透明な背骨をなぞる


黙り込む俺に、苗字さんは気まずそうに「まあそんなこともあるよね」と励ました。飲み物を買いに来て財布を忘れるなんて、俺なにしてるんだろう。奢るよーと楽しげに笑う苗字さんの言葉に首を振って、飲み物を買う苗字さんの背を見つめる。帰る途中で自分に呆れてふらついた俺を心配した苗字さんに連れられて、中庭のベンチに並んで腰掛ける。教室に戻りたくなかった俺は少し安心した。深く俯く俺の背に、小さな手がそっと触れてきて俺は肩を跳ね上げた。

「わっ、ごめん、嫌だった?」

顔をあげて見た苗字さんの眉が下がっていたから、俺は視線を逸らして「嫌じゃない」と返す。安心したように背を撫で始めた苗字さんに、胸がざわついた。暑い。風もあるし、建物の日陰になって比較的涼しい場所の筈なのに暑い。苗字さんが触れた箇所からじわじわと熱が広がって体中に広がる。浮かんでくる汗が煩わしくて、汗臭いと思われたらどうしようと少しだけ体を離す。鼻がムズムズして仕方なかったはずの石鹸の香りが今は恋しい。

「俺、汗臭いから、あんまり」

距離を取ったことで離れた苗字さんの手に気付いて、慌てて口を開く。触れられるのが嫌だったわけじゃないと続けて言った俺に、苗字さんは「汗臭いなんて思ったことないよ」と呟いた。

「孤爪くんはいつも良い匂いがする」
「……石鹸の匂い?」

苗字さんの発言に顔に熱が集まって、誤魔化すように言った。何故か苗字さんは目を丸めて、頬を染めてから「えっと」と言いづらそうに話し始める。

「石鹸の香りは割と最近だよね。前はもっと甘い匂いがしてた」

恥ずかしそうに言う苗字さんに黙り込む。前。前ってどのくらい前のことだろう。クロにあの制汗剤を渡される前はずっと無香料だったから、苗字さんが言う甘い匂いの元が分からない。何も言えない俺に、苗字さんは呑気に「柔軟剤の匂いかな」と微笑んだ。久しぶりに右隣から見るその表情に言葉が詰まる。そんな俺に苗字さんは慌てたように手をぶんぶん振った。

「いつも嗅いでるわけじゃないからね! こう、ふわっといい香りがして、振り向いたらいつも孤爪くんが居て! 好きだなあって思ってただけで!」
「そ、そっか」

なんだかすごく恥ずかしいことを言われた気持ちになって、少しだけ俯く。匂いが好きだと言われただけなのに、まるで自分のことをそう言われた気持ちになった。手の甲で口元を隠した俺に、苗字さんが不安そうに名前を呼んだ。どうして苗字さんが呼ぶだけでこんなに頭がぼうっとするんだろう。

「顔赤いけど、大丈夫? 水飲む?」

そう言って差し出されたペットボトルに視線を落とす。少しだけ減ったそれから反射的に目を逸らして「平気だから」と言った。少し強くなってしまった口調に、苗字さんが「飲みかけなんて嫌だよね」と呟く。悲しそうな表情に思わず「嫌じゃない」と言ってしまって苗字さんが固まる。

「……俺が、勝手に意識してるだけだから」

無意識のうちに口から出た言葉に、少し考えてから再び頭を抱えた。この暑さに頭がやられたとしか思えなかった。