君の名を呼ぶ


春高が終わり早二ヶ月。無事に入試試験を終えて第一希望の大学を合格した私は、本日、三年間通った都立音駒高校を卒業する。

合格発表の通知を受け取ったのはほんの数日前だ。これで、バレー部の三年全員の進路が決まったということになる。やっと一安心、とベッドに倒れるように寝転んだのも束の間。あっという間に卒業式なんだから、息をつく暇もない。

「……」

セーラー服を着て、御飯を食べて、支度を済ませる。その時間は部活をやっていた頃よりもうんと遅い。視界に入る髪色は、春高以降、受験生だからと黒く染められたままだ。

母に見送られて家を出る。近くのバス停に辿り付き、スマホをカバンから取り出す。少し前に後輩たちがやってくれた送別会で撮った写真を見返しながら、黒尾がちゃんと起きているかどうか心配になる。昨日の帰り際、バスの時間を合わせて一緒に登校しようと決めたのだ。数分待っていると、歩道を曲がって黒尾が現れる。向こうもすぐ私に気付いたようでお互いに片手をあげた。

「おはよ、黒尾」
「……おはよ」

少しねむたげな表情の黒尾が、目尻を和らげて言う。卒業式だというのにやっぱり髪型はいつものままで、私は気付かれないように笑みを零した。でも、寝癖がない黒尾だと少し緊張してしまうから、普段通りが一番いいな。合宿中に初めて見た寝癖無しの姿を見て密かに動揺した一年生の頃が懐かしい。

時間通りにやってきたバスに乗り込み、二人で並んで立つ。試験のことはあまり話したくなくて、お互いに避けるように別のことを話し続けた。部活のこと、卒業式のこと、最上級生になる研磨たち。後輩ができるリエーフたち。不安がないと言ったら嘘になる。結局マネージャーも見つからなかったし。申し訳ないな……。表情が暗くなったのに気付いた黒尾が言う。「まあ、あいつらなら大丈夫だろ」黒尾の一言で、本当に大丈夫な気がしてくるんだから、主将の言葉って偉大だ。

学校の最寄りのバス停に到着し、いつもの通学路を歩く。ここまで来れば同じ制服もちらちらと見え始める。うーん。やっぱり黒髪落ち着かないな。大学に入ったらまた髪を染めようかと考えながら歩いていると、黒尾に名前を呼ばれて顔を上げた。

「どうしたの」
「卒業式終わったら、話したいことがあるんだけど」

どくん、と心臓が一度強く鳴って、すぐに落ち着く。ぎこちなく「わかった」と頷けば、黒尾は強ばっていた表情を少しだけ和らげて「放課後、そっちの教室迎えに行くから」と言った。

「……待ってる」

黒尾は、おう、と返して口を閉じる。直後に駆け寄ってきた夜っ久んと、その後をついてきた海と並んで学校へと向かった。いつもより鼓動が早いのは、卒業式に対する緊張だけじゃないということは、自分でもよくわかっていた。



式の途中で何度も(長いなあ)なんて思っていたのに、証書授与や合唱が終わるとあっという間に式は終盤になっていた。あっけない、もう退場したら終わりじゃないか。前のクラスが体育館を出て行くのに続いて、自分たちも席を立つ。証書を手に握りしめて、しっかりとした足取りで体育館を出る。本当に偶然目に入った山本が、卒業生在校生保護者の誰よりも号泣していて思わず思いっ切り顔を背けて吹いてしまった。黒尾、海、夜っ久ん、絶対に見て。

自分の教室に辿り付き、自席につく。この椅子に座るのもこれで最後か、と思うとやけに感傷に浸ってしまい、すーっと指を滑らせる。来月からは大学生だ。実感はまだ沸かないけれど。

その後やってきた担任の先生が涙ぐみながら私達生徒への激励の言葉を送ってくれる。これからの人生を精一杯生きて欲しい。学び続けてほしい。なにより体を大切にしてほしい。最終的にぼろぼろ泣いてしまった先生に、クラスの何人かがつられるように涙を流した。私も少しだけうるっときて、誤魔化すように肘をついて口元を隠す。他のクラスは既に解散したのか、廊下には多くの人影が見えた。先生は最後にみんなの担任になれて良かったと笑ってから最後の号令を終えた。体育会系の男子達が顔をぐしゃぐしゃにして泣く先生に駆け寄る。もみくちゃにされながら笑う先生は、確か初めて三年生を担当したのだっけ。ここが教室でなければ胴上げでもしそうな雰囲気だ。

盛り上がりの止まないクラスの教室から数人の子が外へ出る。その隙間から廊下に居る黒尾の姿に気付いて、私もカバンを手に取った。

「名前、もう帰るの?」
「うん。約束してるから」

友達はえー、と言いたげに残念そうな顔をしていたけれど、私の視線の先にいる人物を見て途端ににやにやと表情を変えた。

「頑張って」
「……うん」

背を押してくれた友人に「また近いうちに」と声をかけて席から遠ざかる。すれ違うクラスメイトにも同じように声をかけて、教室を出る。黒尾はポケットに両手を入れて廊下の壁に寄りかかるようにしてそこに居た。

「お待たせ」
「もういーの?」
「うん。行こ」

促すようにして黒尾の横に並び廊下を進む。道中で黒尾と仲の良い男子が「黒尾おめでとう!!」「この野郎! 幸せになれよ!」とはやし立てる中、黒尾は「やめろ!」と叫び、私と目が合うと気まずそうに口を閉じた。