奪われた心臓は生きている


最上級生となった俺たちの交際は六年目に突入していた。

名前に触れることをビビっていた俺は、名前の荒療治を何度も繰り返されるうちに、以前のように手を伸ばせるようになっていた。箍が外れたように体を重ねていた時期もあったけれど、今はただ触れ合って一緒に眠るだけの日も多い。ぐちゃぐちゃになって求め合う時間も好きだけど、俺は名前をぎゅっと抱きしめて眠る時間がなにより幸福を感じた。

マッキーたちは俺と名前を見て「及川の一方的な矢印しか見えねえ」なんて言うけど、俺だけはそうじゃないと知っている。

名前は多くは語らない。二人きりの時も「好き」だとか「愛してる」なんて言葉を言うのは俺ばかりで名前は「知ってる」「私も」と同意するだけだ。欲しい言葉を貰えなくても俺が満足しているのは、名前が俺にだけ見せる瞳の熱を知っているから。

陽の下で、体育館の照明の下で、月明かりに照らされた布団の上で、俺だけを映すその瞳。夜の海みたいな瞳は、俺と一緒に居るときだけ星を散らばめたように輝く。その星がきらきらと光って教えてくれる。俺は愛されてるって。

好きの気持ちに限界はないのだろうか。そう考えてしまうほど想いは日に日に募るばかりだ。





放課後の進路相談が終わって教室へ戻ると、名前が俺の席で眠っていた。少し長引いてしまったせいで待ちくたびれたのだろう。俺は起こすのは勿体無いと判断して、音を立てないように隣の椅子を引いて座った。

携帯を取り出してこっそり寝顔を撮る。カシャ、と鳴った音に一人ビクついていたけれど、名前は起きる様子はなかった。

小さな画面に映る名前の愛らしい寝顔を見つめていると、自然と笑みがこぼれてしまう。きっと岩ちゃんが居たら叩かれるだろうな。

携帯を閉まって、小さな寝息を立てる名前をじっと見下ろす。組まれた腕の下敷きになって少し見えている指に触れる。柔らかいその感触を堪能していると、弱々しく握られた。起きたのだろうかと顔を上げたが名前は眠ったままだ。無意識でされた、たった一つの小さな行動で、俺の胸は幸せでいっぱいになる。

「可愛い」

溢れかえった感情が勝手に言葉として外へ出て行く。

「好きだなあ」

花が咲いたように笑う名前の笑顔が好きだ。たまにほかのやつらに見せる怒った表情も好きだ。俺も怒ってほしいな、なんて思うけど、きっと悲しくなるだろうから横から見ているだけで充分だ。バレー部のおふざけを見て呆れる顔も好きだ。俺の我が儘を少し嬉しそうに聞いてくれる名前が好きだ。俺の名前を呼んでくれる声が好きだ。何度だって呼んでほしいと思う。夜眠るまえに、一日の最後に聞くのがおまえの声ならどれだけ幸せだろう。くしゃみをした時に小さく縮こまる姿が可愛くて好きだ。俺の手を優しく労わってくれる名前の手が好きだ。表情も仕草も、全てが好きだ。
こみ上げる思いを噛み締めて笑う俺につられて、目を細めて微笑む名前が愛おしい。誰よりも幸せになってほしいと願っている。

何事も程々がいいのだと名前は話していた。それが長続きする恋なんだって。けど俺には無理だった。だってこんなにも愛してしまっている。



掴んだ手をそのままに、何も言わない名前に甘えて、どこまでも連れていってしまいそうになる。名前の全部がほしい。最後のその瞬間まで傍にいてほしい。

だけど来年の今頃、俺はおまえの隣には居ないんだろうな。
進路指導の教師は俺の進路を聞いて「よく考えるように」と言った。けどね先生、よく考えて決断したことなんだ。誰になんて言われようが覆せないほど、俺の中では決定事項として定まっている。なのに、こんなにも心が揺さぶられて仕方がないのは名前のことがあるからだ。
このことは誰にも話していない。もちろん名前にも。

思えば俺はおまえに求めるばかりで、何もしてあげられなかったな。本当に酷い彼氏だったと思う。それでも後悔の気持ちは微塵もないんだ。クソ野郎と罵ってくれていい。……いや、やっぱり名前に言われたら立ち直れないかもしれない。

離ればなれになって、バレーに集中して、たまに名前を思い出して泣いたりして、それを繰り返していたら、俺は前に進めるだろうか。名前のことを思い出にできるのだろうか。

俺はこぼれそうになっていた涙を乱暴に拭って、名前の頬に手を伸ばした。丸みを撫でて、髪に触れて、そっと小さな頭に額を押し付ける。俺はずっと忘れない。名前と出会った日を、体に走った衝撃を、俺を頑張りやさんと言ってくれたことを。一年に一度の名前の誕生日が待ち遠しくて仕方が無かったことを。クラスのやつから名前が告白されたと聞かされて、慌てて教室を飛び出したこと、初めて手を繋いだ日のこと、たくさん傷付けた夜のこと、名前が俺を許してくれた日のことを、俺はずっと覚えている。

バレーをしていないと、名前のことを考えている。それぐらい好きで、誰よりも想っている。

だから手を離してやらないと。

大好きだからこそ、誰より大切だからこそ、離さなければならない恋がこの世にはあって、きっと俺たちの恋がそうだった。