた人だった。
二人は俺を庇って、死んでいった。
俺を助けるために、
俺のせいで、二人は、ナマエは、
俺を、
俺が、彼らのために、
―――彼らの無念を、晴らさなければ。
「殿下?」
四年前を思い出していた俺の視界に、ナマエが顔を出す。金の瞳を不思議そうに丸め、「どうしました?」と首を傾げている。
「いや、なんでもない。それより、また敬語に戻ってるぞ。それと呼び方も」
「あ! ……ごめん」
口元を抑えて眉を下げるナマエの姿に自然と笑みが浮かぶ。
ナマエの手に斧が握られているのに気付いて、一瞬、呼吸が止まった。
「……ナマエ、斧に変えたのか?」
「ドゥドゥーが扱ってるのを見て、私も試してみようと思って」
そう言いながら斧を振るうナマエの体は、体重が軽いからかかなり振り回されていた。
赤い髪が散らばり、僅かに伏せられた金の瞳を見ていると、あの日の惨劇を嫌でも思い出してしまう。
ナマエの母親の悲鳴と斧が振り下ろされる瞬間を思い出し、気付けば俺はナマエが持っている斧を取り上げていた。不満そうに声をあげるナマエに申し訳なく思いつつも、斧は手の届かない場所へと遠ざける。
「見ていて危なっかしいから、斧はやめておこう」
「ええ……」
「お前は母親に似て魔導の才能がある。……弓にも長けているし、わざわざ近接武器に絞らなくてもいいだろう」
「それ、同じことをイングリットとシルヴァンと、フェリクスにも言われた」
みな考えることは同じだ。
ここに居てくれる、小さい幼馴染を守りたいのだ。
「どうしてこだわるんだ?」
「だって……ディミトリが先陣で、敵に突っ込んでいくでしょう? そうするとドゥドゥーはそれを追いかけるし、フェリクスもこっちを気にせず戦いに行っちゃって……それを心配してシルヴァンもイングリットも突っ込んで行ったら、後ろには誰も残らないじゃん」
「……」
否定できない具体的な説明に言い淀んでいると、ナマエは続けた。
「傍にいないと守れないし。だから、頑張って追いつかないとね」
眉を下げて力無く笑う姿に閉口してしまう。思い出すのはナマエの両親の最期だった。
誰かを守って、命を落とすような真似はしないでほしかった。
同じ道を行ってほしくなかった。
「頼むから、誰かを庇って……それでお前が命を落とすようなことは、やめてくれ」
「……」
「俺のことは守らなくていい」
「それは無理」
間髪いれずに言われた言葉は思いのほか力強いもので、俺は驚いてナマエの顔を見た。
金色の瞳が俺を貫いてくる。
「私にとって、ディミトリはすごく大切な人だから、どうやったって守っちゃうよ。体が勝手に動くの。だから、諦めて?」
「……」
「―――でも、残された方は悲しいもんね。だから、私は死なない」
死なない、なんて言葉を信用することはできない。
そんな確約はどこにもない。
今こうして隣に居て、笑っていても、明日にはどちらかが居なくなっているかもしれない。
―――だというのに、
「ディミトリを残して逝ったりしない」
泣き虫ナマエがこんなことを言うようになるなんて、あの日の俺に言っても信じないだろう。
「だから、ディミトリも私を置いていかないで」
不安そうにこちらを見上げるナマエに、昔を思い出す。
あの頃もそうだった。
元気付けてやりたいのに。声をかけてやりたいのに、ずっと言葉を探しているだけで俺は何も言えない。
その背を支えてやりたいのに、触れられなかった。
「約束ね」
悲しみの中にいるナマエの腕を引っ張って、息苦しそうなそこから助け出してやりたいと思っているのに。
俺はこの手を伸ばすことさえできない。
いつまでも。